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2010年 01月 20日
岡山市水道記念館(旧三野浄水場送水ポンプ室)
岡山県岡山市の近代建築その17

岡山の中心市街から北へ進んで程なく、旭川の畔にある三野浄水場に、明治期の煉瓦建造物が残されています。水道資料館として公開されているこの建物は、岡山に始めて水道が敷設された時に送水ポンプ室として建てられました。
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全国で8番目となった岡山市の水道事業は明治38年に給水が開始されます。既に水道を敷いていた7都市は、条約による開港都市と大都市で、岡山は地方都市に於ける近代水道の先駆けとなりました。
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広い浄水場の中心に据えられた存在感溢れる大きな建物です。古典様式を基調とした装飾豊かで豪華な造りは、この時代に建てられた水道施設に共通する特徴です。
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建物中央に設けられた正面入り口。木造のポーチの奥に美しいファンライトで飾られた玄関扉が映えます。
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玄関の両翼にアーチ窓が並びます。
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建物裏側にもアーチ窓が並びます。
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裏手に広がる緩速濾過池。急速濾過方式が主流となった今日、明治期に築かれた緩即濾過池が現役で使われている稀有な例です。
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旧ボイラー室煙突。その後高さが減じられていますが、これも創設期に建てられたものです。
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生活に欠く事の出来ない水の安定供給は近代都市の最優先課題でした。
当時人口10万人に満たなかった岡山市でしたが、大都市に伍して、これ程の水道施設を備えた先見の明は高く評価される物です。
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by sunshine-works | 2010-01-20 22:30 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 13日
犬島精錬所
岡山県岡山市の近代建築その1

岡山市の南東沖に浮かぶ小さな島に、明治期の精錬所施設が半ば廃墟のように残されています。岡山市を巡る近代建築探訪の初回は旧犬島精練所の建物跡を紹介します。
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宝伝港から船で約5分、周囲3キロ足らずの小さな島が犬島です。御影石の産地として有名だったこの島に明治42年、銅の精錬施設が築かれます。
当初の精錬所は銅鉱山があった倉敷の帯江に置かれていたのですが、周辺への環境汚染が深刻となった事から洋上のこの島が移転先に選ばれました。
島北部の小高い丘一帯には、巨大な煉瓦煙突を備えた精錬炉や作業場、倉庫、発電所等一連の施設が築かれていきます。
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広大な敷地には様々な建物跡が残っていますが、完全な姿で残っている建物は一つもありません。殆どが屋根を失い、崩れかけた壁や床だけの姿となっています。
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建材として使われている独特の色合いの煉瓦は、精錬時に出来る鉱滓を固めたカラミ煉瓦と呼ばれるものです。壁面だけでなく、路面の敷石としても使われています。
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近代産業に不可欠の資源である銅の生産は、経済の発展に伴って順調な伸びを示し、犬島の人口は3,000人を越えるまでに膨れ上がります。しかし、操業を開始して僅か10年後の大正8年、銅価格の暴落により精錬所は廃止されてしまいます。
以来、90年以上の長きに渡り、これらの施設は放棄され風雨に晒される事となります。
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施設の中心に並ぶ炉の跡
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煙突は最も背の高い円柱型の物の他に、数本の角柱の煙突が確認出来ます。何本かの煙突は劣化によって途中で折れています。
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精錬施設から少し離れた場所にある旧発電所の跡。手前には井戸を模したオブジェが据えられています。
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海岸線付近の煉瓦を敷き詰めた一角に、小さく区切られた小壁が並んでいます。精錬を終えた銅はこの出荷場から船に積み込まれて行きました。
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長い間廃墟同然となっていた精錬所ですが、現在は、岡山を本拠とするベネッセコーポレーションによってアートプロジェクトの会場に利用されています。半地下形式で建てられたアートパビリオンは旧精錬所建物と一体となって新たな景観を成し、それぞれの個性を引き立てあっています。
さすがにこれだけ広大で、なお且つ建物の用を為していない施設ともなると、普通の用途での再利用はまず不可能でしょう。廃墟をアートとしてそのまま利用するこの発想は、条件さえ合えば有効な活用法となるかもしれません。
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by sunshine-works | 2009-10-13 23:26 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 05月 19日
旧網干銀行本店
姫路の近代建築その10

