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2009年 01月 23日
福良警部派出所(旧福良警察署)
淡路島の近代建築その10

淡路島の南端、鳴門海峡に臨む福良の町は港を中心に発展した南部の中心地です。この福良の旧道に面して建つ警部派出所の建物は昭和3年に福良警察署の庁舎として建てられました。
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大きな島である淡路島には中心都市の洲本の他に幾つかの拠点となる町が栄えました。特に福良は四国を結ぶ交通の要として、また豊かな漁場を控えた漁港として発展し、古い町並みの中に民間企業や銀行の支店、県や国の行政機関等の近代建築が幾つも建てられていきました。
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中心部からやや離れた場所の旧道沿いに位置します。比較的狭い前面道路ですが、昔は港や中心街から繫がる賑やかな通りだったと思われます。
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道路に面した建物正面。派手な意匠はありませんがこの時代の庁舎らしく玄関周りに凝った装飾が施されています。
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築後80年近く経過していますが、竣工当時の写真と見比べて見ても一部の窓が塞がれていたり窓枠がサッシに変わっている以外は外観に大きな改修は加えられていないようです。
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玄関周り以外には3階窓上部のテラコッタ飾りと屋上の素焼瓦のパラペットをアクセントとしています。系統的にはスパニッシュ様式になるのでしょうか。警察署としては何ともユニークな建物です。
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裏側にあたる建物南側。こちらからの眺めはなおさら南欧色が濃く出ています。
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警察庁舎はその威厳を示す目的もあって、どっしりとした重厚な建物が各地に建てられましたが近年その多くは建て替えや改装によって姿を消しています。兵庫県内でも戦前に建てられ今なお現役の警察庁舎はごく僅かとなってしまいました。
特殊な建物故に転用が難しいのでしょうが、個性を活かせばいろいろな使い方があるかもしれません。
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by sunshine-works | 2009-01-23 21:27 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 01月 19日
上田池堰堤
淡路島の近代建築その9

淡路島の最高峰 諭鶴羽山の麓一帯は淡路島の水源として多くのダムや溜池が築かれました。淡路島最初の農業用ダムとして昭和7年に竣工した上田池(こうだいけ)堰堤は農業ダムとしては全国でも数少ない石積み式の重力ダムです。
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淡路島の年間降水量は全国平均の7割程度の年平均1,300㎜、極端に少ない訳ではない(東京は1,500㎜)のですが、短く流域面積の少ない川が数本あるだけで河川水に恵まれず、古くから農業水利は溜池に頼っていました。
(島内の溜池は2万を超えると言われています)
しかし小規模な溜池は水量も乏しく、たびたび旱魃に見舞われる不安定な農作を強いられてきました。近代土木技術が発達し大規模なダムの建造が可能になった大正後期、この地に安定した農業用水を供給する目的で計画されたのがこの上田池ダムでした。
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40メートルを超える堰堤の高さは粗石積みの農業ダムとして最大のものです。深い緑の山中に荒々しい岩壁が城壁のように聳え立ちます。
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ダム湖側から堰堤を臨みます。豊かに水を湛えた湖面に重厚な石積が映えます。
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天端中央に設けられた半円筒形の機械室。この時代に多く見られるデザインです。
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堰堤上の中央部には石の欄干が並びます。前後の擁壁は三角形に石を抜いて飾りとしています。
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天端から覗いた下流側。思わず吸い込まれそうになります。
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人力中心に進められた上田池ダムの建設は7年に及ぶ難工事の末昭和7年に竣工します。今日、近畿圏の農産物供給基地として大きな地位を占める淡路島の農業を支えたのがこの上田池ダムに始まる一連の水源開発でした。
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おまけ
麓に数ヶ所設けられた円筒分水工と呼ばれる施設。ダムから引かれた灌漑用水を各農地へ公平に分配する為のものです。
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by sunshine-works | 2009-01-19 22:25 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 01月 14日
旧三原郡役所
淡路島の近代建築その8

