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2019年 12月 29日
愛媛県庁舎本館
愛媛県松山市の近代建築その14

松山市街地の中心部、松山城の城山の麓に愛媛県庁の建物が並びます。本館として使われている建物は昭和4年に建てられました。
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鉄筋コンクリート3階建て(一部4階建て)、ドーム屋根を冠した玄関棟の左右にシンメトリーに建物を配し、両脇を前面に張り出します。戦前に建てられ、本館として使われている府県庁舎としては3番目に古い築年となるこの建物は、関西や地元愛媛に多くの作品を残した木子七朗の代表作となりました。
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大きく分厚い庇を張り出す車寄せ。その上に並ぶ3連のアーチ窓、頂部にはドームを乗せて重厚感と象徴性を高めます。
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重厚なモールドが施された玄関廻り。玄関天井部分の細密な装飾も当時のままです。
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大理石が貼られた玄関ホールから館内へ進みます。
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市松模様のタイルが貼られた床。柱や梁には多用な装飾が施されています。
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吹き抜けの階段が最上階まで通じます。
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当時の面影を残すエレベーター。おそらく県内最古のものと思われます。
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前方に張り出した建物両脇。建物配置は上から見るとコの字の形になっています。
張り出し部分の窓はアーチ型の刳型で囲まれ、左右にはテラコッタの飾りを添えます。
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こちらは西側面の眺め。こちら側もアーチの刳型、テラコッタの飾りを添えます。
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by sunshine-works | 2019-12-29 10:48 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 22日
萬翠荘(久松定謨別邸)
愛媛県松山市の近代建築その13

松山城の城山の麓、木々に囲まれた高台の奥に大正期に建てられた洋館が建っています。
当時のフランスの邸宅に倣う豪奢なこの建物は旧松山藩主の子孫、久松定謨伯爵の別邸として大正11年に建てられました。
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鉄筋コンクリート地下1階地上3階建て、玄関の車寄せを挟んで左右非対称に建物を配置します。ネオルネサンス様式の本格的な洋風住宅で、戦前に建てられた洋館としては規模や意匠に於いて四国随一のものと思われます。
設計は地元愛媛や関西各地に多くの作品を残した木子七朗が手掛けています。
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元々この敷地は松山藩家老の屋敷があった場所で、陸軍中将を勤めた久松定謨が地元松山での居宅としてこの地に構えました。
士官学校への留学や駐在武官として長くフランスで暮らした経験から、フランス式の様式が選ばれたと言われています。
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コリント式の柱が支える庇。柱上部や庇には細密な飾りが彫られています。
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階段室を飾るステンドグラス
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建物前面の見上げ。中央の屋根は鉄板葺き、左右はスレート葺き。
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左右に連続アーチを廻らせた2階バルコニー。屋根上にはドーマー窓が載せられています。
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こちらは建物側面の眺め。正面側と同様、壁面に縦長窓、屋根上にドーマー窓が並びます。
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正門横に建つこの建物は管理人舎として建てられたもの。本館と同時期に建てられました。
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こちらも同時期に建てられた倉庫。
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by sunshine-works | 2019-12-22 11:07 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 15日
愛媛県教育会館
愛媛県松山市の近代建築その12

前回紹介した松山気象台の北西程無くの所に昭和初期に建てられた大きな木造建築物が残されています。四国では珍しい帝冠様式を採り入れたこの建物は昭和12年に建てられました。
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教職員の研修施設として建てられた木造3階建て。コンクリート風に仕上げた壁面に縦長窓を並べ、玄関脇には丸窓を添えます。3階部分を下階と蛇腹で仕切り、その上の和風屋根は鉄板で葺いています。
洋風建築に城郭風の屋根を乗せた帝冠様式と呼ばれる意匠で、昭和初期に主に公共機関に用いられました。
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玄関上部に乗せられた城郭風の破風。同様の破風はこの側面、裏面にも設けられています。
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館内は木造建築らしい重厚な木質感が漂います。
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2階には大きな講堂が設えられています。
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by sunshine-works | 2019-12-15 11:47 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 08日
松山地方気象台
愛媛県松山市の近代建築その11

