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2013年 06月 25日
旧三縄郵便局
徳島県三好市の近代建築その4

土讃線三縄駅の東側、吉野川沿いに広がる三縄の町に木造2階建ての洋風建築が残されています。
当地の郵便局として建てられ、新局舎に移転するまで半世紀以上使われました。
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中心通りから枝道を曲がって程なく、民家が並ぶ静かな一角に目を惹く洋風意匠の建物が姿を現します。
現在は住居として使われているこの建物は昭和7年に建てられました。
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木造2階建て下見板貼り。中央に立ち上げた三角破風に紋を飾り、上下階の窓間にもオーナメントを配します。
その他にも、縦長窓の上部を飾る採光窓、アーチを構えた玄関ポーチ、玄関庇の軒蛇腹、マンサード屋根等、各所に意匠表現が凝らされた見所の多い建物です。
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前に張り出した玄関ポーチ。地方の郵便局舎には珍しい意匠です。
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側面の様子。奥行きは深く、後方は住居として使われたと思われます。
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マンサード屋根の勾配に合わせて階段状に下見板を貼る細かな拘り。
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正面側からは目に付かない側面にもオーナメントを飾ります。
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古い木造郵便局舎が数多く残る徳島の中でも特に意匠性に優れ、また当時の状態が良く保たれた建物として重要な存在です。
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by sunshine-works | 2013-06-25 20:29 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 31日
旧三縄水力発電所
徳島県三好市の近代建築その3

土讃線祖谷口駅の南、吉野川に注ぐ祖谷川沿いの山道を上って程なく、川沿いの薮の中に崩れかけた煉瓦建造物が残っています。
竣工当時四国最大の水力発電所として建てられたこの旧三縄水力発電所は、役目を終えて50年を経た今も当時の姿を留めています。
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発電所が置かれているのは道路から斜面を下った川岸の崖の上。
生い茂る草むらを掻き分けて進むに連れて崩れかけた煉瓦建物が徐々に見えてきます。
大正元年、香川県の四国水力電気株式会社の発電所として建てられました。
この発電所が建てられた頃には既に長距離送電の技術が実用化されており、遠く離れた県外の発電所から電気を供給する事が可能となっていました。
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四国で最も山地面積比率が高い徳島は吉野川や那珂川水系の豊富な水資源に恵まれた事で水力発電所の立地に適し、明治期より多くの水力発電所が設置されました。
中でも吉野川水系の上流域となる徳島県南部から高知県境にかけてのこの一帯は早期から開発が進められ、徳島の水力発電の中心地帯となっていきました。
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元入口らしき開口部から中を窺います。内部は荒れ放題、床面には何やら波板で覆いが掛けられています。
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足元に注意して建物の中へと進みます。
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剥がされた床板の下からは雑草が繁茂。周囲から根を伸ばした竹も生えています。
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建物各部はボロボロ。かろうじて壁面だけが屹立する状態です。
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当時のままの木製窓枠が残された一角。
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北側の開口部から建物の外へ抜けて外壁を眺めます。
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西側の壁面の向うに祖谷川を望みます。
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三縄発電所は昭和34年に送電を開始する新三縄発電所にその座を譲って50年に渡る歴史を終えますが、旧発電所は解体される事無く時間が止まったままその姿を今も留めます。
徳島に於ける大規模水力発電所の嚆矢となったこの発電所は、四国の電源開発の歴史を伝える貴重な資料として残ります。
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*保守管理されている建物ではありません。危険が伴いますので、立入に際しては自己責任で願います。

by sunshine-works | 2013-03-31 19:39 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(2)
2013年 03月 19日
大川橋
徳島県三好市の近代建築その2

