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2019年 11月 24日
伊予鉄道小野川橋梁/内川橋梁
愛媛の鉄道遺産

以前に明治期に設置された伊予鉄道石手川橋梁を紹介しましたが、この伊予鉄道横河原線の東部には同じく明治期に竣工した橋梁が2橋現存します。これらの橋は同線が全通した明治32年に架けられました。
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平井駅~梅本駅の中間に架けられた小野川橋梁。2基のコンクリート橋脚の上をプレートガーダーが渡ります。橋脚は後年に取替えられたものと推測されますが、英国規格のポーナル桁は当時のままで使われています。
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桁の補構材の両端がJ字型に曲がるポーナル桁。明治期の鉄道橋梁に多く用いられた古い規格です。四国内には以前に徳島県の数橋を紹介しましたが、愛媛県内の現存例はおそらくこの2橋のみと思われます。
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橋桁に貼られた銘盤には「阪鶴鉄道汽車課工場製造」「明治32年」の文字が刻まれています。阪鶴鉄道は現在の福知山線や舞鶴線の前身となった民営鉄道ですが、同社の発起人の一人が愛媛県出身だった所以で阪鶴鉄道製造のこの桁が用いられたと思われます。

牛淵団地前駅付近に架かる内川橋梁。石積みの橋台に1連のポーナル桁が渡ります。
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by sunshine-works | 2019-11-24 10:45 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 17日
岩堰橋
愛媛県松山市の近代建築その9

前回紹介した立花橋から石手川を上流に辿って進みます。市街地を通り過ぎて郊外へ差し掛かる辺り、緑地公園の一角に大正期に架けられた吊橋が残されています。松山市内に現存する吊橋の中で最古と思われるこの岩堰橋は大正13年に架けられました。
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橋長18メートル、幅4メートル程の小さな橋。鋼製のトラス桁とコンクリート製の主塔からなる近代吊橋の概要を備えます。
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後年に土手が嵩上げされた事で親柱の下部は道路に埋没しています。
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橋上からの眺め。ケーブルは交換されている可能性がありますが、フレーム部分は当時の状態が保たれています。
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こちらは左岸側の主塔
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左岸側の親柱も大方埋まった状態です。



by sunshine-works | 2019-11-17 11:34 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 10日
立花橋
愛媛県松山市の近代建築その8

前回は石手川を渡る伊予鉄道石手川橋梁を紹介しましたが、石手川橋梁の一つ上流側にも古い歴史を持つトラス橋が架けられています。この立花橋は昭和3年に架けられました。
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旧久万街道に架けられた1連の鋼製ポニーワーレントラス。松山市内に現存する道路トラス橋の中で最古のものと思われます。
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側面からの眺め。歩道部分は後年に付け加えられたものです。
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上部の飾りは復元されていませんが、4基の親柱が現存しています。
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by sunshine-works | 2019-11-10 10:59 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 03日
伊予鉄道石手川橋梁
愛媛の鉄道遺産

松山の市街地の南、石手川沿いに公園緑地が設けられています。細長く連なる敷地の中程には伊予鉄道石手川公園駅が置かれていますが、この駅のプラットホームの一部は明治期に架けられた橋梁上に置かれています。明治26年に架けられたこの石手川橋梁は現役の鉄道トラス橋梁として国内最古のものです。
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煉瓦橋脚の上を渡る橋長36メートルのピン結合式錬鉄製ポニープラットトラス。
明治中期、イギリスから全国各地の路線に同タイプの桁が多数導入されましたが、その後殆どが架け替えられており、この石手川橋梁は竣工当時のまま同一位置で使われている希少な事例となります。
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桁を支えるイギリス積み煉瓦橋脚。左右の橋台も煉瓦が積まれています。
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日本で二番目に古い歴史を持つ伊予鉄道は、松山市中心部と臨海部の高浜港を結ぶ高浜線を明治25年に全通させます。高浜線に続く2番目の路線として翌明治26年に開業したのが横河原線で、軽便鉄道規格の軌間762mmで線路が敷かれました。この石手川橋梁も当初は軌間762mmに合わせた桁幅でしたが、昭和6年に標準軌に改軌された際に拡幅されています。
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石手川公園駅の北方、松山市駅へ向かう線路は煉瓦造りの小さな溝橋を渡ります。
この伊予鉄道第26号溝橋も同線開業当時の姿を伝える貴重な遺構です。
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下をくぐる道路と上を渡る線路はやや斜めに交差しています。相互の角度に合わせる為に、アーチ上部の煉瓦を一段毎にずらして調節を図る、凝った造りとなっています。
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by sunshine-works | 2019-11-03 11:08 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 27日
予讃線重信川橋梁
愛媛の鉄道遺産

