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2019年 10月 13日
新田高校たちばな館(旧新田中学本館)
愛媛県松山市の近代建築その6

前回紹介した旧白楊会館から南東方向、伊予鉄道山西駅の傍に私立新田高校の校地が広がります。この新田高校の正門近く、敷地の北東に同校の前身となった旧制新田中学時代の校舎が残されています。現在記念館として使われているこの建物は昭和15年に建てられました。
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木造2階建て切妻造り。建物中央部分は化粧タイルを貼りRC建物風にファサードを設えます。方形の列柱が支える大きな庇、玄関廻りを飾る切石、明り取りのブロックガラス、窓間を貫く付柱等々、モダンな意匠が施されています。
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松山市で最初の私立中学校となった旧制新田中学は、内外汽船社長の新田仲太郎によって当地に創設されます。この建物は本館として建てられたもので、愛媛県出身の後藤 種一が設計を手掛けました。
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玄関周りの詳細。戦時色が強まり、大規模建築物の規制が始まる昭和15年当時の建物ですが、それらを一切感じさせないシンボリックで堂々とした意匠です。
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玄関両脇に配した明り取りのガラスブロック。柱廻りは大理石で飾ります。
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南側の妻面。この建物は平成4年に移築された際に両翼部分が削られており、この面は移築時に付け足されたものと推測されます。


こちらは建物裏側です。6本の付け柱が正面側の付柱と正対する位置に配置されています。
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by sunshine-works | 2019-10-13 12:08 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 06日
旧白揚会館
愛媛県松山市の近代建築その5

三津の町並みから南方向、松山港へ繋がる大通り沿いに昭和初期に建てられた洋風建築が残されています。この建物は旧愛媛女子師範学校の同窓会館として昭和9年に建てられました。設計施工は地元の棟梁馬野楳太郎が手掛けました。
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木造2階建て、切妻造り。西面と東面は凹凸や段差を付けた複雑な造型、1階にテラスを廻らせた南面はフラットな造りで、面によって印象が異なります。
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屋根や庇が重なり合う西面。入口周りの外装やウッドデッキは飲食店に改装された際のものと思われます。
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この建物の設立母体となった愛媛女子師範学校は昭和18年に男子師範学校と統合され、戦後に愛媛大学教育学部へと発展します。同窓会館として建てられた白楊会館も愛媛大学に引き継がれますが、利用者の減少で民間に売却され、現在に至ります。
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縦長窓が並ぶ南面。建物の外観は洋風意匠ですが、内部は畳敷きの和室と板張りの講堂からなる和洋折衷様式で、宿泊室や講習施設に使われました。
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by sunshine-works | 2019-10-06 10:51 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 29日
旧濱田医院
愛媛県松山市の近代建築その4

三津浜港から三津駅へ戻る途中、古い家並みが連なる一角に大正期に建てられた医院建築が残されています。この建物は大正12年に産科医院として建てられました。
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狭い全面道路から前庭を挟んで一段奥手に建つ木造2階建て下見板貼りの洋風建築。建物両翼を僅かに前面に迫り出したコの字型の配置、中央に切妻庇の玄関入口を配し、その上部に三角破風を立ち上げます。大正期から昭和初期に建てられた木造医院建築の典型的な意匠を留めた建物です。
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入口庇、その上部の破風、左右張り出し部の妻面、角度大きさの異なるそれぞれの三角形が建物を引き締めます。
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医院として昭和47年まで使用されましたが、その後放置され、荒れた状態が長く続きました。現在は内外装の補修を終え、商業施設として再利用されています、
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by sunshine-works | 2019-09-29 12:31 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 22日
石崎汽船旧本社
愛媛県松山市の近代建築その3

前回は三津浜の港湾地区に残る山谷運送部の建物を紹介しましたが、通りを挟んだ向い側には同時期に建てられた鉄筋コンクリート造の事務所ビルが残されています。この建物は石崎汽船の本社ビルとして大正13年に建てられました。
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鉄筋コンクリート2階建て(一部3階建て)、シンメトリーな建物前面に化粧タイルを貼り、三つのアーチ枠が縦長窓を囲みます。入口周りを切石で飾り、上部には小さなバルコニーを張り出すモダンな意匠。設計は関西を中心に多くの作品を残した木子七郎です。
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石崎汽船は松山藩の御用廻船問屋を前身とする長い歴史を持つ旅客海運会社で、拠点となる三津浜港に本社を置いていました。この建物は三津浜港の改修工事と同時期に建てられたもので、愛媛県では最初期となる鉄筋コンクリート造の近代オフィスビルは、海運会社として発展を遂げる同社の威信を掛けた風格のあるものとなりました。
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平成25年までの90年間に亘って本社ビルとして使われましたが、現在は空家となっています。築95年となる建物ですが、大きな改修もなく各部は当時の状態が良好に保たれています。
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壁面に貼られた二種類の化粧タイル。玄関を挟んだ中央の3列の窓周りには茶系のタイル、両脇と側面には白色のタイルが使われています。
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by sunshine-works | 2019-09-22 11:07 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日
山谷運送部
愛媛県松山市の近代建築その2

