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2008年 11月 03日
旧駒ヶ林町公会堂
神戸長田区の近代建築その3

長田区の南部に位置し古くから漁業で栄えた町が駒ヶ林です。
この駒ヶ林にも清水栄二の作となる公会堂が現存しています。現在保育所として使われているこの建物は前回の西尻池公会堂から遡る事2年前の大正13年に竣工しています。
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開発が進んだ現在、海岸線のほとんどは埋め立てられてしまいましたが、かってこの辺りは白い砂浜が延々と続く美しい風景が広がっていました。
播磨灘の豊かな漁業資源に支えられて神戸有数の水揚げを誇っていた駒ヶ林漁港には魚市場も設けられ、工業化前の長田区(旧林田区)の中では大きな町でした。この公会堂が建てられた当時もまだまだ漁業の勢いは衰えず、地区は活気づいていたようです。
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後年に東側を増築しています。手前がオリジナル部分です。
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同一設計者の作品ですが、西尻池公会堂とはかなり印象が異なります。先進デザインを取り入れた西尻池公会堂に比べるとオーソドックスで地味なデザインです。逐年にそれほど隔たりがある訳ではありませんが(*3年の差)、近接して建てられた同じ用途建物で大きく作風が異なるのは歴史を持つ町と新市街との地域性に拠るのでしょうか。
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神戸を中心に活躍した清水栄二の比較的初期の作です。その後の作品に繰り返し用いられる独特の意匠はまだ見られません。
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出入口の枠型を横に分断する様に付けられた庇が面白い表現です。
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こちらは南側。現在は園庭が設けられています。
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この公会堂も当初の役割を終えた後は他の用途に転用されています。古い建物が保育所として使われる例はあまり聞きませんが、間取りが広く地区の中心に置かれる事の多い公会堂だけに理に適った使われ方かも知れません。
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by sunshine-works | 2008-11-03 18:25 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 30日
旧西尻池公会堂(鷲尾医院)
神戸長田区の近代建築その2

区の中心街から国道2号線沿いを東方向へ進んで程なくすると左手にユニークな外観の建物が見えてきます。現在医院として使われているこの建物は昭和元年に公会堂として建てられました。設計:清水栄二。
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神戸の中心部は開港を契機に都市化が進み市域も拡大して行きますが、のどかな農村地帯だったこの一帯も明治21年に山陽鉄道が開通すると次第に開発の手が加えられて行きます。線路と海に挟まれ、主要幹線である国道2号線が貫くこの一帯には沿岸に並ぶ工場から繫がる中小の関連工場や事業所が数多く建てられ、さらに商店や住宅が入り混ざった典型的な下町の町並みが形成されて行きます。長田区の前身の林田区は小さな区でしたが当時の神戸市の四分の一を占める人口を擁し、工業都市として発展を続ける活気のある区でした。
この公会堂が建てられた昭和元年当時、この辺りは拡大する神戸市街地の先端部でした。
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それほど大きな建物ではありませんが、結構奥行きがあって見た目以上にボリュームがあります。内部は未確認ですが公会堂をどのように改装したのか興味深い建物です。
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様々な作風がある清水栄二の作品の中でも東灘区の高嶋平介邸と共に先鋭的な意匠を取り入れた設計です。三角形に張り出した階段室の窓や楕円の屋根は5年後の高嶋平介邸にそのまま受け継がれています。
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丸太を積み重ねたような軒蛇腹もこの建物の特徴です。この時代の流行りなのでしょうか。神戸中央区の岸本産業ビルにも良く似たデザインがありました。
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大きな庇を持つ玄関を挟んで左右対称のデザインです。両端の階段室(と思われます)の頂部を異なったデザインにして敢えて対象性を崩しているように思えます。
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近づいて良く見ると各部に傷みが目立ちます。現役で使用されている建物と思われますがそろそろ補修の時期のようです。
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震災以降、勢いを失ってしまった感のある長田区ですが、神戸の中心部にもなかったこのモダンな公会堂からは当時の繁栄ぶりを窺う事が出来ます。
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by sunshine-works | 2008-10-30 23:45 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 09月 12日
旧神戸市森高等女学校校舎(神戸学院大学付属高等学校)
神戸兵庫区の近代建築その5

