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2019年 02月 17日
駒井家住宅2
京都市左京区の近代建築その4

前回に続いて北白川の駒井家住宅を紹介します。
2階には廊下を挟んで寝室、サンルーム、書斎が配置されています。

寝室の壁面。
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南側の区画はサンルームに充てられています。ここは竣工当時吹き抜けのバルコニーでしたが、程なくガラス窓で囲まれたサンルームに改修されています。
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ベッドルームの隣には小さな洗面所が設けられています。



建物南側から前庭へ。


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建物正面の眺め。ヴォーリズの住宅建築の特色が良く見て取れます。
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庭の一角に設置された温室。


by sunshine-works | 2019-02-17 12:37 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 10日
駒井家住宅1
京都市左京区の近代建築その3

京都大学の北方、北白川の静かな住宅街の一角に昭和初期に建てられた洋風住宅が残されています。
この建物は京都帝大教授で遺伝学者の駒井卓博士の自邸として昭和2年に建てられました。設計:ヴォーリズ設計事務所
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白川疎水に面して建つ木造2階建て。ヴォーリズの得意とするスパニッシュ様式が用いられています。
外壁はモルタルのスタッコ仕上げ、切妻屋根には赤瓦を葺きますがスパニッシュ瓦ではなく和風の桟瓦を用いています。
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比叡山を望む長閑な田園地帯だった北白川地区は大正後期から郊外住宅地として開発され、京都大学から近い事もあって学者や文化人が多く暮らす区域となりました。
留学時代に親しんだアメリカの住宅に理想を求めたこの家の設計施工に際しては、博士の妻とヴォーリズ婦人の一柳満喜子が神戸女学院の同窓だった縁もあってヴォーリズ設計事務所が手掛ける事となりました。
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石畳が敷かれた玄関へのアプローチ。玄関先は煉瓦を敷きます。
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小ぶりなアーチ型の玄関入口をくぐって内部へ進みます。
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1階中央の広々とした居間
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居間に隣接するサンルーム。三連のアーチが並びます。
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和室も一部屋設けられています。
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キッチン内部。水周りは改修されていますが、作り付けの収納棚は当時のものです。
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廊下から階段へ
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2階の廊下部分。2階は寝室、書斎、サンルームが割り当てられています。
この続きは次回に紹介します。
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by sunshine-works | 2019-02-10 12:04 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 03日
旧鐘淵紡績京都工場ボイラー室(東大路高野第三住宅管理棟)
京都市左京区の近代建築その2

下鴨神社の東、北大路と東大路が交わる四つ角の南側に1980年代に開発された住宅団地が広がります。
この敷地の一角に古い煉瓦構造物が残されています。現在集会所として使われているこの建物はかつてこの地で操業していた鐘淵紡績京都工場のボイラー室として建てられました。
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現在東大路高野住宅として多くの中高層棟が建ち並ぶこの一帯は、明治40年に創業し昭和50年に閉鎖された鐘淵紡績京都工場の跡地を開発したものです。
当時生産量東洋一を誇ったこの紡績工場の5万坪を超える敷地には煉瓦造の工場施設が幾つも建てられていましたが、殆どの建物は住宅団地造成時に取り壊されました。
唯一ボイラー室として使われていたこの建物のみがこの地の由来を伝えるモニュメントとして残され、管理棟・集会所として使われています。
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煉瓦造2階建て。アーチ窓が配されたモダンな意匠。
妻面側には白色の切石でアクセントを入れ、地味な用途のボイラー室とは思えない凝った造りです。
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旧ボイラー室に繋げられた煉瓦壁。上部を三角形に尖らせた形状は工場建物特有の鋸屋根の名残りです。
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長く延びる煉瓦壁の北端には裏側に抜けるアーチ門が設置されています。
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裏に周って北側からの眺め。
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by sunshine-works | 2019-02-03 11:54 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 27日
京都工芸繊維大学3号館(旧京都高等工芸学校本館)
京都市左京区の近代建築その1