伊予鉄道高浜駅から松山市中心部へ戻る途中、古くから港町として栄えた三津浜に至ります。
この町には明治から昭和初期に建てられた洋風建築が数多く残され、古い町並みに溶け込んでいます。
この三津浜港から程近い一角に大正期に建てられた事務所建物が残されています。この建物は大正13年に海運会社の社屋として建てられました。
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角地に建つ木造2階建て寄棟造。モルタルの壁面に付け柱やコーニス、パラペットを表現してRC風の外観に仕立てています。
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コーナーに設けた小さな入口。短い庇の上に掲げた社名のレリーフや軒飾り、腰周りの切石風のモールド等すべてモルタルで仕上げたものです。
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もともと回漕店として明治中期に創業したこの会社は、大正後期に手掛けた三津浜港改修工事を契機にセメントや関連品の卸へ業容を拡大します。
新港の完成時期とほぼ同じ頃に建てられたこの建物をあえて鏝仕事を駆使した儀洋風建築にした拘りの背景には、この辺の事情も絡んでいるのでしょうか。
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by sunshine-works | 2019-09-15 10:46 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 08日
伊予鉄道高浜駅
愛媛の鉄道遺産

釣島からのフェリーが着く高浜港には、松山市中心部とを結ぶ伊予鉄道高浜線の終点駅が置かれています。
この高浜駅には昭和初期に建てられた木造駅舎が現存し、今も使われています。
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伊予鉄道は四国最初の鉄道として明治21年に松山~三津間で開業します。高浜駅はその4年後に三津から路線が延伸された時に終点駅として設置されました。現存するこの駅舎は昭和初期に電化・副線化された際に建替えられたものと思われます。
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高浜港方向から駅舎へ向かうアプローチ。長い庇が架けられています。
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左右の廻廊部分。
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落ち着いた雰囲気の構内。高い天井と大きな窓を持つ広い待合室は島嶼部を結ぶターミナル駅としての風格を備えます。

ホームへ繋がる側面の眺め。



かつては2面2線のホームでしたが、現在の構成は側線を持つ1面1線式。ホーム支柱には古レールが使われています。
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by sunshine-works | 2019-09-08 11:12 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 01日
釣島灯台
愛媛県松山市の近代建築その1

松山市の沖合い約4キロに小さな有人島が浮かんでいます。この島には明治初期に建てられた灯台が今も現役で使われています。
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日本の近代灯台の歴史は明治2年の観音崎灯台に始まり、その後各地の主要航路に設置されていきます。瀬戸内海に於いては明治4年初灯の淡路島の江崎灯台が最初で、その2年後にこの釣島灯台が灯されています。設計は日本の近代灯台の父と呼ばれるイギリス人のR.ブラントンで四国では前年に竣工した鍋島灯台に次ぐ2番目の作となります。
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灯塔部分は石造2階建、上部に鉄製のドームを被せます。灯塔の前方に半円形の平屋が組み合う構造はブラントンが手掛けた他の灯台に共通のもので、この釣島灯台は規模も意匠も江崎灯台鍋島灯台に良く似た造りとなっています。
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この釣島灯台は昭和38年に無人化されますが、灯台の横手にはそれまで使われていた退息所や倉庫等の一連の付属建物が現在も残されています。
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この建物は吏員退息所と呼ばれる灯台職員の宿舎で、灯台と同年に建てられました。御影石を積んだ寄棟造平屋建て。風雨に晒される環境に耐えるために頑丈な造りとなっていますが、窓が少なく通気の悪い構造は高温多湿の夏場は厳しいものがあったと思われます。
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退息所の隣には倉庫が並びます。

これら建物は室内を含めて洋風の意匠ですが、屋根瓦には和瓦が葺かれています。
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by sunshine-works | 2019-09-01 12:04 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 23日
愛媛県東予の近代建築補遺2
愛媛県東予の近代建築補遺2

