2024年 09月 08日
叶埼灯台
高知県土佐清市の近代建築

四国の南端、土佐清水市の海岸線に沿って国道を進みます。トンネル手前の小路を折れて程なくすると高台に据えられた白い灯台が見えてきます。この叶埼灯台は明治44年に設置されました。
叶埼灯台_f0116479_14085234.jpg

高さ8.5メートル、八角形状に煉瓦を積み、表面をモルタルで仕上げます。規模としては小さな灯台ですが、突き出した岬の高台に設置された事で40メートルの灯高となり、25キロメートルの光達距離を得ます。
高知県内に設置された灯台としては三番目に古い灯台で、現存するものとしては室戸岬灯台に次ぐ歴史を持ちます。
叶埼灯台_f0116479_14093107.jpg
叶埼灯台_f0116479_14095186.jpg
叶埼灯台_f0116479_14102250.jpg
叶埼灯台_f0116479_14112198.jpg

明治初期に外国人技師が中心となって全国の主要部に設置された近代灯台は、その後はその隙間を埋めるような形で浦々の難所や混雑海域への設置が進められます。
豊後水道の入口にあたるこの海域は、潮流が速く岩礁や暗礁も多数存在する難所で、通船量の増加に伴って海難事故も多発していました。灯台設置の必要を認めた高知県は自らの手でこの灯台を設置し、県営灯台として運営を始めます。
叶埼灯台_f0116479_14123615.jpg
叶埼灯台_f0116479_14130817.jpg
叶埼灯台_f0116479_14284267.jpg
叶埼灯台_f0116479_14293439.jpg
叶埼灯台_f0116479_14133867.jpg
叶埼灯台_f0116479_14280192.jpg

八角形の灯塔の上にはコンクリート製円柱形状の灯室、頂部には鉄製のドームを被せます。これらは昭和40年代の改修時に設置されたもので、当初の灯室は木で造られていました。
叶埼灯台_f0116479_14270980.jpg
叶埼灯台_f0116479_14300608.jpg

明治期に設置された灯台の構造材は大きく分けて鉄製、煉瓦積み、石積みのものがありましたが、煉瓦積み灯台と鉄製灯台は初期に建てられたものに多く見られ、後半は石積み灯台が主流となり、やがて大正期を迎えると頑丈なコンクリート製へと移行していきます。
現存する煉瓦造灯台は全国で10例程ありますが、殆どが明治前半に設置されたもので、明治44年に建てられたこの叶埼灯台はおそらく最後に建てられた煉瓦灯台と思われます。
叶埼灯台_f0116479_10182424.jpg


# by sunshine-works | 2024-09-08 11:30 | 近代建築 高知県 | Trackback | Comments(0)
2024年 09月 01日
高知県の近代建築
高知県の近代建築

香川、徳島、愛媛の順に廻って来た四国の近代建築探訪、今回より最後となる高知県編を始めます。
四国の南側、北を四国山地が走り、南に太平洋が面する高知県は、四国最大の山林面積を有し、深い山々を源とする清流が平地を潤して太平洋に注いでいきます。この豊かな自然と産物に恵まれた県内各地には、それぞれの歴史と文化に育まれた多くの町村が栄え、やがて明治の文明開化を迎えます。
西洋からもたらされた最新技術は、近代都市の礎となる各種建造物を建て、物流や暮らしを支えるインフラを整え、工業の発展を担う産業施設を各地に築いて行きました。
次回より、四国山地の山あいから太平洋の沿岸部に至る県内各地に残るこれらの近代化遺産の数々を順次紹介して行きます。

高知県の東南、太平洋に突き出した室戸岬に設置された鉄製の灯台。室戸岬灯台は明治32年に初点灯されました。
高知県の近代建築_f0116479_16041109.jpg

かつて日本三大杉の産地として栄えた高知県東部の森林地帯。最盛期に木材の運搬を担った森林鉄道の遺構が数多く残されています。魚梁瀬森林鉄道立岡二号桟道は昭和8年に設置されました。
高知県の近代建築_f0116479_16065868.jpg

芸西村の中心部に残る旧医院。旧末延堂医院は昭和2年に建てられました。
高知県の近代建築_f0116479_16175008.jpg

香美市の市街地に残る昭和5年に建てられた旧美良布村信用販売購買利用組合の建物。一時期はアンパンマン図書館として使われていました。
高知県の近代建築_f0116479_16230543.jpg


