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2019年 04月 21日
陸軍造兵廠忠海兵器製造所遺構
広島県竹原市の近代建築その4

明治中期、大久野島に設置された三つの砲台は豊予要塞の完成によって大正13年に役割を終えますが、程なくこの島には陸軍の機密兵器を製造する軍需工場が設置され、終戦まで軍の管轄化に置かれました。今回は昭和初期から終戦に至る時期に大久野島に存在した軍施設の遺構を紹介します
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この島に残るもう一つの戦争遺構は旧陸軍が秘密裏に設営した化学兵器工場で、国際法で使用を禁止されていた毒ガスの製造を行う国内唯一の施設でした。
これらは芸予要塞が廃止された6年後の昭和4年に設営が始められ、昭和20年の終戦まで各種毒ガスの研究、製造、貯蔵が行われました。
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島の東岸に残る火力発電所跡。最盛期にはディーゼル発電機8基が設置されていました。戦争後期には「ふ号兵器」、いわゆる風船爆弾の製造所としても使われました。
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内部は機材が撤去され吹き抜けの広大な空間が残ります。この島の軍事施設の多くは戦後暫らくは米軍の管理下に置かれ、朝鮮戦争の際には弾薬庫として使われていました。
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製造された毒ガスは島内数箇所に分散して貯蔵されました。その中で最大規模の貯蔵施設となるのがこの長浦貯蔵庫跡です。
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壁面には戦後米軍によって焼却処分された際のこげ跡が残っています。
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こちらはイペリットガスを貯蔵した三軒家貯蔵庫跡。アーチトンネルの奥にタンクを据えた台座が残されています。
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島内には露天の貯蔵施設跡も各所に残っています。
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この形式の露天貯蔵施設は前回紹介した砲台施設跡の幾つかにも設けられていました。
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毒ガスの研究・開発を行った建物も残されています。
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本土との間の通信に使われた施設跡。
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基礎のコンクリートのみ残る施設。当時使われた便所跡と思われます。
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by sunshine-works | 2019-04-21 11:09 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 14日
芸予要塞大久野島砲台2
広島県竹原市の近代建築その3

大久野島には前回紹介した北部砲台、中部砲台の他に島の南部にも砲台がありました。
大三島との間の海峡を受け持つこの南部砲台には8基の砲台が設置されていましたが、現在は4基のみ残されています。
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この島には3箇所合計22基の砲が据えられ、大三島の南側を受け持つ愛媛県今治の小島砲台と対となって瀬戸内海を遮断する役割を担いましたが、本来は瀬戸内海への外敵侵入は入口で食い止めるべきで、当初は豊予海峡に砲台を据える案がありました。この計画は当時の主力火砲の射程の制約で見送られますが、その後長射程の砲が実用化された事で大正末から昭和初期にかけて豊予海峡砲台が実現されます。これによって芸予要塞は不要のものとなり、この島は軍事施設としての勤めを一旦は終える事となります。
昭和に入ってからのこの島のその後については次回紹介致します。
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他の砲台にもあった煉瓦貼りの地下兵舎跡。半分埋もれた状態で残っています。
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周辺の林の中には何らかの施設跡と思われる構造物が残っています。
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島内には三つの砲台の他にも芸予要塞関連施設の幾つかが残されています。まずは島の中部、西岸近くに設置された弾薬庫跡。
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島の南北の海峡に面した位置には、それぞれ一基の探照灯(サーチライト)が設けられていました。こちらは南部砲台近くに設置された探照灯施設跡です。
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島の高台の中腹に残るコンクリート製の構造物。雨水を溜めた貯水タンク跡です。
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島の西岸には当時築かれた石造の桟橋が残されています。
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by sunshine-works | 2019-04-14 20:53 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 07日
芸予要塞大久野島砲台1
広島県竹原市の近代建築その2

