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2019年 06月 16日
山陰本線郷川橋梁
島根の鉄道遺産

海岸線に沿って進む山陰本線は江津市の中心部で江の川下流の広い川幅を渡ります。5連のトラスを連ねるこの郷川橋梁は大正9年に架けられました。
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明治45年に京都~出雲今市間が結ばれた山陰本線はその後も東への延伸を続け、大正9年には浅利~ 都野津間が開通し石見江津駅が開業します。
この延伸区間最大の工事となったのが川幅500メートルに及ぶ江の川の渡河で、山陰本線としては兵庫県の旧餘部橋梁と並ぶ大規模な橋梁工事となりました。
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中央に5連の単線曲弦ワーレントラス、その前後にプレートガーダーを連ねます。橋長486mは島根県の鉄道橋で最も長いもの、山陰本線全線でも鋼橋として最長となります。
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コンクリート製の橋脚は島根県内に現存する中でも初期のもの。全国的にもこの橋が架けられた大正後期頃にそれまでの煉瓦・石積み橋脚からコンクリート橋脚へ移行していきました。
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5連のトラス桁はそれぞれ製造者が異なり、当時を代表する橋梁メーカーの4社が受け持っています。
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美しい曲線を描く5連のトラス。左岸からの眺めです。
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by sunshine-works | 2019-06-16 11:42 | 近代建築 島根県 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 24日
阪神国道の橋梁遺構
阪神国道の橋梁遺構

大阪と神戸を結ぶ道路は明治の近代化以降も旧中国道や旧西国街道等の前時代の道筋に頼る状態で、物流や人々の移動の大方は鉄道が担っていました。
しかし自動車が普及しだした大正期になると都市間輸送路として本格的な道路の必要性に迫られ、大正9年に兵庫県は国庫の援助を得て大阪神戸間の道路建設を起工、6年後の昭和元年に完成させます。
阪神国道と呼ばれたこの新道は中央車線に路面電車を併設する道路幅約30メートルの直線道路で、発展を続ける阪神間の大動脈に相応しい高規格のものでした。
現在の国道2号線の一部となったこの道路の現在は沿道の景色が大きく変わって路面電車も撤去され、当時の面影は殆ど残っていませんが、唯一竣工当時の姿を留めるものとして大小数多くの河川に架けられた橋梁の遺構が点在しています。
今回はこれらの橋梁に残された古い親柱や高欄、その他構造物を紹介します。
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大阪と兵庫の府県境に架かる左門橋。橋上部は大きく改築されていますが、兵庫県側には親柱が残されています。
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下流側からの遠景。桁自体は架け換えられていますが、橋脚には竣工時の石積み構造物が確認出来ます。
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尼崎の中心部へ向かう途中に渡る小さな橋。4基の親柱がありますがおそらく後年に複製されたものと思われます。
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阪神尼崎駅近くの庄下川を渡る玉江橋。親柱の土台と高欄の一部が当時のものと思われます。
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西へ進んで蓬川を渡ります。この入江橋も4基の親柱が現存します。
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この橋に限らず親柱の上に金属製の灯具を据えた橋が幾つもありますが、これらや高欄の鉄格子は戦時中の金属供出で一旦失われた筈です。現在残されているものの殆どはデザインを変えずに復元されたものと思われます。
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尼崎市と西宮市の境に架かる武庫大橋。阪神国道で最長の橋です。この橋についてはこちらを御覧ください。
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西宮市の阪神国道駅近くの今津橋。川は無くなっていますが親柱と高欄の片側が残されています。
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夙川を渡るこの橋にも当時の親柱が残されています。
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芦屋市の打出川に架かる橋。ここも4基の親柱が健在です。
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芦屋川に架かる業平橋。竣工当時の石積みの橋脚基礎が残ります。
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橋上の様子。遠くには以前紹介した芦屋仏教会館が見えます。
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神戸市東灘区の御影公会堂近くに架かる石屋川橋。
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戦前に架けられた橋にはシンボリックな装飾を施した親柱を持つものが数多くありました。これらは戦後に架け替えられた際に橋と共に撤去されてしまう事が殆どで、保存や再建される事例は極めて僅かです。
今回紹介した阪神国道の一連の橋脚遺構はこれだけの数が連続して残る全国的にも希少なものと思われます。



by sunshine-works | 2019-02-24 11:57 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 28日
東海道本線桂川橋梁
京都の鉄道遺産