淡路島の中南部を占める南あわじ市は合併によって平成17年に誕生した新しい市です。この南あわじ市の市域の大半を構成していた旧三原郡の郡役所が淡路島中央の観光施設(淡路ファームパーク)に移設公開されています。現存する洋風建築物としては淡路島で最も古く、また兵庫県内に残る旧郡役所の中でも最古のものです。明治17年築。
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この建物が建てられた明治17年当時は神戸の外国人居留地を別にすれば洋風建築物はまだまだ珍しい存在でした。
文明開化とは言え都市部以外の地域の住環境は江戸時代とさほど変わっていなかったこの時代、それまで誰も見たことが無かった洋風の建築意匠が地域の中に取り入れられる先鞭となるのが学校や役場などの公共施設でした。これらの多くは後に偽洋風と呼ばれる地元の大工・棟梁達が日本建築の技法で手がけた和洋折衷様式の建物でした。
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明治17年に竣工してから大正15年まで三原郡役所として使用されました。郡制が廃止された後は幾つかの公共施設に転用されながら現役で使われていました。
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平成7年の阪神淡路大震災でこの建物は半壊する被害を受けました。当初は取り壊される予定だったのですが地元からの保存要望を受けて解体保存され、平成19年にこの地に再建されました。
破損や腐食した箇所が多く、元の部材は全体の4割程度との事なので厳密に言えば復元ではなく再現と言えなくもありませんが、外装は新旧の部材が巧みに組み合わされておりほとんど違和感の無い仕上りになっています。
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いかにも役場らしい堂々とした玄関周り。玄関の屋根瓦はオリジナルのものが使われているそうです。
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室内は大きく改装されていますが所々に当初のイメージが残されています。
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新政府により各地に建てられ、地方に洋風建築を広める先駆けとなった町村役場はその多くが木造建築だったこともあり、現存しているものはごく僅かとなってしまいました。
再建されたこの旧三原郡役所は当時の役場建築の姿を伝える資料性の高い建物として平成20年に国の登録有形文化財に登録されています。
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by sunshine-works | 2009-01-14 20:02 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 01月 10日
由良要塞(生石山砲台)
淡路島の近代建築その7

紀淡海峡を挟んで和歌山と対峙する淡路島東南部の由良は古くから大阪湾の海防上の要衝でした。幕末には沿岸に台場が築かれ、背後の丘陵地には明治中期から昭和20年の敗戦まで旧軍の要塞が置かれていました。今回は由良の山中に残る要塞跡を紹介します。
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木立に半ば埋もれるようにして煉瓦造の施設跡が点在しています。戦後進駐してきた米軍によって粗方の施設は破壊されてしまいましたが、煉瓦造の砲側庫(弾薬庫)跡が残っています。
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由良要塞はこの生石山地区と対岸の和歌山県加太地区、紀淡海峡上の友が島にそれぞれ砲台を配置し一群の防衛拠点として計画されました。当時としては大口径の28センチ砲が装備され大阪湾口の防御の要と位置付けられていましたが、明治後期には要塞施設の存在意義が薄れ備砲は徐々に前線に移動されてしまいます。第一から第五まであった生石山の砲台の四つはその後廃止され、第四砲台のみが終戦時まで残されていました。
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由良には対岸の和歌山や四国の鳴門要塞を管轄する要塞司令部が置かれ淡路島の中で最大の軍事拠点でした。要塞周辺は極秘とされ一般人の立ち入りは一切できなかったそうです。

砲側庫は土手を掘って煉瓦を積み上げた半地下式構造となっています。防御上の利点からでしょうか要塞施設にはこの形式が多いようです。
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地面に残る円形は砲座の跡です。現在は土砂で埋まっていますが地面を掘り下げて砲が据え付けられていました。
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ほとんどの砲側庫跡は壁が崩れ内部の原形を留めていない中、ここだけは当時の状態が確認できます。
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砲台跡の傍に古い砲身が飾られています。この場所は固定砲台ではありませんが沿岸を望む保塁(大砲を据える陣地)だったといわれています。
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結局、この由良要塞は一度も使用されること無く終戦を迎えます。全国各地に築かれた沿岸砲台は本土決戦の際にはその威力を発揮するはずでしたが、圧倒的な彼我の物量差の前にはほとんど戦力にならない時代遅れの産物だった様です。

各地に残る旧軍の遺構の中でも要塞施設は特に生々しい負の遺産ですが、戦争を風化させない意味で残されて然るべきものかもしれません。
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by sunshine-works | 2009-01-10 14:29 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 01月 06日
猪鼻ダム
淡路島の近代建築その6