姫路市の南西、揖保川の河口に位置する網干は、漁港として、また内陸部と結ぶ水運の要衝として栄えた町でした。明治以降は臨海部に進出した多くの工場によって工業都市としての色合いを強め、豊かな経済基盤に支えられて発展していきます。今でも古い町並みが残るこの網干の中心部に、大正期に建てられた地場銀行の建物が残っています。現在洋品店として使われているこの建物は大正10年頃の築と言われています。
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山陽電鉄網干駅から南方向、木造家屋が連なる路地にアーケード式の古びた商店街が南北に伸びます。現在は人通りも疎らで寂れてしまった一角ですが、家々の屋根越しに一際目立つ建物が現れてきます。特徴的な丸屋根を持つこの建物は網干銀行の本店として建てられました。
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地方銀行の建物としてはかなりユニークな建物です。当時流行したセセッションの影響を受けたモダンなデザインですが、コーナー部分の円錐屋根は東洋的あるいは中東風でもあります。
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大正時代の建物ですが非常に良く手入れされています。店舗入口がシャッターに改装されている以外、残せる部分は極力オリジナル通りに保たれているようです。個人所有の建物として維持管理するには相当な負担と思われますが、大切に扱われているのが感じ取れます。
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明治以降、各地に乱立していた小規模な地方銀行は段階的に統合されていきます。この網干銀行も昭和初期に姫路を拠点とする三十四銀行に吸収されます。その後もこの建物は行名を数回変えながらも、銀行店舗として昭和40年代まで使用されました。その後は現在の洋品店が入居していますが、この洋品店の歴史も建物の年齢の半分近い40年を越える長い歳月を経ている事になります。
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この建物は狭い商店街に立地し、更にアーケードが前面を塞いでいる関係で全貌を捉えた写真が撮れないのですが、路地から部分的に覗き見えるエキゾチックな姿は、周囲の趣のある建物と一体となった、むしろ味わい深い景色になっています。
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これだけの規模の建物がこの地方都市の小さな商店街に建てられた事は、現在ではなかなか想像し難いのですが、当時は相当栄えた町だったようです。姫路の中心部が発展し、交通アクセスが整備されるに伴って周辺部の小さな町は徐々に寂れていったものと思われます。懐かしさの漂う町並みに残る、この旧網干銀行本店は賑わいでいた往時の雰囲気を今に伝えています。
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by sunshine-works | 2009-05-19 21:02 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 23日
旧陸軍第10師団兵器庫
姫路の近代建築その5

今日、播磨の拠点都市として、さらには国際観光都市として賑わう姫路ですが、かつては陸軍第10師団が置かれた軍都でもありました。
都市部にあって広大な敷地が確保できる城郭は、明治以降多くの都市で師団本部の設置場所として利用されますが、姫路も明治29年に内曲輪に第10師団が置かれます。師団本部の他、市内各所に隷下の各連隊の建物、錬兵場、陸軍病院、その他関連施設が建てられ、道路やインフラも軍中心に整備されて行きます。
敗戦により師団は消滅し、軍関係施設の殆どは残っていませんが、今回と次回は現存する旧軍関係の建物を紹介します。
現在姫路市立美術館として使われているこの建物は旧第10師団の兵器庫、被服倉庫として建てられました。明治38年築、大正2年増築。設計:陸軍省。
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師団司令部を始め、軍関係施設の多くは昭和20年の姫路大空襲で焼失してしまいました。姫路の中心街を焼き尽くした空襲ですが、姫路城は被害を免れ、城に隣接するこの建物も無傷で残ります。終戦直後から約30年間を市役所として使われ、その後美術館に改装されて今に至ります。
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各地に残る旧軍のレンガ倉庫と共通するデザインです。そもそもレンガ倉庫自体がどれも似通っているので、規模と階数が同じならば同様な印象となります。改装された際に窓に格子が嵌められていますが、おそらくは各窓に鉄の扉が付く、いかにも倉庫然とした建物だったと思われます。
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築後100年を経過している建物ですが、壁面は補修され、美しく保たれています。年輪を感じさせる古びた煉瓦の風合いが残されていないのは残念ですが、美術館としてはそうも行かないのでしょう。
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西側に建つ棟が最初に建てられ、後年に北側の建物が増築されています。こちらが後年に増築された棟です。
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城をバックに庭園と煉瓦の建物が織り成す風景は、巣晴らしい眺めです。
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軍によって支えられた戦前の姫路ですが、戦後、広大な軍隊跡地はその後の都市計画に組み込まれ再開発されて行きます。何よりも姫路城が軍の管理下から離れた事は観光都市姫路にとって最大のメリットとなりました。
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by sunshine-works | 2009-04-23 00:15 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 19日
旧第三十四銀行姫路支店
姫路の近代建築その4