前回紹介した三好橋から南へ約6キロ、祖谷口駅近くの小さな集落の脇に吉野川を渡る吊橋が架けられています。
この大川橋は昭和10年に竣工しました。
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明治以降昭和初期に至るまでの間、吉野川やその支流には鉄道や幹線道路を渡す近代橋が架けられて行きましたが、厳しい設置条件の為にその数は充分とは言えず、主要道から外れた地区で対岸へ渡るには渡船に頼るか長距離の遠回りを強いられていました。
有名な「かずら橋」をはじめとする木製吊橋も古くから用いられていましたが、近代化に伴って増大する通行量を裁くには限界がありました。
このような状況の中、祖谷で酒造家と林業を営む赤川庄八が資財を投じて設置したのがこの大川橋でした。
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橋の傍に設置されている説明板の記載によると、祖谷口に土讃線の駅を設置する条件として、鉄道省はこの地区に橋を渡す事を求めたそうです。
交通不便なこの地区で酒造業と林業を営む赤川家にとって鉄道駅の設置がもたらす恩恵を考えれば、工事費の負担(当時の価格で5万8千円)は充分採算に合うものだったのでしょう。
*とは言え、現在の価格に換算して一億円を雄に超える額ではありました。
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板を並べた橋床を両岸の主塔から吊るされたケーブルが支えます。橋長150メートル、中央支間長124メートル。設計荷重の小さい人道橋とは言え、東洋一と言われた三好橋と比べても引けを取らない概要を誇ります。
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地方道に架かる橋らしく、橋と住居が近接しています。家と家の間を抜けるように対岸へ橋が渡ります。
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橋の幅は3メートル弱、馬車や引車が通行可能ぎりぎりの幅です。
頼りなさそうな木板の橋床ですが、鋼製トラスで補強された桁や太い鋼索によってしっかり支えられており、思った程の揺れも無く渡る事ができます。
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橋の西詰から今渡ってきた対岸を眺めます。
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戦前に架けられ今尚使われている吉野川を渡る道路橋としては他に三好橋と吉野川橋がありますが、鋼製の吊橋としてはこの大川橋が唯一の現存例となります。
私設橋としてこれだけの規模の橋が架けられた例も珍しく、地域の生活を支えた近代化遺産として貴重な存在として残ります。
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by sunshine-works | 2013-03-19 20:25 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 15日
三好橋
徳島県三好市の近代建築その1

三好市の西部、三縄駅の北で吉野川を渡る地点に架けられている三好橋は昭和2年に竣工しました。設計:増田淳。
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川幅は約250メートル。東側から2連のプレートガーダー桁を渡しますが、対岸までの距離140メートルを残します。
当時の国産鋼材の強度や架橋技術では径間長は100メートルが限界とされていましたが、三好橋は吊橋とすることでこの距離を克服します。
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当時既に鋼製の吊橋は実用化されていましたが、コストや工期が嵩む為に施工例は少なく、橋長200メートルを超える吊橋は他に一例のみ。多くは地方道に架かる小規模な橋梁で、国道に架かる橋梁としてはこの三好橋が最初のものとなります。
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三好橋の竣工後60年を経た昭和末期、ケーブルの劣化が判明します。
設置環境や構造上の問題によりケーブルの交換は困難とされましたが、桁自体の強度には問題がなかった為、桁本体を残して下部をアーチで支える上路式ローゼ橋へ改築する案が採用されます。
竣工時には困難とされた長大アーチ橋が60年を経て実現する事となり、平成元年より現在の姿へ生まれ変わります。
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200メートルを超える橋ですが現在の技術を用いた改修後の三好橋は大規模な構造物とならず、長さを感じさせないスッキリとした印象に映ります。
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斜面に据えられた橋脚。隣には吊橋当時の名残と思われる構造物が残されています。
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当時の日本の橋梁技術は欧米に大きく差を付けられており、日本では100メートル台が限界だった長径間のアーチやトラスも既に500メートルを超すものが実現されていました。
更に吊橋に至っては、東洋一とされたこの三好橋の中央径間140メートルを遥かに凌ぐ1000メートルを超える長大橋が架けられていました。
この三好橋を始めとして、欧米の先進技術の移植に勤めた当時の施工経験は、やがて世界最高水準へと発展する日本の橋梁技術の礎として重要な役割を果たしました。
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by sunshine-works | 2013-03-15 21:36 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 02月 27日
土讃線伊豫川橋梁
徳島の鉄道遺産その7

第一吉野川橋梁を過ぎた下り土讃線は阿波川口の東で支流の伊豫川を越えます。
ここに架けられた伊豫川橋梁は戦後に架け替えられたものですが、中央のトラス部分には大阪環状線で使われていた大正期の桁が転用されています。
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駅前から続く街区の外れ、吉野川と伊豫川が刻んだ谷を眼下に対岸のトンネルへと桁が渡っていきます。
最大径間を渡る箇所に上路ワーレントラスが1連、その前後に計8連の鋼プレートガーダーが繋がるこの伊豫川橋梁は橋長200メートルを超える大きな橋として昭和25年に掛け替えられました。
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現在の土讃線は阿波川口駅の南を吉野川に沿って進み、分岐する伊豫川を越えて山越谷トンネルに向かいますが、この山越谷トンネルを抜けるルートは昭和25年に新設されています。
それまでの路線は屈曲する吉野川に沿った険しい崖を縫うように敷かれており、伊豫川を渡るこの箇所に架けられていた旧橋も川の形状に合わせて桁自体にカーブが付けられたものとなっていました。
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最大径間に渡された平行弦トラスは大正元年に旧鉄道省によって架けられた大阪環状線の澱川(淀川)橋梁を転用したもの。その前後のプレートガーダー桁は昭和25年の掛け替え時に設置されたものです。
路線の変更に伴って架橋位置は西寄りに変更され、新たに設置された橋脚が桁を支えます。
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新橋の隣には旧線時代に使われていた橋脚がそのまま残されています。
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阿波川口駅方の橋桁。吉野川の川岸に沿って桁が渡されます。
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by sunshine-works | 2013-02-27 23:57 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 30日
土讃線白川橋梁
徳島の鉄道遺産その6