松山城の東、閑静な住宅街の一角に昭和初期に建てられたモダンな鉄筋コンクリート建物が残されています。
この建物は昭和3年に松山測候所として建てられ、現在も気象台として使われています。
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玄関を挟んで左右非対称に建屋を配置した鉄筋コンクリート造。右側は切妻平屋、左側が陸屋根2階建て。玄関上部のバルコニーや軒蛇腹、時計が嵌められていた円形の縁飾り、陸屋根上部のパラペット等々、モダニズム建築の中に古典様式の要素が取り込まれています。
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小さな庇を張り出す玄関。上部にバルコニーを設けます。
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玄関両脇の柱の基部と頂部には特異なモールドが施されています。
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茶色の帯を廻らせた塔屋上部。帯に挟まれた丸い窪みはかつて掲げられていた大時計の跡です。
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by sunshine-works | 2019-12-08 11:08 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 12月 01日
愛媛大学附属中学校講堂(旧制松山高等学校講堂)
愛媛県松山市の近代建築その10

松山市中心街の東部、住宅街の並びに愛媛大学付属中学校の広い校地が置かれています。この中学校は大正8年に設立された旧制松山高校の跡地を校地としていますが、この敷地の一角には旧制松山高校時代の大正11年に建てられた木造講堂が残されています。
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ルネサンス様式を採り入れた木造2階建ての大きな建物。下見板貼り壁面の各面に上げ下げ式の縦長窓を並べ、玄関両脇の張り出し部分屋上に塔屋を乗せます。正面玄関にはトスカナ様式のオーダー柱が支える庇を張り出す重厚な意匠。高等教育機関に相応しい象徴性を備えます。
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木製の丸柱が支える庇。奥の入口扉と左右の窓はファンライト付のアーチ形状になっています。
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玄関脇の塔屋部分。
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側面から裏面の眺め。奥行きのある大きな構え。各面に小さな出入口が設けられています。
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この建物は明治期に第一から第八まで設立されたナンバースクールに続いて大正期に各地に設けられた一連のネームスクール(地名を冠した校名)の現存建物で、四国では唯一のものとなります。
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by sunshine-works | 2019-12-01 10:43 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 24日
伊予鉄道小野川橋梁/内川橋梁
愛媛の鉄道遺産

以前に明治期に設置された伊予鉄道石手川橋梁を紹介しましたが、この伊予鉄道横河原線の東部には同じく明治期に竣工した橋梁が2橋現存します。これらの橋は同線が全通した明治32年に架けられました。
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平井駅~梅本駅の中間に架けられた小野川橋梁。2基のコンクリート橋脚の上をプレートガーダーが渡ります。橋脚は後年に取替えられたものと推測されますが、英国規格のポーナル桁は当時のままで使われています。
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桁の補構材の両端がJ字型に曲がるポーナル桁。明治期の鉄道橋梁に多く用いられた古い規格です。四国内には以前に徳島県の数橋を紹介しましたが、愛媛県内の現存例はおそらくこの2橋のみと思われます。
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橋桁に貼られた銘盤には「阪鶴鉄道汽車課工場製造」「明治32年」の文字が刻まれています。阪鶴鉄道は現在の福知山線や舞鶴線の前身となった民営鉄道ですが、同社の発起人の一人が愛媛県出身だった所以で阪鶴鉄道製造のこの桁が用いられたと思われます。

牛淵団地前駅付近に架かる内川橋梁。石積みの橋台に1連のポーナル桁が渡ります。
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by sunshine-works | 2019-11-24 10:45 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 17日
岩堰橋
愛媛県松山市の近代建築その9