東海道本線の下り列車は京都駅を出て程なく、右京区と西京区の境で最初の大きな川を渡ります。ここに架けられた桂川橋梁には同区間の開通当時に設置された煉瓦造の橋台や明治後期と昭和初期に掛けられた古いトラス桁が今尚現役で使われています。
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明治7年に神戸~大阪間で開通した現在の東海道本線の西側区間は3年後の明治10年に京都まで通じます。桂川橋梁はこの区間の開通に合わせて設置されたもので、レンガ構造物の下部構の上に英国製のピン結合ポニーワーレントラス桁が渡されました。
この初代桂川橋梁はその後の列車の重量化と運行本数の増加に応じる為、明治45年にアメリカ規格のポニーワーレントラス桁に架け替えられます。現在上り線となっている上流側の橋梁がこの時のものです。
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橋長360メートル、桁高が低いワーレントラスを複線合計24基連ねます。桁は輸入桁のアメリカンブリッジ製と国産の汽車製造製のものが混在しています。
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基礎部分に残る開業時の煉瓦構造物。
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下流側に並行する下り線橋梁。この区間が複々線化された昭和3年に架けられました。川崎造船製の12連の曲弦トラスが渡ります。
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コンクリート造の橋脚も桁と同じ昭和3年のものと思われます。
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並行する二つの橋桁の眺め。右が明治45年、左が昭和3年の桁です。
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この位置からは左が明治45年、右が昭和3年の桁。


河原からの眺め。大きなコンクリート製橋脚が並びます。
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京阪神地区で戦前に架けられた東海道本線橋梁の中で連続アーチ橋梁は実例が少なく、この桂川橋梁が貴重な現存例となっています。




by sunshine-works | 2018-10-28 10:53 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(2)
2018年 10月 07日
嵯峨野観光鉄道保津川橋梁(旧山陰本線保津川橋梁)
京都の鉄道遺産

亀岡市東部から京都市右京区の嵐山を結ぶ嵯峨野観光鉄道(嵯峨野トロッコ列車)は、JR山陰本線の複線化工事により廃線となった嵯峨~馬堀間の路線を観光鉄道に転用して平成2年に開業しました。
渓谷に沿って進むこのトロッコ列車の路線の中程、保津川を跨ぐ地点には昭和3年に架けられたトラス橋が現役で使われています。
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この区間は明治32年に京都~園部間で開業した民営の京都鉄道が開設した路線で、同社は明治40年に国有化され現在の山陰本線へと引き継がれます。
明治32年に竣工した保津川橋梁は同区間最大の橋梁で、保津川の急流を避ける為に川中に橋脚を設けず、80メートルを越える川幅を一跨ぎするトラス桁が用いられました。
現存するこの保津川橋梁は昭和3年に架け替えられた二代目のもので、旧橋の煉瓦橋台の上に支間長85メートルの下路式ワーレントラスが渡されました。
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桁を支える煉瓦造の橋台。
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対岸にも同様の煉瓦造の橋台が据えられています。
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80メートルを超える桁長は当時の鉄道橋梁としては長大なもの。戦前に架橋された山陰本線のトラス橋としては最長スパンのものとなります。
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保津川に沿って整備されたハイキングコースから見下ろす橋の眺め。
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一段下がって橋の間際から細部を伺います。


橋の背後には煉瓦造のトンネルの抗口が迫ります。この清滝隧道は初代の保津川橋梁と同年の明治32年に竣工しました。
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by sunshine-works | 2018-10-07 11:51 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 30日
湊川隧道
神戸市兵庫区の近代建築その16