吉野川に沿って南へ下る土讃線は、第一吉野川橋梁と第二吉野川橋梁の間で支流を渡ります。
この地点に架けられた白川橋梁も同区間が開通した昭和10年に設置されました。
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小歩危駅から2本のトンネルを抜けて国道を跨ぐ手前に架かります。
開けた谷間を渡るこの白川橋梁も他の土讃線橋梁と同様に高い地点に桁が渡されています。
上路式ワーレントラスの使用やコンクリート橋脚の上にトレッスルを組上げる構造は四国の鉄道橋梁には珍しく、他の土讃線橋梁には見られない特色を持ちます。
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中央部の上路式ワーレントラスは桁長約47メートル。
桁と水面との距離が大きく空いているこのような地点では特段下路式とする必要は無く、上路式とする事で橋脚を短くできる利点があります。
四国では少例となりますが、全国的には主に山間部の橋梁の多くでこの形式の桁が使われます。
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トラス桁の前後には鉄骨で組まれたトレッスル橋脚が据えられています。
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白川橋梁を渡った土讃線は、この先さらに険しい山岳地帯を抜けていきます。
山間部を渡るこの橋梁は、様々な橋梁が架けられた土讃線の中でも個性的な橋の一つとして現存します。
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by sunshine-works | 2013-01-30 21:17 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 26日
土讃線第二吉野川橋梁
徳島の鉄道遺産その5

吉野川西岸に沿って南へ進んできた土讃線下り列車は、観光名所として知られる小歩危~大歩危間で再び吉野川を渡ります。
美しい渓谷を眼下遥かに跨ぐこの第二吉野川橋梁は、第一吉野川橋梁と同年の昭和10年に架けられました。
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9基の鋼プレートガーダーと1連の曲弦トラスで構成される総長250メートルに及ぶ橋を10本のコンクリート橋脚で支えます。
川面からの距離は第一吉野川橋梁よりもさらに高く、中央の橋脚はおよそ30メートルの長さになります。
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上流域に近づくにつれ、吉野川はその幅を徐々に狭めながら流速を増していきます。
土讃線第二吉野川橋梁は、この流れが刻んだ広い谷間を上る吉野川を斜めに横切るように渡っていきます。
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小さな脇道を下りて谷底を流れる吉野川の川原へ。
頭上高く渡された橋桁を見上げます。
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橋の北詰からの眺めです。
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築後約80年を経た今も現用施設として使われる第一吉野川橋梁とこの第二吉野川橋梁は、難工事を乗り越えて開通した山岳路線土讃線を象徴する鉄道遺産として当時の技術を今に伝えます。
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by sunshine-works | 2013-01-26 20:01 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 22日
土讃線第一吉野川橋梁
徳島の鉄道遺産その4

箸蔵~佃間で吉野川を渡った土讃線は、この先の区間を吉野川に沿って南へ進んでいきます。
吉野川が刻んだ深い渓谷の渕に張り付くように敷かれた線路は途中幾つかのトンネルを抜けながら川の東岸を並走し、三縄の先で西岸に位置を変えます。この地点を渡る第一吉野川橋梁は昭和10年に架けられました。
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香川県側から延伸した土讃線が三縄まで開通した昭和6年、同時に進められた高知県側の工区も北に延伸を重ね、未開通区間は四国山地の険しい山岳地帯を抜ける約50キロを残すのみとなります。
難工事の連続となった最終工区には多くのトンネルや橋が架けられますが、橋梁工事で最大の規模となったのがこの第一吉野川橋梁と次の第二吉野川橋梁でした。
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78メートルの曲弦トラスの前後にプレートガーダーを繋げた橋長は170メートル。長い橋脚で高く支えられた橋桁が深い谷間を渡ります。
この先で再び吉野川を渡る第二吉野川橋梁とは設置環境が良く似ており、プレートガーダー桁の本数が異なる以外は殆ど同規格。中央部に使われた川崎造船製造の曲弦トラスは長さも重さも同一のものです。
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トンネルを抜けた土讃線は、川沿いに開けた集落の際を抜けて再び対岸のトンネルへと向かいます。
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橋を渡った土讃線が向かう氷見山トンネルの抗口。
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橋の西詰からの俯瞰です。
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吉野川を渡った列車は再び深い山の中へと進んでいきます。
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by sunshine-works | 2013-01-22 19:52 | 近代建築 徳島県 | Trackback(1) | Comments(0)
2013年 01月 18日
土讃線吉野川橋梁
徳島の鉄道遺産その3