竹原市の沖合いに浮かぶ周囲4キロ程の小さな島に明治期に築かれた砲台跡が残されています。
この島には当時全国の要所に設置された沿岸砲台の一つ芸予要塞大久野島砲台の遺構が良好な状態で保たれており、石積みや煉瓦造の砲座や兵営跡を百年以上を経た今日に伝えています。
今回と次回の2回に分けてこの大久野島に残る砲台跡を紹介します。
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この大久野島は以前紹介した芸予要塞来島砲台と対を成す砲台で、来島砲台は愛媛県今治から大三島南岸までを射程とし、この大久野島砲台が大三島北岸から広島県沿岸までを射程に治めます。
この二つの砲台で四国今治から広島県竹原の間に防衛ラインを敷き、瀬戸内海深部への外敵の侵入を阻む為に設置されたのが芸予要塞で、北部を担うこの大久野島砲台は明治30年から明治34年にかけて設置されました。
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この大久野島には北部、中部、南部の3箇所に砲台が設置されました。
この北部砲台は大久野最多8基を備えた砲台で、12CM加濃砲と24CM加濃砲が据えられていました
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一段上がった位置に据えられた砲座。石積みの擁壁、中央には砲を支えた鉄筋が環状に並んでいます。
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砲座と砲座の間に石積みと煉瓦の構造物が連なります。
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砲台跡に並ぶコンクリートの台座。これらは第二次世界大戦中にこの島が再び重用された際の遺構です。この事項については後掲する記事を参照願います。
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通路に沿って石積みの砲側庫が並びます。
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隣の砲台。擁壁には煉瓦が用いられています。
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北部砲台から坂道を進んで程なく、中部砲台に至ります。この中部砲台には主力となる六門の28センチ榴弾砲が設置されました。
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煉瓦積みの兵舎跡。
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円形の砲座跡。ここにも砲を固定した鉄筋が残されています。
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この砲台にも後年にタンクを据えた台座が残されています。
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道沿いに砲座や砲側庫が連なります。
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by sunshine-works | 2019-04-07 12:31 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 26日
芸予要塞 来島砲台2
愛媛県今治市の近代建築その5

来島海峡の入口に位置する小島に置かれた明治期の砲台跡、今回は島の南部に残る要塞施設を紹介します。
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南部砲台は軽砲2門を据える小規模な砲台。構造は北部砲台と良く似た造りとなっています。
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南部砲台の近くに置かれた発電所跡。
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内部には石炭火力発電機が据えられていました。
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南部砲台と中部砲台の途中には煉瓦造の弾薬庫跡が残されています。
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万が一の爆発事故に備えて(爆風を逃がす為)屋根は簡易な素材、おそらく鉄板か板で葺かれていたと思われ、失われたままとなっています。
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島の南端の岬には敵艦来襲時に海峡を照らす探照灯が設けられていました。
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探照灯は半地下式の構造で、普段は地下に収容され、使用時に引き上げて設置されました。同様のものが島の北側にも据えられており、南北2箇所に建てられた発電所の主な用途は探照灯へ給電する為のものと思われます。
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波止浜からの渡船が着く桟橋の隣にはこの要塞の主砲となった28cm榴弾砲のレプリカが飾られています。
これはTVドラマ坂の上の雲の撮影用に作られたもので、細部まで正確に再現された姿は当時の砲台の様子をリアルに思い起こさせます。
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by sunshine-works | 2018-08-26 11:27 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 19日
芸予要塞 来島砲台1
愛媛県今治市の近代建築その4

