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2019年 05月 05日
三永水源池堰堤
広島県東広島市の近代建築その2

東広島市の中心街から南へ程なく、住宅街のはずれに豊かに水を蓄えた人造湖が広がります。
この湖は昭和18年に呉市の水道ダムとして設置されました。
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市街地に山が迫る港湾都市の多くは水量に恵まれた河川が乏しく、安定した水源の確保が課題でした。
呉市も状況は同様で、当初は二河川に設置した水道ダム(軍用水道として竣工、その後一般にも供用)で対応しましたが、給水量は限界に近く、急増する人口に対して新たな水源が求められる事となります。
このような経緯から建設されたのがこの三永水源施設で、戦時の厳しい状況にも係わらず起工後僅か4年で竣工しています。
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重力式コンクリートの堰堤は堤長145メートル、堤高14メートル。最大貯水量は264万㎥で既存の本庄水源地の190万㎥を上回る大規模なものとなりました。
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広い通路が対岸まで繋がる堰堤上部。湖面側の欄干にはアーチを模った装飾が施されています。
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ダム湖側から眺めた堰堤。中央に取水設備を張り出します。
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by sunshine-works | 2019-05-05 11:55 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 06日
柊野堰堤
京都市北区の近代建築その9

京都市街地から鴨川沿いを北へ進んで程なく、郊外の開けた景色の中に昭和初期に築かれた砂防堰堤が置かれています。
堤長96メートル、堤高7メートルの重力式堰堤からなるこの柊野砂防堰堤は昭和15年に完成しました。
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京都市の中心部を南北に貫く鴨川は古くから氾濫を繰り返していましたが、昭和10年には160名の死者、5万戸を超える家屋浸水、鴨川に架かる大半の橋梁を押し流す大規模な水害を引起こします。この対策として進められた河川改修事業の一つとして起工されたのがこの砂防堰堤で、土砂の流出を防ぎ川流を安定させる役割を担います。昭和11年から4年の工期をかけて竣工した堤長96メートルの柊野堰堤は都市近郊に設置された砂防ダムとしては大規模なものとなりました。
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前後二重に堰堤を並べた構造。後ろの主堰堤が土砂を受け止める役割、前方の副堤は流量を安定させるためのものです。
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増水時用の水門が設けられた堤両脇の袖部分。堰堤の表面は荒い石が積まれています。
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by sunshine-works | 2019-01-06 11:12 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 30日
湊川隧道
神戸市兵庫区の近代建築その16

神戸電鉄湊川駅の北西、市街地を見下ろす小高い丘に緑豊かな公園が開かれています。
この会下山公園の地下には明治期に築かれた煉瓦造のトンネルが保存されています。日本初の近代河川トンネルとして掘られたこの湊川隧道は明治34年に竣工しました。
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旧湊川はたびたび氾濫を起す暴れ川で、洪水対策は長年の課題となっていました。また、流れ込む土砂による神戸港の埋没問題と流路による市街地の分断は近代化が進む神戸の発展の妨げにもなっていました。
これらの対策として計画されたのは、それまで南流して神戸港に注いでいた川の流れを会下山の手前で西へ曲げ、山の下に通した隧道を経由して別の川へ繋げる工事で、付け替えられた川の流れは神戸港外の和田岬の西に注ぐというものでした。
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標高80メートル程の会下山の地下を東西に貫く隧道の長さは後年の増築部を含めて680メートル。直径は7メートル強の円形断面。
明治30年から4年の工期を掛けて完成します。
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側壁と天井に積み上げられた煉瓦の総数は450万個以上。流路となる底面には切石を敷き詰めています。
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この湊川隧道は平成12年に新しいトンネルの完成で100年に及ぶ役目を終えますが、修復の後に保存されました。
現在は定期的な見学会やイベント会場として公開されています。
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こちらは水路の出口側の坑門。どちらの抗門も阪神淡路大震災で崩れた後に再建されたものですが、元の姿が忠実に保たれています。
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傍らに設置されたベンチには竣工当時に使用されていた煉瓦が使われています。
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こちらは再建前の抗門に掲げられていた扁額の写し。
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by sunshine-works | 2018-09-30 10:52 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 16日
愛媛県東予の近代建築補遺1
愛媛県東予の近代建築補遺1