城下町を基に発展した姫路の中心市街は、姫路駅から姫路城の間の約1キロ四方の範囲に及びます。碁盤目状の町並みに幾つもの商店街が連なり、地方都市としては規模の大きな商業集積地となっています。
戦前から栄えたこの中心街ですが、空襲によって古い建物の多くは失われ、戦禍を免れた建物もその後の再開発によって殆どが建て替えられてしまいました。姫路の近代建築その4は、姫路の中心部に現存する数少ない戦前築の建物を紹介します。
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現在は医院として使われているこの建物はその後に山口銀行、鴻池銀行と合併して三和銀行となる第三十四銀行の姫路支店として建てられました。大正6年築。
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中心街の北西、商店街から少し離れた静かな一角に建っています。元銀行の建物なのですが、その後医院に改装された為か、一見しただけでは銀行には見えません。
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レンガ構造の建物ですが、正面はモルタルで仕上げています。小さな玄関を中心としたシンメトリーデザインに縦長窓が並びます。規模も小さく、銀行としては控えめな印象です。
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この建物については資料が乏しく、いつから医院として使われているのか不明ですが、掲げられている看板の書体から判断すると比較的古い時期に医院に変わっている様に思えます。
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側面には建築当初の名残りが窺えます。赤レンガ壁に白のラインでアクセントを付け、頂部にメダリオンを飾っています。地味な正面側に比べると側面は華やかな印象を受けます。
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買物客や観光客で賑わうアーケード街を一歩外れると、市街地でもこのあたりは人通りも疎らで、銀行店舗が置かれていた当時とは周囲の様相はだいぶ変わってしまったようです。
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旧銀行店舗を医院に転用した数少ない事例です。これ位の規模であれば個人医院として扱いやすい建物だったのかも知れません。
銀行店舗から医院に転じたこの建物ですが、医院としてもそろそろ限界を迎えている様に思えます。この界隈の変遷を刻む小さな建物はやがて静かにその役割を終え、記憶の中に残って行く事となるのでしょうか。
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by sunshine-works | 2009-04-19 22:50 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 07日
旧大同燐寸工場施設
姫路の近代建築その1

近代建築Watch播磨編は今回より姫路を巡ります。
国宝姫路城で知られる姫路は古来より播磨の経済・文化の中心地でした。神戸が開港するまでは現在の兵庫県地域で最も多くの人口を擁する都市として榮え、明治以降も県西部の拠点都市として重要な地位を占めて来ました。
商業都市として、近代工業都市として、さらには軍都として、様々な歴史を今に伝える近代化遺産が数多く残る姫路の建築を紹介していきます。

姫路駅から南西方向、小さな川に沿って煉瓦の建物が並んでいます。この建物はかつて日本が大きなシェアを誇っていたマッチの製造工場として建てられたものです。
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明治以降、富国強兵の名の元に国家主導で重工業の育成が推し進められてきましたが、戦前の日本で国際競争力を持つ工業製品と言えば、繊維製品や日常生活用品といった軽工業製品に限られていました。
この分野に於いて日本は中国・アジア市場で大きなシェアを築き、欧米各国と激しい競争を続けていました。これら海外に輸出された日常品の中でも、とりわけ日本が質・量共に他国を凌駕していた製品として挙げられるのが燐寸、すなわちマッチの製造でした。
気候が乾燥した播州地方はマッチの製造に適し、姫路には多くのマッチ工場が建てられましたが、この建物も当時日本最大のマッチ製造会社となった大同燐寸の工場・倉庫として昭和6年に建てられたものです。
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煉瓦造りの、おそらくは元倉庫だったと思われる建物が川沿いに連なります。アーチ窓に面格子を配した一般的な煉瓦倉庫のスタイルです。この横長の倉庫建物は東側と北側の2面の敷地に沿って配置されています。
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*頭上を横切る桁は昭和40年代に運行していた姫路モノレールの遺構です。
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大正中期、第一次世界大戦の影響を受け輸出が止まった欧州のメーカーに代わって日本のマッチ業界は最盛期を迎えます。しかし、この建物が建てられた昭和6年頃には一転して輸出の停滞期となっていました。その後すぐに大同燐寸は実質的な破綻を迎え、日産財閥系の日産農林工業へ引き継がれていきます。社名は変わりながらも同社のツバメをデザインしたマッチラベルは数あるマッチの中でも有名ブランドとして広く知れ渡っていました。
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一部の窓には木製の窓枠や鉄の面格子が当時のまま残っています。
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幾つかの窓は塞がれていたり、アルミの面格子に変えられています。
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日産農林工業のマッチ工場として昭和22年まで操業を続けたこの工場は、その後山陽色素の姫路第二工場として現在も現役で使われています。