洲本市街を南下し山間部を更に奥へ進みます。淡路島には標高の高い山はありませんが洲本の市街地はすぐ裏手まで山が迫り、鬱蒼とした森の景色が広がります。この丘陵地は明治以降淡路の水源地帯として開発され、多くのダムが築かれて行きました。洲本の水道ダムとして最初に築かれた猪鼻ダムは昭和9年に竣工しています。
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水圧を堤体の自重で支える重力コンクリート式のダムです。積み上げた礎石にモルタルを充填する当時の一般的な工法で造られています。
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神戸市が造成した3つのダムに比べると堰堤の幅は半分程度でダムとしては比較的小規模ですが人口の違いを考えれば十分な大きさと言えます。
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堰堤は至ってシンプルな構造です。ゲートには開閉装置がなくそのまま越流させる形式になっています。
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残念ながら天端は立入できません。
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下流側から眺めた堰堤。相当な高さがあります。
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大きな川が無く且つ降水量が少ない淡路島は昔から水利に苦心し、島内には多くの溜池が各地に築かれていました。
当時まだ市制施行前だった洲本町にとってこの水道ダムの建設は大事業だった事と推測されますが、近代水道の整備は洲本をより大きく発展させて行く事となりました。
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by sunshine-works | 2009-01-06 00:37 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 12月 27日
旧兵庫農工銀行洲本支店(淡路信用金庫洲本本町支店)
淡路島の近代建築その5

洲本市の中心街、本町通りの一角にピンク色に塗られた古びた銀行が建っています。この建物は旧兵庫農工銀行の洲本支店として昭和10年に建てられました。設計:国枝博
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特殊銀行として全国に設立された農工銀行はやがて勧業銀行に統合され現在のみずほ銀行へ繋がります。兵庫農工銀行洲本支店も竣工後まもなく勧業銀行洲本支店と改められました。この勧業銀行も戦後に撤退し昭和28年からは淡路信用金庫の本店建物に転用されました。
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若干の手直しはされていますが竣工時の姿を良く留めています。古典様式に則ったこの時代の銀行建築の一般的な特徴を備えています。
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現在アーケードとなっている南側が正面です。玄関両脇にオーダー柱が添えられ、入口上部は三角ペディメントで飾られています。
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東側にはオーダー柱はありません。入口も控えめな造りです。この面にはアーケード屋根がない為に軒の装飾や壁面のレリーフが良く見てとれます。
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窓枠は換えられているようですが面格子は当時のものと思われます。
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洲本の中心部であるこの周辺は明治以降多くの商業施設が建ち並びましたが、現存する戦前の建造物は数える程になってしまいました。連絡船で結ばれていたとは言え現在ほど交通アクセスが整備されていなかった当時、明石海峡を隔てた島嶼の一都市がこのような立派な銀行建築が建てられる程に繁栄していた事を今に伝える建物です。
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by sunshine-works | 2008-12-27 05:50 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2008年 12月 23日
旧鐘淵紡績洲本工場施設その2
淡路島の近代建築その4

前回に引き続いて旧鐘淵紡績洲本工場の2回目をお送りします。
今回はこの一帯に残る4つの旧工場建物のうちの北側(かっての工場敷地の奥側)に位置する建物を紹介します。

洲本アルチザンスクエアの名称で商業テナントと文化施設が入居する複合ビルとして使用されているこの建物は旧紡績工場及び旧気缶室を再利用したものです。
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この部分は前回紹介した建物と同じく旧気缶室だった建物です。前方部分を残して後ろ側に新造部分を繋いでいます。
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建物から伸ばされたゲートは旧紡績工場の壁面を利用しています。
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建物内側です。旧建物の壁面が随所に残されています。
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アルチザンスクエアの隣には洲本市立図書館が並びます。この建物も旧紡績工場の壁面を利用しています。
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図書館入口に聳えるこの四角い構造物は塵突と呼ばれる埃や繊維屑を排出する設備です。
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少し離れた場所には旧原綿倉庫だった建物が残っています。一時期 美術館として利用されていましたが現在は閉鎖されています。
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淡路島最大の工場だった鐘淵紡績の存在によって洲本市は企業城下町として発展していきました。地域経済に大きく貢献したこの工場はその役割を終えましたが、中心施設として再び街のシンボルとなっています。
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by sunshine-works | 2008-12-23 08:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 12月 18日
旧鐘淵紡績洲本工場施設その1
淡路島の近代建築その3