高知の空の玄関口、高知龍馬空港はかつて海軍飛行場だった場所。空港傍の田畑の中に大小数基の掩体壕が今尚残ります。とりわけこの双発機用と思われる大型掩体壕は全国的にも希少な現存例です。
高知県の近代建築_f0116479_16263320.jpg

高知市の中心部で明治期開業の古い歴史を持つ織田歯科医院。現存する建物は大正14年に建てられました。
高知県の近代建築_f0116479_16462389.jpg

高知で最も古い旧制中学校、旧海南中学校は、戦後の学制改革を経て現在の高知小津高等学校に連なります。昭和7年に建てられた校舎は平成期に建替えられましたが、中央部分はそのまま残されています。
高知県の近代建築_f0116479_17043536.jpg

高知城近くの市街地に建つ日本聖公会聖パウロ教会。現在の礼拝堂は昭和7年に献堂されました。
高知県の近代建築_f0116479_17113688.jpg

須崎市で数々の事業を営んだ三浦家の旧邸宅兼店舗。和洋折衷様式のこの建物は大正5年に建てられました。
高知県の近代建築_f0116479_17182203.jpg

愛媛県との県境近く、梼原町で資料館として使われている旧庁舎。旧西津野村の役場として明治24年に建てられました。
高知県の近代建築_f0116479_17255455.jpg

山が深く、河川に恵まれた高知県には優れた土木遺産が数多く残されています。四万十町の家地川取水堰は佐賀発電所の取水堰として昭和12年に設置されました。
高知県の近代建築_f0116479_17343219.jpg

土讃線仁淀川橋梁は大正12年架橋。8連のトラスが清流を渡ります。
高知県の近代建築_f0116479_17393132.jpg

仁淀川町の大渡隧道は昭和7年竣工。多くの隧道遺構が残る高知県の中でも、この大渡隧道は他に類を見ない豪華な意匠です。
高知県の近代建築_f0116479_17463555.jpg

県北部、大豊町の山間部に残る廃橋。旧吉野川橋は明治44年に架けられました。
高知県の近代建築_f0116479_17495498.jpg

昭和15年に水力発電用として設置された大橋ダム。堤高73メートルは戦前に築かれたダムとしては四国最大の規模となります。
高知県の近代建築_f0116479_17571886.jpg



# by sunshine-works | 2024-09-01 11:40 | 近代建築 高知県 | Trackback | Comments(0)
2024年 08月 25日
四階楼
山口県上関町の近代建築

山口県の南東部、室津半島の先端の町に、明治初期に建てられた和洋折衷様式の木造洋館が残されています。この建物は、元奇兵隊志士で、その後は当地で廻船業を営んだ小方謙九郎が店舗兼応接施設として建てたもので、地元の棟梁の設計施工によって明治12年に竣工しました。
四階楼_f0116479_16432852.jpg

木造4階建て寄棟造り桟瓦葺き、壁面は漆喰仕上げ。正面側の各層に軒庇を張り出し、建物端に隅石を飾ります。
構造は伝統的な漆喰仕上げの和風建築を基本に、洋風意匠を取り込んだいわゆる擬洋風建築。
このような様式の建物は明治期から大正期にかけて各地に建てられますが、明治12年に建てられた四階楼はこれらの中でも極めて初期の築で、全国的にも数少ない現存例となります。
四階楼_f0116479_16434424.jpg
四階楼_f0116479_16441337.jpg

小方謙九郎は現在の周南市徳山で生まれ、室津の回船問屋小方家の養子となった後に奇兵隊に参加して参謀を務め、明治維新後に再び室津へ戻り家業を継ぎます。
商業が栄えた室津の町で小方家は大店として知られた家で、この建物が建てられた明治初期には盛況を極めた海運業の元で更なる繁栄を遂げます。
この様な時代背景の中で建てられた洋風意匠四階建ての四階楼は、当時の室地の発展を象徴する建物となりました、
四階楼_f0116479_16452114.jpg
四階楼_f0116479_16513637.jpg
四階楼_f0116479_16454148.jpg
四階楼_f0116479_16460684.jpg
四階楼_f0116479_16462848.jpg
四階楼_f0116479_16470810.jpg