古くから開けた兵庫区は数々の歴史の舞台となり、多くの史跡や古刹が残っています。
南北朝の時代には楠木正成の最期となった湊川の戦いがこの地で繰り広げられ、正成を祀る湊川神社や合戦場として伝わる湊川公園は街のシンボルとして市民に親しまれています。
この湊川公園から楠木正成が陣を張ったとされる会下山(えげやま)にかけての一帯には明治以降、多くの学校が建てられていきました。現在、神戸学院大学付属高校となっている旧神戸市森高等女学校も会下山の傍らの小高い丘の上に昭和11年に建てられました。設計:清水栄二
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この校舎は裁縫学校を起源とする神戸市森高等女学校が兵庫区五宮町から当地に移転した際に建てられた建物です。その後数回に亘って増築され現在の姿になりましたが、創建時の校舎が一号館として使用されています。
*神戸森高等女学校についてはこちらをご覧ください。
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こちらは校舎の南側です
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学校建築として全体に意匠は控えめですが、角のアールの処理や各入口上部の垂直方向の表現等、清水栄二らしさが伺えます。
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神戸市営繕課長として公共建築を手がけ、独立後も神戸で活躍した清水栄二の作品には多くの学校建築がありましたが、残念ながらそのほとんどが失われてしまいました。神戸市内に残る学校建築としてはこの校舎が唯一のものと思われます。
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by sunshine-works | 2008-09-12 21:22 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 23日
帝国信栄本社ビル
神戸中央区の近代建築その6

阪急三宮駅の北東、中小の雑居ビルや事業所が立ち並ぶ駅裏の一角に焦茶色の外壁の2階建ビルが建っています。この建物は不動産管理会社帝国信栄株式会社の社屋として大正12年に建てられ現在も同社の本社ビルとして使われています。設計は神戸に縁の深い清水栄二です。
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このビルは阪急線のガード沿いの駅前の雑踏から少し離れた所にあります。メインストリートであるフラワーロードの裏筋にあたる場所でこれと言ったスポットも無いどこにでもありそうな街並みなのですが、ごく普通の景色の中に独特の存在感で異彩を放っているのがこの建物です。
焦茶色の外壁も個性的ですがコーナーの形に沿わした台形の平面、太い丸柱が並ぶ側面、立体的な窓格子、時代を感じさせる右書の社名板等々、特徴に事欠かない建物です。
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2階建ての建物にしては不釣合いな程に太い丸柱が何本も並ぶ様は非常に頑丈な印象を受けます。早くから耐震性を重視していた清水栄二の設計した建物には同じような傾向が伺えます。
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1階の各窓には籠のような格子が付けられています。現在は引違い式の窓ですが当初は外開きの窓だったのでしょうか。
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建物表面の腰周りはこのような石を巡らしています。
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正面ファサードの上部は付柱で飾られています。入口の左右の柱に付けられた赤い金物がユニークです。
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明治以降神戸の中心街となる旧居留地や海岸通りには大規模なビルが建ち並んで行きます。今日現存しているそれら名の知れ渡った建物は歴史的価値があり景観建物としても高く評価され保存・再生を巡っては衆目を集めるところとなっています。しかしこの建物のように地味で無名の建物を残していく事も疎かにしてはならないでしょう。各地の裏町にひっそりと建つ貴重な建物は再開発の名の下にいつの間にか失われてしまっているのが現状です。
規模や知名度で建物の価値が決まるものでは無いのですがこれも一種のブランド志向となっているのが何とも残念なところです。
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by sunshine-works | 2007-11-23 01:06 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2007年 10月 16日
旧大谷邸(神戸大学ロイ・スミス館)
神戸灘区の近代建築その15