前回に続いて愛媛県東予地区の近代建築補遺。今回は学校建築その他です。
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県立西条農業高校で今尚使われている木造の旧講堂。西条農業高校時代の大正9年に建てられました。
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竣工当時の姿で残る木製の窓枠。基礎に積まれた煉瓦も当時のままです。
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こちらは今治南高校で柔道場として使われている建物。旧越智中学校時代の大正15年に建てられました。
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今治南高校の前身越智中学校は大正15年に愛媛県初の鉄筋コンクリート造の校舎が建てられました。当時の校舎は近年に建替えられましたが、この建物のみ残りました。
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西条市小松の国道沿いに残る旧石根郵便局。昭和7年築。
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伊予小松駅前に建つレストラン。同社のHPを見ると大正期に開業した丸文食堂が前身との事。意匠から察すると当時の築と思われます。
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by sunshine-works | 2018-09-23 11:53 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 16日
愛媛県東予の近代建築補遺1
愛媛県東予の近代建築補遺1

ここまで愛媛県東予地区の近代建築を巡ってきましたが、未掲載の物件が幾つか残りました。今回と次回でこれらを紹介します。
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別子銅山の端出場鉱区から東平鉱区へ通じる道の脇に架けられた明治期のアーチ橋。明治38年築の遠登志橋(おとしばし)は鋼アーチ橋として現存最古のものと言われています。
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アーチ橋として架けられたこの遠登志橋ですが、老朽化に伴って近年に吊橋への改修が行われました。アーチ部分はそのまま残されていますが、桁の加重を支える役割は担っていません。
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旧別子鉱山鉄道星越駅の傍に架かるコンクリートアーチ橋。この下に敷かれていた鉱山鉄道の線路を跨ぎ、向こう側の選鉱所へ渡る橋として架けられました。
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西条市から松山市へ向かう県道脇に残る古いコンクリート橋。志川橋は昭和6年に架けられた充腹コンクリート橋です。
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今治と松山を結ぶ山道の途中に架かる昭和12年築の落合橋。こちらは開腹コンクリートアーチ橋。
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伊予小松駅南の溜池大谷池に残る旧樋門。大正9年に竣工した煉瓦造の樋門です。池の改修工事によって役目を終えましたが、保存施設として公開されています。
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by sunshine-works | 2018-09-16 11:42 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 09日
予讃線 金生川橋梁/加茂川橋梁/中山川橋梁
愛媛の鉄道遺産

JR四国(四国旅客鉄道)の始まりは民営の山陽鉄道が国有化された明治39年に遡ります。この時高松から琴平まで通じていた旧山陽鉄道の路線は国有化後に西への延伸を図り、大正5年の観音寺~川之江間の開通で愛媛県へ到達、その後順次路線は延ばされ、11年後の昭和2年に県都松山までが結ばれます。昭和20年に終着宇和島まで全通するこの予讃線は総延長で四国最長、輸送量に於いても最大の重要幹線として四国の物流を支えてきました。
今回は愛媛県東予地区に現存する予讃線開通時の姿を留める鉄道橋梁を紹介します。
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川之江駅の南西に架かる金生川橋梁。川之江~伊予三島間が開業した大正6年の築。石積み橋脚が古いプレートガーダーを支えます。
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大正10年に伊予西条まで延ばされた路線は次の工区、伊予西条~伊予壬生川区間で大きな川を二つ渡ります。250メートルを超える川幅を渡る二つの橋には予讃線では珍しいトラス桁が用いられました。
伊予西条~石鎚山間の途中に設置された加茂川橋梁の竣工は大正11年。コンクリート橋脚の上を5連のプラットトラスが渡ります。
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その後の時代では一般的なものとなる長楕円形断面のコンクリート橋脚。この橋が架けられた大正後期にそれまでの煉瓦石積橋脚に代わって普及していきます。
この背景にあるのは関東大震災で露見した煉瓦構造物の脆弱性で、相前後して技術が確立しだした鉄筋コンクリート構造物へ転換していく契機となりました。
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加茂川橋梁から5キロメートル程西へ進んだ先で予讃線は再び大きな川を渡ります。この中山川橋梁は大正12年の架橋。加茂川橋梁と同じプラットトラス桁を4連繋ぎ、260メートルの川幅を越えていきます。
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川を越えた土手の両側に広がる田園地帯。この区間には洪水や大水の際に水を逃がす避溢橋が繋げられています。
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by sunshine-works | 2018-09-09 11:16 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)