戦国時代に築かれた洲本城の城下町だった洲本の街は淡路島の産業・文化の中心として栄えました。明治以降に進出した近代産業もこの洲本がその始まりとなりました。明治後期には洲本川河口の埋立地に鐘淵紡績の工場が築かれ、以来昭和60年代初頭まで淡路島最大の事業所として操業が続けられていました。その後この広大な工場跡地にはショッピングセンターやバスセンターが設けられ公共空間として再生されましたが、中央の一角には紡績工場時代の建物が数棟残されています。今回と次回に分けて現存するこれらの煉瓦建物を紹介して行きます。
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大正5年築、紡績工場の気缶室だった建物です。現在はレストランと物産の直売所になっています。
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2階部分に入り口を設けた特殊な造りです。ボイラーが設置されていた棟と思われます。
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窓は付け替えられていますが、煉瓦壁は当時のままです。
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隣り合った2つの棟が組み合わさった複雑な構造になっています。
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建物裏側です。
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周辺は市民広場として旧工場建物を利用した公共施設や観光施設に活用されています。古い建物と広大な敷地を活かした旧工場施設ならではの優れた再生事例となっています。
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by sunshine-works | 2008-12-18 21:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 12月 13日
塩屋橋
淡路島の近代建築その2

県立淡路島公園内の昭和池に架けられているこの3連アーチのトラス橋は元々は淡路島の洲本市を流れる洲本川に架けられた橋でした。竣工:大正7年、兵庫県で最初の鋼橋と言われています。
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洲本川の下流、洲本の中心街に近い塩屋に架けらた橋でしたが、昭和33年に上流側に新しい橋が架けられた際に兵庫県美方郡に移設され戸田橋として昭和57年まで使用されました。その後再び淡路島に戻りこの公園で人道橋として利用されています。
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緑豊かな公園の人造湖を渡る橋です。人道橋に改装された際に木の路床と手すりが加えられています。移設されたのはトラス部分なので橋脚は後年のものです。竣工時は6連のトラス橋でしたが移設時に分割され、現在は3連のみ現存しています。

橋の南詰から北へ渡ってみます。
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L字鋼をリベットで接合したこの時代の一般的な工法です。
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橋の北詰から南側の眺めです
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建築物と異なり、このような鋼製の橋は他の場所へ移設されその後も使い続けられる例が多くありました。分解や移送が容易で組み立ても比較的楽である事や構造や強度に応じて用途を軽減して行けば相応に転用出来る事がその理由でしょうか。架け替えに際しこのように移設・流用される橋が近年少なくなっているのは些か残念な事です。
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by sunshine-works | 2008-12-13 19:16 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 12月 09日
江崎灯台
淡路島の近代建築その1

舞子から明石海峡大橋で4キロ程、ほんの数分で対岸の淡路島へ到着します。阪神間を西へ辿って来た近代建築Watch、今回からは明石海峡を渡って淡路島を探訪します。
淡路島は瀬戸内海最大の島で人口約15万人、京・大阪に近く四国への経路でもあった為に古くから文化や産業が栄えました。明治以降は近代産業も進出し島内には多くの近代化遺産が残っています。
淡路島の近代建築その1は我が国の洋式灯台黎明期に築かれた灯台を紹介します。
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開国後に欧米諸国と結ばれた条約に基づいて全国に設置された条約灯台の一つとして明治4年に建てられました。現存する石造灯台としては3番目に古い灯台です。設計は日本の灯台の父として知られるリチャード・ブラントンです。
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淡路島の北岸、瀬戸内海で最も多くの船舶が通行する明石海峡の要にあたる場所に設けられています。灯台自体の高さとしては3階建ての建物程度ですが、小高い丘の上に設置されている為に海面からはかなりの高さがあります。
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瀬戸内海をバックに純白に塗られた灯台が際立ちます。装飾的な要素はありませんが独特の機能美は灯台ならではのものです。
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江崎灯台は明治4年の設置以降長い間海峡の安全を守って来ました。現在その役割は近くに設置された大阪湾海上交通センターに移管されていますが、この灯台は我が国が近代国家の第一歩として手掛けた灯台事業の記念碑的存在でもあります。
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by sunshine-works | 2008-12-09 22:49 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)