四国最長の鉄道路線予讃線は、松山市南部で一級河川重信川を渡ります。この地点に架けられた重信川橋梁は昭和5年の開通当時の桁と橋脚が今尚使われています。
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重信川の河口から約5キロ、下流の広い川原を14基のプレートガーダーが渡ります。橋長277メートルは予讃線で最長の橋梁となります。
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予讃線は大正5年の観音寺~川之江間開業によって愛媛県に達し、昭和2年に県都松山までが結ばれます。この重信川橋梁は昭和5年に松山から南へ延伸された最初の工区に設置されたもので、同区間最大の工事となりました。
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香川県側から延伸を重ねた予讃線は、最初の開業区間からこの地点に到達するまで約30年を要しています。この期間に大きく変わったのが橋脚の造りで、香川県側には多く見られた煉瓦・石積み橋脚に代わって、このようなコンクリート製の楕円断面のものが用いられています。
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コンクリート橋脚の上を渡るプレートガーダー桁。大正中期以降の旧国鉄橋梁に用いられた形式のものです。銘板には「汽車製造株式会社」「昭和4年」「鉄道省」と刻まれています。
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by sunshine-works | 2019-10-27 11:28 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 25日
今福線の遺構2
島根の鉄道遺産

前回に引き続いて広浜鉄道今福線の遺構を紹介します。
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5連アーチから程なく、軌道跡は今福第三トンネルを抜けて南へ進みます。この今福第三トンネルは建設当時の姿をほぼ保った状態で残されています。
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トンネルを抜け、県道を渡った場所に同様のトンネルが掘られています。この今福第四トンネルの先には小さな川を渡る4連のアーチ橋が架けられています。
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川を渡る4連アーチ橋。蛇行する江の川沿いに敷かれた三江線と異なり、今福線はトンネルや橋梁が多用されています。完成していればトンネルを抜けて高架で川や谷を渡る雄大な眺めが楽しめたと思います。
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更に南へ進んだ先にも小さなトンネル跡が残されています。今福第五トンネルとその付近の橋脚跡です。
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市道として転用されている4連アーチ橋。地元では「おろち泣き橋」と呼ばれています。
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昭和15年に中断した今福線の工事は昭和45年に再開されますが、この路線は石見今福と浜田を結ぶ新線として引き直されたもので、戦前にほぼ完成していた旧線区間は未成線として放置される事となります。その新線も着工から10年後に再び工事中止となり、広浜鉄道の計画は幻に終わります。そもそもモータリゼーションが進行していたこの時期にわざわざ収益性の低いローカル線の工事に着手する必要があったのか甚だ疑問で、この昭和45年にその後に広島と浜田を結ぶ動脈となる浜田自動車道の計画が決定する中での工事再開は最初から大きな矛盾を抱えていたと思われます。
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旧線との分岐点近くに残る新線のトンネル跡。


by sunshine-works | 2019-08-25 11:32 | 近代建築 島根県 | Trackback | Comments(0)
2019年 08月 18日
今福線の遺構1
島根の鉄道遺産