箸蔵駅を出た土讃線下り列車は、大きくカーブしながら南へ方向を変え、吉野川の広い河原へ進んで行きます。この地点を渡る土讃線吉野川橋梁は昭和4年の同区間開業時に架けられました。
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川面を渡る4連の曲弦トラスとその前後に繋がる16基のプレートガーダーで構成されるこの橋は、橋長570メートルを超える当時としては最大級の鉄道橋となりました。
現在に至るまで土讃線で最長、徳島県内の鉄道橋梁としても高徳線の吉野川橋梁に次ぐ長さとなります。
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丘陵から平地に下りて畑の中の築堤上を進んできた土讃線は、プレートガーダ部分で再び高さを上げながら川面のトラス桁へと向って行きます。
小高い丘陵となっている川の南詰の高さに合わせる為に、太いコンクリート橋脚で高い位置に橋桁を持ち上げて行きます。
山と山の間を縫うように流れる河川を渡る土讃線橋梁の多くは、水面からの高さを確保する為に長い橋脚を特徴とします。
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中央部分の4連の曲弦トラス。径間長は異なりますが、同時期この先の土讃線に架けられた橋梁に共通する規格のものです。
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四国山地を北上してきた吉野川は阿波池田の手前で川幅が広くなり、緩やかな流れとなって東に向きを変えて行きます。
箸蔵~佃間で吉野川を渡るこの地点、背後に山並みを望む開けた河原の景色の中、川中に据えられた太いコンクリート橋脚が高い位置でトラスを支えます。
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4連のトラスや巨大なコンクリート橋脚が連なるこの吉野川橋梁は、土讃線の構造物中で最も規模の大きなものとなりました。
当時の土木技術の粋を集めたこの吉野川橋梁は四国の鉄道敷設の歴史を今に伝えています。
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by sunshine-works | 2013-01-18 20:09 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 14日
土讃線州津川橋梁/汐入川橋梁
徳島の鉄道遺産その2

県境の猪之鼻トンネルを抜けた土讃線は、次のトンネルの手前で小さな川を渡って坪尻駅へと進んでいきます。
この地点に架けられた州津川橋梁には福知山線の旧線区間で使われていた明治期の橋桁が転用されています。
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秘境駅として知られる坪尻駅から山伝いに川原へ抜けて進むこと数十分、トンネルとトンネルの間の狭い谷間に錆の浮いた一連のプラットトラスが見えてきます。
吉野川水系の州津川を渡るこの橋は土讃線の徳島県内区間最初の橋梁となります。
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このトラスは、元々は福知山線の前身にあたる民営の阪鶴鉄道が明治32年に有馬口~三田間延伸に合わせて設置した輸入桁の一つで、第四武庫川橋梁として架けられました。
同線で昭和27年まで使われた後の昭和29年に当地へ移築され、2代目の州津川橋梁の桁として再利用されます。
移設に際して長さを合わせる為に中央部を短縮していますが、それ以外は明治31年の製造当初のままで使われており、徳島県内の鉄道橋桁としては最古のものと思われます。
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他線区に比べて開業が後年となった四国の鉄道路線には、この州津川橋梁と同様に他から移築された橋桁が多数存在します。運行本数や列車加重が他線区ほど多くない四国では、古い規格の橋桁でも運用が可能だったと思われます。
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坪尻駅から4本のトンネルを抜けて次の箸蔵駅へ。土讃線はこの先で大きくUターンして西へ方向を変えていきます。この屈曲部の頂点で渡る汐入川には昭和4年の土讃線延伸時に架けられた橋梁が現在も使われています。
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小高い丘陵を進んできた線路が汐入川の谷間を越えて隣の丘陵へと渡る地点に架けられています。
丘の高さに合わせるために大小の橋脚が斜面や谷底から立ち上がり、頭上高くプレートガーダーを支えます。
橋脚のタイプは同時期に架けられた橋梁に一般的な円柱断面のコンクリート製。徳島県内の土讃線はすべてコンクリート橋脚が使われます。
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この区間が開通した昭和4年以後土讃線は順次延伸を重ね、昭和10年に県南部の工区が開通して高知側からの延伸区間と繋がります。
この汐入川橋梁は難工事が連続するこの先の土讃線橋梁施工の雛形として、重要な存在となりました。
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by sunshine-works | 2013-01-14 13:58 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)