南側に工場の入口があります。構内には大小の煉瓦の建物が確認できます。築年代は特定できませんが幾つかの時代に渡って建てられた物かも知れません。
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主要な輸出産業として日本の経済発展に寄与し、身近な広告媒体としても親しまれたマッチ製造業はライターや自動着火式のガスコンロの普及によって急速に衰退していきます。現在でも兵庫県は全国一のマッチ生産量を誇りますが、往時に比べるとその規模は遥かに小さいものとなっています。姫路周辺に数多く建てられたマッチ工場も戦前の建物で現存するものはここ以外には見当たりません。この建物は一時代を築いた花形産業の盛衰を偲ぶ唯一のものとなっています。
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by sunshine-works | 2009-04-07 21:38 | 近代建築 | Trackback | Comments(4)
2009年 03月 09日
神田家洋館
加古川の近代建築その7

日本毛織加古川工場敷地の南側に連なる古い商店街の一角に一軒の小さな洋館が建っています。
この建物は当地で瀬戸物商を営んでいた神田家の応接施設兼倉庫として建てられたものです。築年は大正期と推測されています。
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宿場町の名残を留めるこの通りは工場が活況を呈していた当時、日本毛織で働く多くの従業員で賑わう繁華街でした。現在は商業の中心が駅前に移り人通りも少なくなってしまいましたが、今でもこの周辺には当時を偲ばせる古い建物が残っています。
少し前までこの建物の場所にも戦前築の陶器店が建っていたのですが、平成15年に老朽化により取り壊される事となりました。この解体工事で取り払われた前面の建物の奥から現れたのが今回紹介する小さな洋館です。
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前面が洋館、その奥に倉庫兼作業場が繫がっています。
この建物は修復保存される際に3階より上を解体し、危険箇所の幾つかを撤去しています。
裏庭に散乱する瓦礫はこの時解体されたものと思われます。
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残念ながら内部は撮影禁止です。室内は8帖程度の広さしかなく、水周りも有りません。前面にあった店舗の離れとして接待用に使われていたと思われます。
*詳細はこちらをご覧下さい。
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2階へ上がる急傾斜の階段。2階は見学できなかったので内部はわかりません。この階段は予備的な物で、普段は前面にあった建物の2階部分と結ばれた通路から出入りしていたとの事です。
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小さな建物ながら、アーチ窓や上げ下げ式の窓を備えた洋館の造りです。建築様式として特定の様式に則ったものではなく、設計者あるいは施主の嗜好で自由にデザインされた印象を受けます。
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加古川工場の敷地を囲う煉瓦壁と路地を一本隔てて建っています。現在は崩れかけていますが、この建物の裏庭も煉瓦壁で囲われており、一体となって景観を成しています。
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小さな地下室が設けられています。倉庫として使われていたようです。現在はカフェーとして利用されています。
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小さいながらも独特の存在感で人目を強く惹き付けるこの建物は国の有形登録文化財に登録されています。有形登録文化財としては最も小さな建物かもしれません。
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by sunshine-works | 2009-03-09 20:32 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2009年 02月 28日
旧日本毛織加古川工場6番倉庫
加古川の近代建築その5