浜田駅から一駅手前、下府駅付近から県道を南東へ進んで行くと、道中の傍らに古びたコンクリート構造物やトンネル跡が点々と残されています。
これらはかつて浜田と広島県を結ぶ路線として計画、起工された広浜鉄道今福線の施設跡で、工事途中で中止となった遺構が現在もその姿を留めています
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明治41年の山陰本線米子~安来間の開業に始まる島根県の鉄道は昭和3年に飯浦~須佐の開通で山陰本線の県内区間が全通し、海岸線に沿った東西の導線が整います。
これに対し沿岸部と山間部を結ぶ南北方向の鉄道路線の整備はやや遅れますが、大正期から昭和初期にかけて県西部の山口線、東部の木次線、中央部の三江線の3路線が開通し、県内の鉄道網が完成します。
今回紹介する今福線は山口線と三江線の間で南北を繋ぐ4本目の路線として計画されたもので、広島と浜田を結ぶ広浜鉄道の島根川区間として昭和8年に起工、戦況の悪化で昭和15年に工事中断、戦後にルートを変更して工事再開、昭和55年に国鉄の経営状況悪化に伴い再び工事中断、その後は再開される事なく廃線に至ると言う経緯を辿りました。
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下府駅から南東へ進んだ山裾に残るトンネル跡。この下府第一トンネルは昭和8年に起工された今福線の最初の工区に残る遺構です。
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山の中腹に開けられた有福第三トンネル。手前に設置されたコンクリート橋脚で高架を渡す予定でした。
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川縁や斜面にも同様の橋脚が残されています。
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今福第一トンネルに接続する高架を支える目的で建てられた橋脚。この道中で最も規模の大きな橋脚群です。
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トンネルの坑口付近から見下ろす橋脚群。
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先ほどの橋脚と繋がる今福第一トンネル跡。
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鉄道施設の幾つかは道路として再利用されています。この五連アーチ橋も軌道跡が県道として使われています。
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戦時体制に移行する中で進められた今福線では鉄材節約の為にコンクリート橋が多用されています。

広浜鉄道は下府~石見今福を結ぶ今福線と広島市内から三段峡まで延伸予定の可部線を接続し、山陰山陽を結ぶ陰陽連絡線となる予定でした。戦前の段階では今福線がほぼ完成状態で工事中断、可部線は安芸飯室駅までの延伸に留まり、計画は戦後に持ち越されますが、結局はこの長い中断が仇となって未成のまま終わる事となってしまいます。
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※次回はここから石見今福までの区間に残る遺構を紹介します。


by sunshine-works | 2019-08-18 11:55 | 近代建築 島根県 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 16日
山陰本線郷川橋梁
島根の鉄道遺産

海岸線に沿って進む山陰本線は江津市の中心部で江の川下流の広い川幅を渡ります。5連のトラスを連ねるこの郷川橋梁は大正9年に架けられました。
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明治45年に京都~出雲今市間が結ばれた山陰本線はその後も東への延伸を続け、大正9年には浅利~ 都野津間が開通し石見江津駅が開業します。
この延伸区間最大の工事となったのが川幅500メートルに及ぶ江の川の渡河で、山陰本線としては兵庫県の旧餘部橋梁と並ぶ大規模な橋梁工事となりました。
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中央に5連の単線曲弦ワーレントラス、その前後にプレートガーダーを連ねます。橋長486mは島根県の鉄道橋で最も長いもの、山陰本線全線でも鋼橋として最長となります。
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コンクリート製の橋脚は島根県内に現存する中でも初期のもの。全国的にもこの橋が架けられた大正後期頃にそれまでの煉瓦・石積み橋脚からコンクリート橋脚へ移行していきました。
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5連のトラス桁はそれぞれ製造者が異なり、当時を代表する橋梁メーカーの4社が受け持っています。
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美しい曲線を描く5連のトラス。左岸からの眺めです。
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by sunshine-works | 2019-06-16 11:42 | 近代建築 島根県 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 24日
阪神国道の橋梁遺構
阪神国道の橋梁遺構