北山通りを南へ折れ、静かな住宅街を進んで程なく、京都工芸繊維大学のキャンパスが広がります。
ここには前身の京都高等工芸学校時代に建てられた昭和初期の校舎が現存し、現用施設として使われています。
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京都高等工芸学校は日本で三番目の官立工業学校として明治35年に現在の左京区吉田泉殿町に開設されます。
その後同校は手狭になった校地から新たな移転先として松ヶ崎村に新校舎を建て、昭和5年に移転開校します。
この際に建てられたのが現在3号館として使われている旧本館で、戦後に新制大学として設立された京都工芸繊維大学に引き継がれます。
この校舎を含め松ヶ崎に新設された一連の建物施設は当時同校の図案課教授を勤めていた本野精吾が設計を担当しています。
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壁面にスクラッチタイルを貼った鉄筋コンクリート3階建て。
玄関を設けた東面の北側と南側に棟を繋げ、裏面の講堂にも通路を結んだ大きな校舎。上から見るとヨの字型の構造になっています。
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中央の玄関部分を手前に張り出した東面。
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幾何学的な装飾を施した玄関扉を抜けて館内へ。
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当時の姿を良く保つエントランスホール。要所に石を用いた重厚な造りです。
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階段窓から見える別棟の講堂。
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東面の角から直角に南面が繋がります。日当たりの良いこの面に設けられた大きな連続窓は当時まだ珍しいものでした。
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日本のモダニズム建築創成期を代表する建築家として知られる本野精呉の作ですが、スクラッチタイルや凹凸を多用した壁面の仕様等は同時期の氏の作品と比べ先鋭的な意匠が抑えらたものとなっています。
当初案では壁面はコンクリート打ち放し、連続窓も各面に配置される予定でしたが最終的には現在の姿に落ち着きました。この辺は学校建築を所管する文部省の意向があったものと言われています。

玄関棟の裏側の眺め。
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このキャンパス内には旧本館と同時期に建てられた建物が他にも現存します。旧本館の南に建つこの小さな建物は倉庫として使われました。
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東南角の正門脇に設けられた門衛所。
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西南角にも古い木造モルタル造の門衛所が残されています。
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現在の正門脇に建つ建物。大きく改装されていますが、かつて車庫として建てられたものです。
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by sunshine-works | 2019-01-27 12:04 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 20日
叡山ケーブルの駅舎
京都の鉄道遺産

前回は旧叡山鉄道が大正14年に開設した八瀬比叡山口駅を紹介しましたが、叡山鉄道はこの八瀬駅から乗り継ぐ鋼索線(ケーブルカー)を同年に開業させます。
現在叡山ケーブルとして引き継がれたこの鋼索線では開業当時の姿を残す二つの駅舎が今も使われています。
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麓駅のケーブル八瀬駅。開業時は西塔橋駅の名称でした。鉄骨モルタル造平屋建て、正面に大きな庇を張り出します。
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側面からの眺め。
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鉄骨トラスが覆う乗降ホーム。ここから山上のケーブル比叡駅までケーブルカーとして日本一長い標高差561メートルを登ります。
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約9分で山上のケーブル比叡駅に到着。開業時は四明ヶ嶽の名称でした。
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鉄骨造のケーブル八瀬駅とは異なり、山上のケーブル比叡駅は鉄筋コンクリート造、柱に化粧タイルを貼ったモダンな意匠です。
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外壁のサイディングは後年に張替えられたもの。当初は彩色を施したコンクリート壁でした。

駅舎南側に設けられた広い待合室。佇まいは殆ど当時の姿のままです。
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by sunshine-works | 2019-01-20 10:41 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 13日
叡山電鉄八瀬比叡山口駅
京都の鉄道遺産


出町柳から京都市北部を結ぶ叡山電鉄は大正期に京都電燈によって開設された路線をその前身とします。この叡山電鉄本線の終着駅となる八瀬比叡山口駅では大正14年の開業時の姿を留めた駅舎が今も使われています。
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京都電燈を母体とする叡山鉄道は出町柳からこの八瀬比叡山口駅(開業時は八瀬駅)までの平坦線と八瀬駅に接続する西塔橋から比叡山山上の四明ヶ嶽を結ぶ鋼索線を大正14年に開業させ、4年後の昭和3年には鋼索線の山上駅から延暦寺までのケーブルカーを設置、これにより京都市内からの延暦寺への日帰り参詣を実現させます。
この八瀬駅は比叡山参詣の拠点駅に相応しい風格を備えた駅舎として大正14年の開業と同時に建てられました。
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北に正面を向ける駅舎入口。切妻屋根の庇正面には昔の木造建築によく見られるパージボードが用いられています。
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ホームは3面2線。全体を覆う鉄骨アーチの大屋根はヨーロッパの駅舎の眺めを思わせます。
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大屋根を支える鉄骨の柱。リベット接合の重厚感は当時のままです。
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by sunshine-works | 2019-01-13 11:12 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 06日
柊野堰堤
京都市北区の近代建築その9