ここまで愛媛県東予地区の近代建築を巡ってきましたが、未掲載の物件が幾つか残りました。今回と次回でこれらを紹介します。
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別子銅山の端出場鉱区から東平鉱区へ通じる道の脇に架けられた明治期のアーチ橋。明治38年築の遠登志橋(おとしばし)は鋼アーチ橋として現存最古のものと言われています。
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アーチ橋として架けられたこの遠登志橋ですが、老朽化に伴って近年に吊橋への改修が行われました。アーチ部分はそのまま残されていますが、桁の加重を支える役割は担っていません。
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旧別子鉱山鉄道星越駅の傍に架かるコンクリートアーチ橋。この下に敷かれていた鉱山鉄道の線路を跨ぎ、向こう側の選鉱所へ渡る橋として架けられました。
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西条市から松山市へ向かう県道脇に残る古いコンクリート橋。志川橋は昭和6年に架けられた充腹コンクリート橋です。
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今治と松山を結ぶ山道の途中に架かる昭和12年築の落合橋。こちらは開腹コンクリートアーチ橋。
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伊予小松駅南の溜池大谷池に残る旧樋門。大正9年に竣工した煉瓦造の樋門です。池の改修工事によって役目を終えましたが、保存施設として公開されています。
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by sunshine-works | 2018-09-16 11:42 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 05日
今治市上水道水源地ポンプ室
愛媛県今治市の近代建築その2

今治市街地の南部、蒼社川沿いの一角に木々が茂る開けた緑地が置かれています。
この一角に昭和初期に建てられたコンクリート建物が残されています。この建物は今治市の近代水道開設時に設けられた水源地ポンプ室で、現在も現役で使われています。昭和11年築。
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今治市の近代水道は愛媛県で2番目、東予地区では始めての公営水道として昭和9年に起工され、2年後の昭和11年に給水を開始します。水源となった蒼社川の伏流水を汲み上げ、送水する為に設置されたのがポンプ室を中心とするこの施設です。
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6連の縦長アーチ窓が並ぶ背面の様子。同様な窓は前面、側面にも配されています。
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おそらく竣工当時のままの窓枠。屋外に置かれた設備も相応に古いものと思われます。
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by sunshine-works | 2018-08-05 12:35 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 16日
長江浄水場

広島県尾道市の近代建築その3

前回は尾道の近代水道創設時に設けられた貯水ダム久山田水源地を紹介しましたが、同時期に開設された浄水場が現存施設として使われています。この長江浄水場は大正14年に竣工しました。
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久山田貯水池から南西へ約2キロメートル、市街地を望む高台に据えられた長江浄水施設は緩速濾過池4基を中心とする施設で、最大配水量4,500㎡の規模を備えます。
この長江浄水場には大正14年に設置された一連の施設の殆どが当時のまま残され、今も現役施設として使われています。
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敷地の中央、半扇状に並ぶ4つの濾過池。緩速濾過方法は水道創成期に各地の浄水施設に取り入れられましたが、広い敷地が必要な事、原水の品質が高くないと浄化できない事等で、その後は浄水効率に優れた急速濾過方法に置き換わっていきます。
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半円扇型に並ぶ濾過池の内側地下には半径14メートルの配水池が設けられ、その中央地上部に12角形の上屋が建てられています。
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この浄水場は非公開施設ですが、事前に申し込むと見学が可能。特別に配水池上屋内部を見せて頂きました。
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敷地の隅にある着水井。久山田貯水池から送られた原水を受ける施設です。
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敷地入口近くに建つこの施設はベンチュリー上屋と呼ばれるもので、配水量を計測するメーターを収めています。
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by sunshine-works | 2017-12-16 23:57 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 09日
久山田水源地堰堤
広島県尾道市の近代建築その2

尾道市の中心部から北西方向へ。
険しい勾配を上った先に尾道の近代水道創設時に築かれた水道ダムが置かれています。
石貼りの堰堤が美しい円弧を描くこの久山田水源施設は大正14年に竣工しました。
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コンクリートに切石を貼った堰堤は重力式とアーチ式の複合形式。堤長75メートル、堤高22メートル、最大貯水量は74万立米。開設時の給水人口は約4万人に及びました。
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海岸線近くまで山が迫り、大きな河川が無い尾道は古くから用水に恵まれず、近代水道の開設に際しては貯水ダムを設置して給水する方法を採用します。
水道事業の計画段階に於いては同じような地理的背景を持ち、全国に先駆けて水道ダムを運用していた神戸市に範を求め、技師長には元神戸市の水道課長を招聘。水道事業全体の設計も神戸の水道に深く係わった佐野藤次郎の原案が基となっています。
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麓から見上げた堰堤部。中央に越流口を設けます。
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湖面からの眺め。堰堤上部は通路となっていて対岸に渡ることが出来ます。
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by sunshine-works | 2017-12-09 23:57 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 25日
旧佐波浄水場
広島県福山市の近代建築その3