神戸電鉄湊川駅の北西、市街地を見下ろす小高い丘に緑豊かな公園が開かれています。
この会下山公園の地下には明治期に築かれた煉瓦造のトンネルが保存されています。日本初の近代河川トンネルとして掘られたこの湊川隧道は明治34年に竣工しました。
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旧湊川はたびたび氾濫を起す暴れ川で、洪水対策は長年の課題となっていました。また、流れ込む土砂による神戸港の埋没問題と流路による市街地の分断は近代化が進む神戸の発展の妨げにもなっていました。
これらの対策として計画されたのは、それまで南流して神戸港に注いでいた川の流れを会下山の手前で西へ曲げ、山の下に通した隧道を経由して別の川へ繋げる工事で、付け替えられた川の流れは神戸港外の和田岬の西に注ぐというものでした。
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標高80メートル程の会下山の地下を東西に貫く隧道の長さは後年の増築部を含めて680メートル。直径は7メートル強の円形断面。
明治30年から4年の工期を掛けて完成します。
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側壁と天井に積み上げられた煉瓦の総数は450万個以上。流路となる底面には切石を敷き詰めています。
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この湊川隧道は平成12年に新しいトンネルの完成で100年に及ぶ役目を終えますが、修復の後に保存されました。
現在は定期的な見学会やイベント会場として公開されています。
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こちらは水路の出口側の坑門。どちらの抗門も阪神淡路大震災で崩れた後に再建されたものですが、元の姿が忠実に保たれています。
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傍らに設置されたベンチには竣工当時に使用されていた煉瓦が使われています。
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こちらは再建前の抗門に掲げられていた扁額の写し。
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by sunshine-works | 2018-09-30 10:52 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 16日
愛媛県東予の近代建築補遺1
愛媛県東予の近代建築補遺1

ここまで愛媛県東予地区の近代建築を巡ってきましたが、未掲載の物件が幾つか残りました。今回と次回でこれらを紹介します。
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別子銅山の端出場鉱区から東平鉱区へ通じる道の脇に架けられた明治期のアーチ橋。明治38年築の遠登志橋(おとしばし)は鋼アーチ橋として現存最古のものと言われています。
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アーチ橋として架けられたこの遠登志橋ですが、老朽化に伴って近年に吊橋への改修が行われました。アーチ部分はそのまま残されていますが、桁の加重を支える役割は担っていません。
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旧別子鉱山鉄道星越駅の傍に架かるコンクリートアーチ橋。この下に敷かれていた鉱山鉄道の線路を跨ぎ、向こう側の選鉱所へ渡る橋として架けられました。
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西条市から松山市へ向かう県道脇に残る古いコンクリート橋。志川橋は昭和6年に架けられた充腹コンクリート橋です。
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今治と松山を結ぶ山道の途中に架かる昭和12年築の落合橋。こちらは開腹コンクリートアーチ橋。
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伊予小松駅南の溜池大谷池に残る旧樋門。大正9年に竣工した煉瓦造の樋門です。池の改修工事によって役目を終えましたが、保存施設として公開されています。
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by sunshine-works | 2018-09-16 11:42 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 09日
予讃線 金生川橋梁/加茂川橋梁/中山川橋梁
愛媛の鉄道遺産