京都市街地から鴨川沿いを北へ進んで程なく、郊外の開けた景色の中に昭和初期に築かれた砂防堰堤が置かれています。
堤長96メートル、堤高7メートルの重力式堰堤からなるこの柊野砂防堰堤は昭和15年に完成しました。
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京都市の中心部を南北に貫く鴨川は古くから氾濫を繰り返していましたが、昭和10年には160名の死者、5万戸を超える家屋浸水、鴨川に架かる大半の橋梁を押し流す大規模な水害を引起こします。この対策として進められた河川改修事業の一つとして起工されたのがこの砂防堰堤で、土砂の流出を防ぎ川流を安定させる役割を担います。昭和11年から4年の工期をかけて竣工した堤長96メートルの柊野堰堤は都市近郊に設置された砂防ダムとしては大規模なものとなりました。
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前後二重に堰堤を並べた構造。後ろの主堰堤が土砂を受け止める役割、前方の副堤は流量を安定させるためのものです。
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増水時用の水門が設けられた堤両脇の袖部分。堰堤の表面は荒い石が積まれています。
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by sunshine-works | 2019-01-06 11:12 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2018年 12月 23日
顕真学苑(旧親鸞聖人研究館)
京都市北区の近代建築その8

北大路堀川交差点を北へ進んで北山通りを東へ。塀で囲まれた敷地に昭和初期に建てられたモダンなコンクリート建物が残っています。
この建物は親鸞聖人研究館として昭和10年に建てられました。
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顕真学苑は仏教学者で龍谷大学教授だった梅原真隆が創設した研究機関で、学苑の活動拠点として建てられたのがこの建物です。
仏教関係の施設ですが和の要素は殆ど無く、当時の先進的な洋風建築の意匠が用いられています。
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北面に設けた入口。突き出した庇の下に丸窓を配した入口扉を構えます。格子を嵌めたこの丸窓は寺院建築でよく見かける丸窓を思わせ、洋風な建物の中で唯一仏教色を感じさせる意匠表現です。
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建物から一段前面に張り出した玄関上部。階段室となっている壁面には縦長窓と窓間の柱で垂直なラインを刻みます。
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玄関の左右にシンメトリーに配置された両脇部分。こちらは水平方向のラインが強調されています。
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南面の眺め。日のあたるこの面が正面になると思われますが、全体に装飾は控えめで地味な印象です。
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by sunshine-works | 2018-12-23 10:50 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2018年 12月 16日
大谷大学尋源館(大谷大学旧本館)
京都市北区の近代建築その7

烏丸北大路交差点の一角に校舎を構える大谷大学は東本願寺の学寮に遡る古い歴史を持つ学校です。
この大谷大学には大正期に建てられた煉瓦造りの旧本館が今も残り、現役施設として使われています。
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煉瓦造2階建て、寄棟屋根瓦葺き。ルネサンス様式の重厚な意匠です。
小さく前に張り出した玄関部を中心にシンメトリーな建物配置、屋根上にはドーマを設け、中央破風上に小塔を乗せます。
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赤煉瓦の壁面には白石の帯を廻らせます。白い切石はアーチ窓のキーストーンや2階の窓石にも用いられ、単調さを和らげるアクセントとなっています。  
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瓦葺きの庇を突き出した車寄せ。上部には大学紋章のレリーフを掲げます。
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側面から裏側の様子です。
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by sunshine-works | 2018-12-16 11:43 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2018年 12月 09日
紫明会館(旧京都師範学校同窓会館)
京都市北区の近代建築その6

前回紹介した京都教育大学小中学校の南、紫明通りに面した一角に昭和初期に建てられた古びたコンクリート建物が残されています。
この建物は昭和7年に京都府師範学校の同窓会館として建てられたものです。
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この紫明会館は京都府師範学校の創設50周年を記念し、同窓生の募金を元に「教育記念会館」として建てられました。
現在京都教育大学付属小中学校の校地となっている師範学校敷地に程近い紫明通りに建つ鉄筋コンクリート3階建て。
前回紹介した京都教育大学付属小中学校校舎と同じく京都府営繕課の十河安雄が設計を手掛けたこの建物は当時流行ったスパニッシュ様式の意匠が用いられています。
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スパニッシュ様式は戦前の一時期に流行った建築意匠ですが、この様式で建てられたビルは実例が少なく、京都の町中でも数例しか残っていません。
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小さな庇を張り出す玄関入口。庇に葺かれたスペイン瓦や脇の丸窓、上階のアーチ窓、スタッコ塗りの外壁等、スパニッシュ様式の特徴が各所に覗えます。
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同様の小さな入口がもう1個所設けられています。
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各面に配された丸窓やアーチ窓。
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内部の様子。床や階段踏板は木製。窓枠も木枠のままで、当時の状態が保たれています。
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by sunshine-works | 2018-12-09 10:59 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)