福山の中心街の南西部、小高い台地の公園の中に古い煉瓦構造物が保存されています。
この公園は福山市の近代水道開設時に浄水場が置かれていた場所で、大正14年の竣工当時の施設が現存しています。
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福山初の近代水道の浄水場として設置された佐波浄水場は大正14年に通水開始し、昭和52年まで使用されました。
公園として整備された跡地には配水池、浄水井上屋、門柱が当時の姿で残されています。
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浄水井上屋。浄化した水の点検と管理の為に設けられた施設で、浄水はここを経て次の配水池へ送られていきます。
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敷地を奥へ進んだ先に配置された旧配水池。上水はここに蓄えられ、高低差を利用して福山市街地へ給水されていきました。
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配水池の上部。温度を保つ為の土が敷かれ、芝が植えられています。
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配水池の側面。イギリス積の煉瓦壁を切石の支柱が支えます。
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北面からの眺め。正面にあたるこちら側には扁額が掲げられています。
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当時の正門と通用口に使われていた門柱が移設保存されています。
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by sunshine-works | 2016-06-25 09:52 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 28日
旧北吸浄水場配水池
京都府舞鶴市の近代建築その9

舞鶴湾の自衛隊桟橋を見下ろす高台に2棟の煉瓦建物が建っています。
ここはかつて旧海軍によって設置された軍事水道の浄水場があった場所で、現在その跡地には配水池と上屋が当時の姿で残されています。
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舞鶴の軍事水道は軍港設営と平行して進められ、明治34年に完成します。
北吸浄水場は与保呂川の水源地から導いた源水を浄化し配水する施設として設置されたもので、高台の高度差を利用して海軍施設と艦艇に給水を行いました。
この浄水場は戦後舞鶴市に移管されて昭和39年まで使用されましたが、その後浄水施設は取り払われ、配水池とその上屋が残されました。
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配水池は開設時の明治34年に設置された第一配水池と大正10年に増設された第二配水池からなり、それぞれの配水池は大正15年に建てられた煉瓦造、鉄骨小屋組の上屋で覆われています。
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アーチが組まれた入口上部。壁面上部は板張なのでアーチ構造にする必要はないのですが、意匠的な拘りでこのような形になったと思われます。
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日本の近代水道の歴史は明治20年の横浜市に始まり、各地の主要都市に広まっていきますが、舞鶴の軍事水道が完成した明治34年当時近代水道を保有していたのは全国で9都市のみで、舞鶴の水道は大正1年に完成した京都市よりも11年早く設置された事になります。
舞鶴のみならず鎮守府が置かれた他の3軍港も明治中期に水道を設置しており、多くの将兵や艦艇に大量の安全な水を供給する事がいかに重要だったかが計られます。
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普段は内部に立入る事はできませんが、定期的に行われるイベント開催時に配水池内部が公開されます。以下は27年10月のイベント時に撮影したものです。
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池の内部は幾層もの煉瓦壁が迷路のように連なります。
浄水が澱まない為の構造との事です。
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by sunshine-works | 2016-01-28 14:09 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 03日
千本堰堤/忌部浄水場
島根県松江市の近代建築その9

松江市中心部から南へ、山並みに向かう県道の傍らに松江市近代水道開設時に設けられた施設が配置されています。今尚現役で使われているこれらは大正7年から8年にかけて竣工しました。
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山陰の拠点として近代化が進められた松江市は、他の主要都市と同様に近代水道設置を検討します。明治中期、松江市は全国の近代水道を指導した技師バルトンを招聘し、当時の忌部村を水源とするプランを立てますが予算が折り合わず実現されませんでした。
その後の人口増と陸軍駐屯地の配置で再び必要に迫られた松江市はほぼ原案通りで水道開設を決定、5年の歳月を掛けて大正8年に全国37番目の近代水道の給水を開始します。
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県道から斜面を下ると見えて来る石積み堰堤。周辺施設を含めてほぼ当時の姿を留めます。
構造は重力式の礎石コンクリートダム。堰堤高16メートル、幅110メートル、貯水量は38万立方メートルで開設時は市域の5万人に給水しました。
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コンクリートで固めた礎石の表面に花崗岩を積んだ堰堤。左岸側が越流部、右岸側には取水塔を繋ぐ通路が設けられています。
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麓からの眺めです
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三連アーチの管理橋も当時のまま残ります。
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ダムから少し離れた場所に設けられた忌部浄水場。開設時の4つの緩速濾過池や調整井、集合井の上屋が現役で使われています。
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by sunshine-works | 2015-09-03 23:48 | 近代建築 島根県 | Trackback | Comments(0)