JR四国(四国旅客鉄道)の始まりは民営の山陽鉄道が国有化された明治39年に遡ります。この時高松から琴平まで通じていた旧山陽鉄道の路線は国有化後に西への延伸を図り、大正5年の観音寺~川之江間の開通で愛媛県へ到達、その後順次路線は延ばされ、11年後の昭和2年に県都松山までが結ばれます。昭和20年に終着宇和島まで全通するこの予讃線は総延長で四国最長、輸送量に於いても最大の重要幹線として四国の物流を支えてきました。
今回は愛媛県東予地区に現存する予讃線開通時の姿を留める鉄道橋梁を紹介します。
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川之江駅の南西に架かる金生川橋梁。川之江~伊予三島間が開業した大正6年の築。石積み橋脚が古いプレートガーダーを支えます。
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大正10年に伊予西条まで延ばされた路線は次の工区、伊予西条~伊予壬生川区間で大きな川を二つ渡ります。250メートルを超える川幅を渡る二つの橋には予讃線では珍しいトラス桁が用いられました。
伊予西条~石鎚山間の途中に設置された加茂川橋梁の竣工は大正11年。コンクリート橋脚の上を5連のプラットトラスが渡ります。
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その後の時代では一般的なものとなる長楕円形断面のコンクリート橋脚。この橋が架けられた大正後期にそれまでの煉瓦石積橋脚に代わって普及していきます。
この背景にあるのは関東大震災で露見した煉瓦構造物の脆弱性で、相前後して技術が確立しだした鉄筋コンクリート構造物へ転換していく契機となりました。
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加茂川橋梁から5キロメートル程西へ進んだ先で予讃線は再び大きな川を渡ります。この中山川橋梁は大正12年の架橋。加茂川橋梁と同じプラットトラス桁を4連繋ぎ、260メートルの川幅を越えていきます。
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川を越えた土手の両側に広がる田園地帯。この区間には洪水や大水の際に水を逃がす避溢橋が繋げられています。
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by sunshine-works | 2018-09-09 11:16 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 22日
大宮橋
愛媛県西条市の近代建築その4

前回紹介した千野々橋から更に山道を南へ進みます。石鎚山へ至るロープウエイの乗り場近くに昭和初期に架けられたコンクリート橋が現役施設として今も使われています。この美しい橋は昭和2年に架けられました。
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加茂川の上流部、大きな岩が転がる河原を一跨ぎします。橋長42メートルは県内に現存するコンクリートアーチ橋で最長、竣工年昭和2年は県内のコンクリートアーチ橋で2番目に古いものとなります。愛媛県内には大正~昭和初期に架けられたコンクリート橋が数多く現存していますが、この大宮橋に代表される開腹式上路アーチ橋が多数存在するのが他県に無い特色です。
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アーチ部の上に路版を支える支柱が並ぶ開腹式アーチ特有の美しい意匠。細かな装飾が施された支柱上部や支柱間を渡る小さなアーチ等手の込んだ凝った造りとなっています。
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橋上の眺め。親柱や高欄は竣工当時の状態が保たれています。
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by sunshine-works | 2018-07-22 12:02 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 15日
千野々橋
愛媛県西条市の近代建築その3

西条市の南部、石鎚山へ向かう県道の傍らに赤く塗られたトラス橋が渡ります。
この千野々橋は大正14年に架けられました。
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石鎚山から発し瀬戸内海に注ぐ加茂川に架かる橋長34mの曲弦プラットトラス。愛媛県に現存するトラス橋の中で昭和以前に架けられたものは少なく、この千野々橋の他は別子銅山に現存する2橋があるのみ。道路橋としてはおそらく県内最古のものと思われます。
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河原に降りて側面を見上げます。
川面から高い位置に架けられたこの橋は30mを超える川幅を一跨ぎする為に大きなトラス桁が用いられました。
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橋の東詰から西詰へ渡っていきます。
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西詰からの眺め。

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by sunshine-works | 2018-07-15 11:50 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 08日
小松橋
愛媛県西条市の近代建築その2

予讃線伊予小松駅の南方、旧金比羅街道沿いの小さな集落に大正期に架けられたコンクリート橋が現役で使われています。
この美しい橋は大正15年に架けられました。
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石鎚山系を発し瀬戸内海へ注ぐ中山川の支流小松川を渡る3連の鉄筋コンクリート造のガーダー橋。橋長29メートル幅5メートルの小さな橋です。
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四方のすべてに現存する親柱。灯具は近年に復元されたものです。
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クラッシックな意匠は一見石造橋とも思えますが、この欄干を含め、上部構、下部構共にすべて鉄筋コンクリート製。大正末期の築となるこの橋は鉄筋コンクリート橋が地方に普及していく初期のもので、石橋の意匠がそのままコンクリート橋に置き換えられています。
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河原から見上げた側面。桁の側面をアーチ状に仕上げ、中央には要石を模したモールドを飾ります。
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東詰の親柱。
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by sunshine-works | 2018-07-08 12:44 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)