前回紹介した日本毛織加古川工場の北側に広がる商業エリアに1棟の煉瓦建物が建っています。この建物は倉庫として同工場の開設時に建てられたものです。
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日本毛織加古川工場は明治32年の開設以来100年以上に亘り同社の主力工場として操業を続けていますが、段階的に隣の印南工場にラインが集約され、徐々にその規模を縮小してきました。跡地の再開発に伴って工場施設の多くは取り壊されてしまいましたが、この大きな建物だけは残されて「カラオケレンガ館」として利用されています。
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天井を高く取った3階建ての巨大な煉瓦倉庫です。コンクリート建築が普及する前の倉庫としては最大級の規模ではないでしょうか。開口部が少ない構造とは言え、内部空間を大きく取る必要のある倉庫では限界に近い大きさかもしれません。
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倉庫だけに全く装飾要素はありません。玄関らしき物も無く、煉瓦壁に小さな窓が並ぶだけのシンプルなデザインですが、程よく風化した煉瓦の色合いが何とも言えない味わいを出しています。
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3階の壁面に書かれている6の数字は6番倉庫を表しています。
この様な巨大な倉庫が多数並んでいた当時の眺めは、さぞや壮観だった事と思います。
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建物内部の様子。コンクリートの柱で補強されています。改修時に加えられた物でしょうか。オリジナルの外観を保ちながら内側は大幅に改装されています。
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旧工場建物の再利用方としてこのような転用事例は他にも数多く見られます。使い勝手に難がありそうな煉瓦建物ですが、独特の雰囲気は商業施設には最適の様です。
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by sunshine-works | 2009-02-28 17:58 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 12月 23日
旧鐘淵紡績洲本工場施設その2
淡路島の近代建築その4

前回に引き続いて旧鐘淵紡績洲本工場の2回目をお送りします。
今回はこの一帯に残る4つの旧工場建物のうちの北側(かっての工場敷地の奥側)に位置する建物を紹介します。

洲本アルチザンスクエアの名称で商業テナントと文化施設が入居する複合ビルとして使用されているこの建物は旧紡績工場及び旧気缶室を再利用したものです。
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この部分は前回紹介した建物と同じく旧気缶室だった建物です。前方部分を残して後ろ側に新造部分を繋いでいます。
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建物から伸ばされたゲートは旧紡績工場の壁面を利用しています。
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建物内側です。旧建物の壁面が随所に残されています。
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アルチザンスクエアの隣には洲本市立図書館が並びます。この建物も旧紡績工場の壁面を利用しています。
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図書館入口に聳えるこの四角い構造物は塵突と呼ばれる埃や繊維屑を排出する設備です。
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少し離れた場所には旧原綿倉庫だった建物が残っています。一時期 美術館として利用されていましたが現在は閉鎖されています。
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淡路島最大の工場だった鐘淵紡績の存在によって洲本市は企業城下町として発展していきました。地域経済に大きく貢献したこの工場はその役割を終えましたが、中心施設として再び街のシンボルとなっています。
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by sunshine-works | 2008-12-23 08:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 12月 18日
旧鐘淵紡績洲本工場施設その1
淡路島の近代建築その3

戦国時代に築かれた洲本城の城下町だった洲本の街は淡路島の産業・文化の中心として栄えました。明治以降に進出した近代産業もこの洲本がその始まりとなりました。明治後期には洲本川河口の埋立地に鐘淵紡績の工場が築かれ、以来昭和60年代初頭まで淡路島最大の事業所として操業が続けられていました。その後この広大な工場跡地にはショッピングセンターやバスセンターが設けられ公共空間として再生されましたが、中央の一角には紡績工場時代の建物が数棟残されています。今回と次回に分けて現存するこれらの煉瓦建物を紹介して行きます。
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大正5年築、紡績工場の気缶室だった建物です。現在はレストランと物産の直売所になっています。
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2階部分に入り口を設けた特殊な造りです。ボイラーが設置されていた棟と思われます。
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窓は付け替えられていますが、煉瓦壁は当時のままです。
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隣り合った2つの棟が組み合わさった複雑な構造になっています。
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建物裏側です。
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周辺は市民広場として旧工場建物を利用した公共施設や観光施設に活用されています。古い建物と広大な敷地を活かした旧工場施設ならではの優れた再生事例となっています。
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by sunshine-works | 2008-12-18 21:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)