栗島海峡の沖合いに浮かぶ周囲4kmほどの小さな島に明治期に築かれた軍事施設が残されています。
この小島(おしま)は明治中期に旧陸軍によって三つの砲台が設置された要塞島で、廃止から90年以上を経た現在も石と煉瓦の重厚な構造物が良好な姿で保たれています。
今回と次回は小島に残るこれらの遺構を紹介します。
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日露の軍事的緊張が高まりつつあった明治中期、軍港周辺や要地を守る目的で各地に沿岸要塞が設置されました。
この島に設置された砲台もその一つで、広島県の大久野島砲台と合わせて芸予要塞として運用され、瀬戸内海中西部の防衛線を担いました。
小島の砲台は明治32年に起工、4年後にすべての砲台が完成、最大時で16門の備砲が配置されました。
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島に設置された三つの砲台の一つ北部砲台。海峡の北部を射程とするこの砲台には加濃砲4門と軽砲4門が据えられました。
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一段高い位置に設置された砲座跡。
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煉瓦造の発電所跡。
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向い側には煉瓦の半地下式兵舎が並びます。
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兵舎の脇に設けられた階段で斜面を登ります。
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頂上には司令塔(観測所)の跡が残されています。
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最も規模の大きな中部砲台。28cm榴弾砲6門を備えました。
芸予要塞の主力として据えられたこの28cm榴弾砲は当時としては大口径砲で、敵艦に命中すれば大きなダメージを与える事が出来ましたが、幸い日本国内の沿岸要塞が砲火を交える事は無く、この要塞も大正13年に廃止されます。但し、この島に設置されていた28cm榴弾砲の幾つかは日露戦争時に大陸に送られ、旅順攻囲戦やその後の旅順港砲撃に使われました。
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3箇所に2門ずつ円形の基礎が残る砲座跡。他の砲台と比べて大きな造りとなっています。
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この砲台にも煉瓦造の兵舎が設置されています。
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石段を登って高台の司令塔へ。
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来島海峡を一望する眺め。
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by sunshine-works | 2018-08-19 13:13 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 07日
旧陸軍歩兵二十連隊施設
京都府福知山市の近代建築その3

福知山駅の南方、高台を登った先に陸上自衛隊第七普通科連隊の広大な駐屯地が広がります。
この一帯は旧陸軍時代に代々の歩兵連隊本営が置かれていた場所で、現在の自衛隊駐屯地の敷地内には旧軍時代に建てられた遺構が残されています。
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駐屯地の入口から奥へ進んで程なく、緩やかな坂道の上に旧軍施設を保存する一角が設けられています。昭和25年に自衛隊の前身となる保安隊設立時にこの地の旧陸軍連隊施設が引き継がれますが、施設整備の過程で撤去された建物、設備がここに集められました。これらの多くは明治31年に連隊が福知山へ移駐した際に設置されたものです。尚、連隊の福知山移駐に際して兵舎兵営の建設を請け負ったのが地元の建設会社松村組で、前回紹介した旧松村家住宅は当時の松村組当主が建てた居宅となります。
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この駐屯地には当初歩兵二十連隊が置かれましたが、戦中には留守部隊を再編した百二十連隊の駐屯地となり、その後百三十五連隊、最後は教育隊がその拠点としました。
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この一角に集められた旧軍施設の中心となっている木造モルタル平屋建て寄棟造りの建物。将校集会所として使われていました。現在は陸軍時代の資料を集めた資料館として公開されています。
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資料館への改装に伴って壁面に並ぶ窓は塞がれてしまっていますが、数箇所残る扉や基礎のレンガに往時の姿を留めています。
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旧将校集会所の隣には木造下見板張の小さな建物が建っています。この建物は旧軍時代に剣道場として使われてました。現在は音楽隊の施設になっています。
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by sunshine-works | 2017-10-07 20:45 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 11日
旧海軍機関学校大講堂
京都府舞鶴市の近代建築その15

自衛隊桟橋と道を隔てた向い側に海上自衛隊舞鶴地方総監部の広い敷地が広がります。
ここはかつて旧海軍機関学校が置かれていた場所で、当時の建物施設の多くが今も残されています。
今回はこれらの建物の中で唯一公開されている旧大講堂を紹介します。
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横須賀に設立された海軍機関学校は関東大震災で消失し江田島に仮設されていましたが、移転先として舞鶴が選ばれます。
空地となっていた旧海兵団の敷地を利用して昭和3年から校舎や講堂の建設が始まり、昭和8年にこの大講堂が竣工します。
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鉄骨造平屋建、壁面はスクラッチタイル貼り。基礎や石段、玄関廻りには御影石が使われています。
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玄関ポーチからの眺め。奥に並ぶ旧機関学校の建物を伺います。
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玄関には舞鶴鎮守府の初代長官だった東郷平八郎の胸像が飾られています。
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現在は海軍記念館として公開され、展示室の資料や講堂内部を参観する事が出来ます。
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by sunshine-works | 2016-03-11 13:27 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 26日
舞鶴旧鎮守府倉庫施設4
京都府舞鶴市の近代建築その13