大阪と神戸を結ぶ道路は明治の近代化以降も旧中国道や旧西国街道等の前時代の道筋に頼る状態で、物流や人々の移動の大方は鉄道が担っていました。
しかし自動車が普及しだした大正期になると都市間輸送路として本格的な道路の必要性に迫られ、大正9年に兵庫県は国庫の援助を得て大阪神戸間の道路建設を起工、6年後の昭和元年に完成させます。
阪神国道と呼ばれたこの新道は中央車線に路面電車を併設する道路幅約30メートルの直線道路で、発展を続ける阪神間の大動脈に相応しい高規格のものでした。
現在の国道2号線の一部となったこの道路の現在は沿道の景色が大きく変わって路面電車も撤去され、当時の面影は殆ど残っていませんが、唯一竣工当時の姿を留めるものとして大小数多くの河川に架けられた橋梁の遺構が点在しています。
今回はこれらの橋梁に残された古い親柱や高欄、その他構造物を紹介します。
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大阪と兵庫の府県境に架かる左門橋。橋上部は大きく改築されていますが、兵庫県側には親柱が残されています。
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下流側からの遠景。桁自体は架け換えられていますが、橋脚には竣工時の石積み構造物が確認出来ます。
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尼崎の中心部へ向かう途中に渡る小さな橋。4基の親柱がありますがおそらく後年に複製されたものと思われます。
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阪神尼崎駅近くの庄下川を渡る玉江橋。親柱の土台と高欄の一部が当時のものと思われます。
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西へ進んで蓬川を渡ります。この入江橋も4基の親柱が現存します。
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この橋に限らず親柱の上に金属製の灯具を据えた橋が幾つもありますが、これらや高欄の鉄格子は戦時中の金属供出で一旦失われた筈です。現在残されているものの殆どはデザインを変えずに復元されたものと思われます。
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尼崎市と西宮市の境に架かる武庫大橋。阪神国道で最長の橋です。この橋についてはこちらを御覧ください。
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西宮市の阪神国道駅近くの今津橋。川は無くなっていますが親柱と高欄の片側が残されています。
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夙川を渡るこの橋にも当時の親柱が残されています。
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芦屋市の打出川に架かる橋。ここも4基の親柱が健在です。
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芦屋川に架かる業平橋。竣工当時の石積みの橋脚基礎が残ります。
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橋上の様子。遠くには以前紹介した芦屋仏教会館が見えます。
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神戸市東灘区の御影公会堂近くに架かる石屋川橋。
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戦前に架けられた橋にはシンボリックな装飾を施した親柱を持つものが数多くありました。これらは戦後に架け替えられた際に橋と共に撤去されてしまう事が殆どで、保存や再建される事例は極めて僅かです。
今回紹介した阪神国道の一連の橋脚遺構はこれだけの数が連続して残る全国的にも希少なものと思われます。



by sunshine-works | 2019-02-24 11:57 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 28日
東海道本線桂川橋梁
京都の鉄道遺産

東海道本線の下り列車は京都駅を出て程なく、右京区と西京区の境で最初の大きな川を渡ります。ここに架けられた桂川橋梁には同区間の開通当時に設置された煉瓦造の橋台や明治後期と昭和初期に掛けられた古いトラス桁が今尚現役で使われています。
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明治7年に神戸~大阪間で開通した現在の東海道本線の西側区間は3年後の明治10年に京都まで通じます。桂川橋梁はこの区間の開通に合わせて設置されたもので、レンガ構造物の下部構の上に英国製のピン結合ポニーワーレントラス桁が渡されました。
この初代桂川橋梁はその後の列車の重量化と運行本数の増加に応じる為、明治45年にアメリカ規格のポニーワーレントラス桁に架け替えられます。現在上り線となっている上流側の橋梁がこの時のものです。
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橋長360メートル、桁高が低いワーレントラスを複線合計24基連ねます。桁は輸入桁のアメリカンブリッジ製と国産の汽車製造製のものが混在しています。
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基礎部分に残る開業時の煉瓦構造物。
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下流側に並行する下り線橋梁。この区間が複々線化された昭和3年に架けられました。川崎造船製の12連の曲弦トラスが渡ります。
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コンクリート造の橋脚も桁と同じ昭和3年のものと思われます。
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並行する二つの橋桁の眺め。右が明治45年、左が昭和3年の桁です。
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この位置からは左が明治45年、右が昭和3年の桁。


河原からの眺め。大きなコンクリート製橋脚が並びます。
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京阪神地区で戦前に架けられた東海道本線橋梁の中で連続アーチ橋梁は実例が少なく、この桂川橋梁が貴重な現存例となっています。




by sunshine-works | 2018-10-28 10:53 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(2)