建物コーナーを飾る隅石。切石を貼ったように見えますが、漆喰を盛って成形したものです。
四階楼_f0116479_16520039.jpg

最上階の軒下にはこちらも漆喰で和風の模様が飾られます。
四階楼_f0116479_16545786.jpg

店舗兼迎賓施設として建てられた四階楼ですが、大正14年には旅館に改装され、平成3年まで使用されます。その後は上関町に寄贈され、耐震補強と竣工当時の姿への修復を行い、展示施設として公開されています。
四階楼_f0116479_17043130.jpg


室内は畳敷きで襖と障子で仕切る純和風の造り。唯一縦長の窓だけが洋風の意匠です。
四階楼_f0116479_17132291.jpg


各階を繋ぐ小さな螺旋階段。階段室を設けず直接部屋に踏み入ります。
四階楼_f0116479_17155300.jpg

三階の部屋に飾られる唐獅子牡丹の鏝絵。
四階楼_f0116479_17175320.jpg


三階の裏面には小さな茶室が設えられています。
四階楼_f0116479_17223730.jpg

最上階の大広間は四面にステンドグラスの窓を廻らせます。
四階楼_f0116479_17252437.jpg

天井中央には鳳凰の鏝絵を飾ります。
四階楼_f0116479_17273980.jpg


# by sunshine-works | 2024-08-25 11:30 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(2)
2024年 08月 18日
旧周防銀行本店
山口県柳井市の近代建築その2

山陽本線柳井駅の北側、駅前から続く通りが緩やかな坂を上る途中に、明治期に建てられた銀行店舗が残されています。
この建物は周防銀行本店として明治40年に建てられました。
旧周防銀行本店_f0116479_11262372.jpg

古くから港が開かれた柳井は、江戸期には特産の綿花を使った綿織物や菜種油・綿実油の生産や、醤油、塩の商いで栄え、周防地方で最大の商業都市として発展しました。
明治期になっても柳井は物流と商業の拠点としての地位を保ち、豊かな地域経済に支えられて近代的な都市が築かれていきます。
このような商業や交易の繁栄による資本の蓄積の中で発足したのが周防銀行で、地場の商工業者有志の出資によって明治31年に開業した同行は、その後僅か10年程で山口県で最大の預金量を誇る規模にまで発展を遂げます。
現存するこの旧本店は、柳井銀行の繁栄の頂点となる明治末期に建てられたもので、古典様式を基にした優美な造りは、当時の柳井の繁栄ぶりを今に伝えます。
旧周防銀行本店_f0116479_11273957.jpg
旧周防銀行本店_f0116479_11280591.jpg

木造2階建て、外壁はモルタル仕上げ、寄棟屋根は鉄板葺き。1階壁面には縦長アーチ窓、2階壁面には方形の縦長窓を並べ、窓の両脇に屋根まで貫く付柱を飾ります。
ドーム状の半円屋根を被せた入口上部のバルコニー、軒下の帯状のモールド、窓周りのアーチ飾り等、この時代の銀行建築の装飾表現が各所に盛り込まれています。
設計は日本銀行の多くの店舗を手掛けた長野宇平治が原案を作り、弟子にあたる佐藤節雄が担当しました。
旧周防銀行本店_f0116479_12000171.jpg
旧周防銀行本店_f0116479_10063995.jpg
旧周防銀行本店_f0116479_10082568.jpg
旧周防銀行本店_f0116479_10083884.jpg
旧周防銀行本店_f0116479_10085066.jpg
旧周防銀行本店_f0116479_10073526.jpg
旧周防銀行本店_f0116479_10080550.jpg
旧周防銀行本店_f0116479_10100587.jpg
旧周防銀行本店_f0116479_10183569.jpg

現在はシンメトリーな造りの正面側ですが、古い写真を見ると入口は中央ではなく建物右手側に付けられ、玄関ポーチには半円ドームの屋根を乗せた庇を構えていました。その他にも建物中央の屋根上には円形のメダリオンを据えた大きなペディメントを掲げ、窓の上下部分もモールディングが添えらる等、今以上に豊かな装飾表現が為されていました。
旧周防銀行本店_f0116479_11594760.jpg

地域最大の銀行として経済を支えた柳井銀行ですが、この建物が建てられた僅か7年後、取付騒ぎを発端として休業に追い込まれ、程なくして廃業してしまいます。その後建物は百十銀行、山口銀行に引き継がれ、銀行店舗の役目を終えた後は市に移管され、観光案内所や資料館として現在に至っています。
旧周防銀行本店_f0116479_10115038.jpg


# by sunshine-works | 2024-08-18 15:40 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(0)