前回に引き続き舞鶴赤レンガパークの倉庫群を紹介します。
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敷地の南側、道路に面して建てられた大正7年築の5号館。創建時は兵器廠の倉庫として、その後は水雷庫として使われました。
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他の倉庫に比べて高さと幅が一回り以上大きな建物です。
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大正7年の築ですが、舞鶴の他の大正期の倉庫と異なり意匠の簡略が無く、明治期の倉庫とほぼ同じ外観です。
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こちらは裏側。
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こちらが表側。どちらの妻面も同じ意匠になっています。
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イベントホールとして利用されている内部。狭い間隔で煉瓦柱が並びます。
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2号館の正面側景色。戦後は長く市役所の分庁舎として使われましたが、その後市制資料館に改装されました。観光施設として再生された舞鶴赤レンガパークの元となった建物です。
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隣接する市役所を挟んで北側に位置する1号館。
平成5年に煉瓦博物館として再生されたこの建物は兵器廠の水雷庫として明治36年に建てられました。
現存する12棟の中で唯一鉄骨煉瓦構造の倉庫です。
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側面から裏側の様子。
鉄骨造の煉瓦建物は築例が少なく、現存例としてはこの建物が最古級とされています。
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by sunshine-works | 2016-02-26 05:12 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 19日
舞鶴旧鎮守府倉庫施設3
京都府舞鶴市の近代建築その12

前回紹介した4棟の倉庫群の東隣には観光施設として整備された4棟の倉庫が並びます。
ここには明治35年に3棟、大正7年に1棟が建てられました。
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ここに並ぶ4棟と市役所の北隣に建つ1棟は旧軍時代に兵器庫として使われていました。
戦後は民間倉庫として使われる一方で市役所分館や赤レンガ博物館に転用が進められ、現在はすべての倉庫が舞鶴赤れんがパークとして展示施設や飲食物販店、イベントスペースに利用されています。
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最初に建てられた明治35年築の3棟。右手に見えるのが大正7年築の1棟。
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奥には前回紹介した旧需品庫の妻面が覘きます。
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平行に並ぶ明治35年築の倉庫。右が西端の4号館、左が中央の3号館。奥手は大正7年築の5号館です。
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同じ面を南から。
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こちらは3号館と2号館です。
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by sunshine-works | 2016-02-19 11:36 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2016年 02月 12日
舞鶴旧鎮守府倉庫施設2
京都府舞鶴市の近代建築その11

前回紹介した3棟の煉瓦倉庫群の東隣、文庫山の麓には4棟の倉庫が並びます。
ここには明治35年に3棟、大正8年に1棟の煉瓦倉庫が建てられました。
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敷地内の北側に明治期の倉庫が3棟、向かい合う位置に大正期の倉庫が1棟建てられています。これら4棟はどれも竣工時に需品庫の用途に充てられていました。
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倉庫に沿って遊歩道が敷かれています。これは当時東舞鶴駅付近から軍港間を結んでいた軍需鉄道の引込線跡を整備したものです。
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倉庫の先に艦艇が舫われた埠頭を望みます。
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正面側詳細。外観には手を加えられた跡が殆どありません。前面に並ぶ木製の電信柱や古びた表示板もそのまま残され、往時の趣が良く保たれています。
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大正8年築の倉庫。現在は海上自衛隊が使用しています。
前回紹介した中の一棟と同様に意匠が簡略化されています。
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こちらは明治35年築の倉庫の妻面。
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殆どの煉瓦は創建当時のまま。扉もそのまま残されています。
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by sunshine-works | 2016-02-12 15:05 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)