前回紹介した立花橋から石手川を上流に辿って進みます。市街地を通り過ぎて郊外へ差し掛かる辺り、緑地公園の一角に大正期に架けられた吊橋が残されています。松山市内に現存する吊橋の中で最古と思われるこの岩堰橋は大正13年に架けられました。
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橋長18メートル、幅4メートル程の小さな橋。鋼製のトラス桁とコンクリート製の主塔からなる近代吊橋の概要を備えます。
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後年に土手が嵩上げされた事で親柱の下部は道路に埋没しています。
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橋上からの眺め。ケーブルは交換されている可能性がありますが、フレーム部分は当時の状態が保たれています。
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こちらは左岸側の主塔
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左岸側の親柱も大方埋まった状態です。



by sunshine-works | 2019-11-17 11:34 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 10日
立花橋
愛媛県松山市の近代建築その8

前回は石手川を渡る伊予鉄道石手川橋梁を紹介しましたが、石手川橋梁の一つ上流側にも古い歴史を持つトラス橋が架けられています。この立花橋は昭和3年に架けられました。
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旧久万街道に架けられた1連の鋼製ポニーワーレントラス。松山市内に現存する道路トラス橋の中で最古のものと思われます。
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側面からの眺め。歩道部分は後年に付け加えられたものです。
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上部の飾りは復元されていませんが、4基の親柱が現存しています。
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by sunshine-works | 2019-11-10 10:59 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 03日
伊予鉄道石手川橋梁
愛媛の鉄道遺産

松山の市街地の南、石手川沿いに公園緑地が設けられています。細長く連なる敷地の中程には伊予鉄道石手川公園駅が置かれていますが、この駅のプラットホームの一部は明治期に架けられた橋梁上に置かれています。明治26年に架けられたこの石手川橋梁は現役の鉄道トラス橋梁として国内最古のものです。
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煉瓦橋脚の上を渡る橋長36メートルのピン結合式錬鉄製ポニープラットトラス。
明治中期、イギリスから全国各地の路線に同タイプの桁が多数導入されましたが、その後殆どが架け替えられており、この石手川橋梁は竣工当時のまま同一位置で使われている希少な事例となります。
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桁を支えるイギリス積み煉瓦橋脚。左右の橋台も煉瓦が積まれています。
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日本で二番目に古い歴史を持つ伊予鉄道は、松山市中心部と臨海部の高浜港を結ぶ高浜線を明治25年に全通させます。高浜線に続く2番目の路線として翌明治26年に開業したのが横河原線で、軽便鉄道規格の軌間762mmで線路が敷かれました。この石手川橋梁も当初は軌間762mmに合わせた桁幅でしたが、昭和6年に標準軌に改軌された際に拡幅されています。
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石手川公園駅の北方、松山市駅へ向かう線路は煉瓦造りの小さな溝橋を渡ります。
この伊予鉄道第26号溝橋も同線開業当時の姿を伝える貴重な遺構です。
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下をくぐる道路と上を渡る線路はやや斜めに交差しています。相互の角度に合わせる為に、アーチ上部の煉瓦を一段毎にずらして調節を図る、凝った造りとなっています。
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by sunshine-works | 2019-11-03 11:08 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 27日
予讃線重信川橋梁
愛媛の鉄道遺産

四国最長の鉄道路線予讃線は、松山市南部で一級河川重信川を渡ります。この地点に架けられた重信川橋梁は昭和5年の開通当時の桁と橋脚が今尚使われています。
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重信川の河口から約5キロ、下流の広い川原を14基のプレートガーダーが渡ります。橋長277メートルは予讃線で最長の橋梁となります。
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予讃線は大正5年の観音寺~川之江間開業によって愛媛県に達し、昭和2年に県都松山までが結ばれます。この重信川橋梁は昭和5年に松山から南へ延伸された最初の工区に設置されたもので、同区間最大の工事となりました。
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香川県側から延伸を重ねた予讃線は、最初の開業区間からこの地点に到達するまで約30年を要しています。この期間に大きく変わったのが橋脚の造りで、香川県側には多く見られた煉瓦・石積み橋脚に代わって、このようなコンクリート製の楕円断面のものが用いられています。
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コンクリート橋脚の上を渡るプレートガーダー桁。大正中期以降の旧国鉄橋梁に用いられた形式のものです。銘板には「汽車製造株式会社」「昭和4年」「鉄道省」と刻まれています。
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by sunshine-works | 2019-10-27 11:28 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)