阪急電鉄の線路の北側、六甲山の南側の斜面に沿って住宅地が連なっています。六甲駅から西方の篠原地区も山合いに広がる閑静な住宅地区で坂の途中からは神戸の街並や港の美しい景色が望めます。この篠原地区の一角、六甲山から流れてくる都賀川に沿った坂を登りきった所に1件の洋館が建っています。当ブログでも以前に幾つかの作品を紹介した清水栄二が設計したスパニッシュ様式の邸宅です。昭和11年築。
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元々は貿易商であった大谷茂氏の邸宅でした。その後持主は移り変わり現在は神戸大学の後援会事務所として使用されています。ロイ・スミス館と呼ばれていますがこの名の由来については神戸大学のサイトに詳しい情報があります。
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設計者の清水栄二は神戸市営繕課の出身で阪神間で公共施設に多くの作品を残していますが個人住宅も幾つか手がけています。東灘区の高嶋平介邸も現存する清水栄二設計の邸宅として知られていますがこの旧大谷邸とはかなり作風が異なります。
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門を入ると建物の東端に設けられた半円形の大きな庇と玄関ポーチが迫ります。個人邸の玄関としてはかなり広々とした造りになっています。
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この建物の見所の一つが随所に取り付けられているステンドグラスです。一部分に象徴的に使われているのではなく主要な部分各所がステンドグラス仕様になっています。
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その他の窓はそれぞれ異なったデザインの格子で飾られています。
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東の端には日本間が設えてあります。
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この箇所は丸柱を二本並べています。デザイン的な表現なのかあるいは構造上の必要性からなのでしょうか。清水栄二は他の物件でも丸柱を意匠的に使う例が見られます。
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建物裏側
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昭和初期にアメリカ経由で伝わったスパニッシュ様式は住宅から学校建築、大型ビルにいたるまで大きな流行となりました。四季があって湿っぽい日本の風土にカリフォルニアを連想させるスパニッシュ建築は馴染まない様な気もしますが素朴で温かみのある雰囲気に親近感を持ったのかも知れません(因みにこの時代に流行を見せたのはアメリカと日本だけでヨーロッパ各国には伝播しなかったようです)。
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スパニッシュ様式の設計者としてはW.M.ヴォーリズの名が知られていますが当時の建築家の多くがこのスタイルで作品を手掛けています。但し清水栄二もそうなのですがスパニッシュスタイルに特化した設計者はヴォーリズの他はあまりいない様で、あくまでも自身の作風の巾を広げる試みとして取り組んでいた感があります。
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大きなブームとなったスパニッシュ様式ですが結局は他の建築様式同様に戦後のモダニズム建築の波に飲み込まれていってしまいます。最近になってこのスタイルは個人住宅を中心に復活の兆しを見せています。瓦屋根やスタッコと呼ばれる塗壁の風合いが日本人の嗜好に合っているのでしょうか。
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by sunshine-works | 2007-10-16 20:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2007年 07月 27日
旧高嶋平介邸(甲南漬資料館)

神戸東灘区の近代建築その6

酒造業の中心地である灘は関連産業や2次製品業者も数多く集まっています。御影郷の西端、御影塚町にあるこの建物は酒粕問屋を振り出しに甲南漬(奈良漬)製造で成功を納めた高嶋平介商店の2代目当主邸宅として建てられました。昭和5年築、設計清水栄二。
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御影公会堂とも魚崎町役場とも傾向の異なるデザインです。当時流行しつつあった分離派の様式を取り入れているようです。
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この建物を特徴付けている玄関上の階段室の窓と蒲鉾屋根。
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玄関の庇も独特です。
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前庭に面した張り出し部分
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建物東側の1階には日本庭園に面して和室が設えてありました。現在は食事処になっています。
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建物の東面
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母屋の西側の別棟
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室内には甲南漬に関する道具や資料が展示されています。
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階段室の窓の内側はこのようになっています。
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建物裏側。工場や倉庫のようなイメージです。
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このように住居としての使命を終えた個人宅を資料館として公開している建物は他にも多くの例があります。比較的自由に(入館料が必要な所もありますが)内部の見学が出来て写真撮影も可能なのでマニアとしては非常に有り難いです。
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by sunshine-works | 2007-07-27 22:12 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2007年 07月 23日
旧魚崎町役場

