2010年 07月 11日
岡山県真庭市の近代建築その2 旦土大橋から旭川を上流側に更に遡ると、大きな屈曲部に差し掛かります。支流の備中川の分流点となるこの美作落合に架けられた橋も、昭和9年の室戸台風後の復旧事業で架けられました。 上流に近づくに連れて川幅は狭くなっていきますが、広い河川敷を伴うこの地点に架けられた落合橋は下流側の旦土大橋や江与味橋よりも長い橋となりました。約180メートルの距離を3連のトラス橋が渡っていきます。 同時期に架けられた室戸台風の復興橋に共通するトラス構造の橋です。三角形に鋼材を組み合わせて繋いでい行くこの工法は、単純桁の橋に比べて強度に優れ、径間の長い橋を架けるのに適していました。 幅広い区間を渡るこの橋に設けられた橋脚は中間に2本のみ、両岸の橋台から橋脚の間に長いスパンの橋桁が渡されます。 この時代に架けられた橋の多くは今尚現役で使われていますが、車線幅の狭さや耐重量の制約もあって、その後に架けられた新橋にその地位を譲り、「旧道」として辛うじて命脈を繋いでいる例も多く見られます。 この落合橋もその一例ですが、用途を限れば如何様にも使い続けられるのが橋梁の利点かも知れません。 #
by sunshine-works
| 2010-07-11 23:40
| 近代建築 岡山県
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2010年 07月 07日
宝塚の近代建築その9 前回に引き続き、雲雀丘に残る大正期の洋館をもう一つ紹介します。 大正12年に建てられたこの建物は、雲雀丘に数棟建てられていたW.M.ヴォーリズ設計の洋館のうち現存する唯一の物です。 雲雀丘地区の邸宅は規模が大きな物ばかりですが、この旧諏訪邸も非常に大きな建物です。坂道に面した大きな妻面が遠方からもよく目に付きます。 ヴォーリズが開いた近江療養院の医師、諏訪蛍一氏の邸宅としてヴォーリズ自ら設計を手がけたこの建物は、木造3階・地下1階建、大きな腰折れ屋根や開放的なテラスが特徴的なコロニアルスタイルの洋館です。 設計に際しては、「洋風住宅」と「郊外生活」が日本人の健康向上に不可欠との考えを持っていた諏訪医師の理念が各所に取り入れられているそうです。 この建物も南に大阪平野の素晴らしい眺望が広がります。前庭に面して設けられたテラスの大きな窓からは、たっぷりと日差しが差し込みます。 テラスから室内を窺います 前庭から小さな階段が南側の入口に通じています。 諏訪医師の邸宅として使われたのは大正12年から昭和4年までの僅かな期間でした。その後この建物は東洋製罐創設者の高崎達之助の邸宅として使用され、現在は同社の関連機関である東洋食品研究所によって管理されています。 西側に設けられた正面玄関。昭和13年に増築されたものです。 ヴォーリズ作品にお馴染みの煉瓦煙突 日本の高級住宅街の先駆けとなったこの雲雀丘には、この他にも築80年を超える建物が10数棟現存していますが、これらはどれも比較的狭い範囲の中に集まっており、緑豊かな町並みの中で素晴らしい景観を織り成しています。阪神間モダニズムと呼ばれた山手文化華やかなりし時代、駅から続く丘陵一面に当時最新の洋館が建ち並んでいた様は、さぞかし壮麗な眺めであった事と思います。 #
by sunshine-works
| 2010-07-07 00:34
| 近代建築 兵庫県
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2010年 07月 03日
宝塚の近代建築その8 宝塚市の東部、阪急電鉄雲雀丘花屋敷駅の北側に大正期から昭和の初めにかけて開発された住宅街が広がっています。 この雲雀丘住宅地の一角、大阪平野を見晴らす斜面の中腹に1棟の洋館が建っています。 この建物は開発初期に建てられ現存する10数棟のうちの一つで、古塚正治の設計により大正中期に建てられました 箕面有馬電気軌道が沿線の池田や箕面、豊中等で宅地開発を行っていた同時期、長閑な農村地帯だったこの地を高級住宅街として開発したのは、灘・住吉村や芦屋の宅地開発を手掛けた阿部元太郎でした。階段状に緑豊かな邸宅が並ぶ街路には電線や下水道が地中埋設され、街灯が灯された道に乗合自動車(バス)が運行される、当時最も先進的な郊外住宅地として造成されていきました。 設計者の古塚正治は阪神間に多種多様な作品を残していますが、この建物の設計には当時流行のセセッションスタイルを用いています。 よく手入れされた生垣で仕切られた敷地北側。どの邸宅も豊かな植栽で飾られています。 大阪平野を一望する素晴らしい眺め。雲雀丘の各戸には眺望と景観の保全に関する細かな規則が定められていました。この建物を含めて古い建物の屋根が赤く塗られているのも当時の取決めに由来しています。 前庭に出て建物正面を眺めます。 この地区の洋館は何処も非公開で普段は敷地内に立ち入る事が出来ませんが、この旧徳田邸(現在は元宝塚市長正司氏の邸宅)は春に実施されるオープンガーデンフェスタの期間に公開されます。 東京に比べて都心部が狭い大阪では早くから郊外住宅地の開発が進められ、船場地区の富裕層も阪神間や北摂地区に居を移す事となります。この様な中で関西屈指の高級住宅地として開発された雲雀丘の手法は、雛型としてその後各地で同種の宅地開発に採り入れられていく事となります。 #
by sunshine-works
| 2010-07-03 16:58
| 近代建築 兵庫県
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2010年 06月 29日
香川県高松市の近代建築その3 琴電の屋島駅からバスで約10分、標高300メートル程の屋島山上へ到着します。現在は有料道路によって結ばれている屋島山上ですが、平成17年に廃止されるまでは麓と山上の間に登山鉄道が運行していました。 この旧屋島ケーブルの施設の多くは廃業当時のまま残されており、山頂の南端には昭和4年の開業時に建てられたモダンな駅舎が現存しています、 山上に第八十四番霊場の屋島寺が開かれ、古くから登山道が通じていた屋島は、近代になると讃岐平野や眼下の島々を一望する眺望を活かした観光地として開発されていきます。参詣客と観光客を運ぶ交通アクセスとして敷設されたのがこの屋島登山鉄道(屋島ケーブル)でした。、 モダニズムを強く意識したこの建物は、地方の鉄道駅舎とは思えない先進的な意匠です。おそらく、当時の高松の市街地の何所にも、これ程印象的な建物は無かったのではないかと思います。 直方体を組み合わせたモダニズムスタイルを基本としていますが、半円状の庇やコーニスの表現等には表現主義や古典様式の要素も残されています。 何かのアンテナか、それとも避雷針でしょうか。 側面の庇。階段状に繋がり、重なりあって周囲を取り巻きます。 この庇の持ち送りも表現主義的な意匠です。 閉鎖されて5年を経過、補修されるでもなく、解体されるでもないまま風化が進んでいきます。 ガラス窓越しに内部を窺います。閉鎖された5年前のままですが、昭和の雰囲気が色濃く漂っています。 ホームには車両がそのまま留置されています。 かつて各地の山々で観光客を運んだケーブルカーやロープウエイも近年は利用者が減少傾向にあり、止む無く廃止に至る施設も増えています。レジャーの多様化や道路の整備が主な要因と思われますが、観光地の片隅に忘れ去られた様に残るこれらの遺構には、どこか物悲しさを感じてしまいます。 #
by sunshine-works
| 2010-06-29 01:46
| 近代建築 香川県
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