神戸東灘区の近代建築その5

現在の東灘区にあたる一帯は神戸市に編入される昭和25年までは幾つかの町や村に分かれていました。
区の中央に位置する魚崎もかっては魚崎町として独立した自治体でした。この建物は魚崎町役場として昭和12年に建てられたものです。設計:清水栄二設計事務所
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清水栄二の代表作である御影公会堂から4年後の作品ですが印象はかなり異なります。役場と公会堂という用途の違いからなのでしょうか。
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町役場として建てられたこの建物ですが、神戸市と合併後は診療所や文化センターを経て現在は区民センター分館として使用されています。
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装飾のほとんどは正面に集中しています。
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玄関ホールの庇
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ビスケットやウエハースを連想させる正面ファサードの飾り
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正面入口の飾り縁
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側面および裏面です。軒蛇腹以外は飾り気がほとんどありません。
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側面の入口
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御影公会堂もそうなのですが、この建物も水害、戦災、震災と3つの大きな災害を乗り越えて来ました。早くから耐震構造に着目していた清水栄二の設計した建物は同時代の建物の中でも頑丈な造りであった様です。(次回紹介する高嶋平介邸も阪神淡路大震災に際して周辺の建物郡が倒壊する中無傷で残りました)

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道を挟んで向かい側には同じく清水栄二が設計した魚崎小学校が建っていました。現在の魚崎小学校は元のイメージのまま2001年に建替えられたものです。清水栄二は神戸市内に数多くの学校を建てました。この魚崎小学校は市内で最後まで残っていた清水栄二設計の小学校でした。
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中央の円筒形の階段室が印象的です。
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by sunshine-works | 2007-07-23 22:42 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2007年 07月 19日
御影公会堂

神戸東灘区の近代建築その4

国道2号線と石屋川の交わる辺りに一際目立つスクラッチタイル貼りの公会堂が建っています。この御影公会堂の建設にも白鶴酒造の嘉納家が深く係わっていました。
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昭和8年築。設計 清水栄二
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白嘉納家7代当主 嘉納治兵衛はこれまで紹介した様に灘中学校の創設や白鶴設美術館の建立に巨費を投じたのですが、更にもうひとつ、この御影公会堂の主要な資金提供者でもありました。建設費は当時の金額で24万円、その8割を嘉納家が拠出しており、実質的にはこの公会堂は嘉納家が作ったものと言えます。
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丸窓、アーチ窓、アールをつけたコーナーの処理、全体に貼られたスクラッチタイル、水平を強調する庇等この時代の建築スタイルを満載した建物です。
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この建物は面によってだいぶ表情が異なります。こちらは正面エントランス側です。
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エントランスホールの詳細
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正面側の1階と地下は西端がガラス張りの部屋となっています。
(地階はオムライスが有名な食堂です。)
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こちらは西面
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北西角~北面にかけて
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東面
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太い円柱が並ぶ館内通路
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最上階天井の明り取り窓
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ホールの入口扉
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大きな丸窓の正体はトイレ窓でした。
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それにしても灘中学の設立、白鶴美術館、そしてこの御影公会堂と10年足らずの間にたて続けにこれらの事業を成し遂げた嘉納家の資産力には驚くばかりです。
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設計者の清水栄二は灘の出身で神戸市営繕課を率いていました。同時期に兵庫県の営繕課長であった置塩章と競うように神戸中心に多くの建築を手がけました。東灘区には清水栄二の設計となる建築が他にも現存しています。この清水栄二の作品については次回とその次の回に紹介したいと思います。

by sunshine-works | 2007-07-19 22:16 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)