2025年 10月 12日
山口線第一阿武川橋梁/徳佐川橋梁
山口県の鉄道遺産


新山口駅を出た山口線上り列車は山口市の中心部を抜けると阿武川に沿って北東へ進んで行きます。
並走する阿武川やその支流を幾つもの橋梁で渡るこの区間には、大正期の竣工時から100年を越えて使われている橋梁が現存しています。
今回は山口線の山口県内区間に残る2つの橋梁を紹介します。
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長門峡駅の東で阿武川を渡る第1阿武川橋梁は篠目駅 ~三谷駅間が開通した大正7年の竣工。円柱石積みの橋脚で4基のプレートガーダーを支えます。
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橋脚は円柱形で基礎や笠石を持たないシンプルな構造。ゴツゴツとした粗石を積んだ造りは以前紹介した同じ山口線の津和野川橋梁吉賀川橋梁と共通します。
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徳佐駅の東で沖田川を渡る地点に架けられた徳佐川橋梁は大正11年の架橋。国内に僅か3例のみ現存するラティスガーダー橋の一つです。
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ラティスガーダーは鋼板の代わりに格子に組んだL字型の鋼材を桁材としたもので、初期の鉄橋に用いられその後廃れたものの第一次世界大戦に伴う輸入鋼板の入手難から一時的に復活し、主に小規模な橋梁に使われました。


ラティスガーダー桁は大型鋼板を使わないメリットがあるものの、プレートガーダー桁に比べて耐荷重で劣り、製造に手間の掛かるこの形式は結局定着せず、国内で大型鋼板が造られるようになるとその必要性を失ってしまいます。
各地に架けられたラティスガーダー橋も順次他の形式の桁に架け替えられ、現在国内で現存するのはこの徳佐川橋梁の他は山陰本線の竹野川橋梁と田君川橋梁のみとなっています。
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# by sunshine-works | 2025-10-12 12:10 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(0)
2025年 10月 05日
旧三田尻塩務局小松志佐出張所
山口県周防大島町の近代建築

山口県の南東部、狭い水道を挟んだ沖合に瀬戸内海で三番目に大きな島、周防大島が位置します。
この海峡を橋で渡り、島の外周道路を西へ暫く進んだ先、海沿いの集落の一角に朽ちかけた木造建物と煉瓦建物が残されています。
これらの建物は三田尻塩務局の小松志佐出張所として明治39年に建てられました。
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二つの棟がL型に繋がる本館部分。木造平屋建て寄棟造下見板張り和瓦葺き。
左手の事務所棟は換気用に設けられた屋根窓、右手の検査棟は回廊を覆う庇を支える木造アーチが意匠のポイントで、建物の配置や構成は同時期に全国に建てられた塩務局出張所の基本形を踏襲しています。
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降水量が少なく波穏やかな瀬戸内海沿岸は古くから製塩業が栄えました。山口県の臨海部も各地に塩田が開かれましたが、この塩務局出張所が置かれた周防大島の小松地区もその一つで、江戸期から昭和40年代まで入浜式製塩が行われていました。
山口県では防府市三田尻と並ぶ二大産地だったこの地に塩務局出張所が置かれたのは塩の専売制度が開始された明治38年の翌年の明治39年で、この年に全国48か所で一斉に開局された出張所の一つでした。
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検査棟の裏側です。
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道路に出て建物側面の眺め
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敷地の隅に建つ煉瓦倉庫。塩を保管する為のもので、防湿対策として煉瓦が使われています。
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# by sunshine-works | 2025-10-05 11:30 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(0)
2025年 09月 28日
旧桜圃寺内文庫
山口県山口市の近代建築その13

山口市の中心部の東、山口線宮野駅北西の県道沿いの一角に、朽ちかけたコンクリート造の建物が残されています。
この建物は、朝鮮総督を務めた寺内正毅が朝鮮半島で収集した古文書や資料を収蔵する私設図書館として大正10年に建てられました。
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この場所はかつての寺内正毅邸宅跡地で、その一角に建てられたこの文庫が唯一現存する建物となります。
実際に文庫の設立にあたったのは寺内正毅の長男の寺内寿一で、寺内正毅はこの文庫の完成を見る事なく竣工の二年前に亡くなっています。
大正10年に建てられたこの文庫は鉄筋コンクリート二階建て、高さの異なる立方体のブロックを段違いに並べた独特な建物配置で、当時としても斬新な意匠に仕上げられました。
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中央に構える入口の鉄扉。両脇の持ち送りで庇を支えます。
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側面から裏側の眺め。現在はすべての窓が板で塞がれていますが、当時は大きなガラス窓が貼られ、鉄製の面格子で飾られていました。
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文庫は戦後に山口女子専門学校の図書館として引き継がれますが、昭和53年に図書館としての役割を終えた後は長く空家の状態が続いています。


# by sunshine-works | 2025-09-28 11:30 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(0)
2025年 09月 21日
旧宮島水源地ポンプ室
山口県山口市の近代建築その12

前回紹介した旧制山口高等学校講堂から県道を南東へ進み、橋を渡った先で右へ折れて程なくすると山口市水道局の宮島水源地へ行き付きます。この敷地の一角に、山口市営水道開設時に設置されたタイル貼りの建屋が残されています。現在は電気室として使われているこの建物はポンプ室として昭和10年に建てられました。
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現在の山口市の市域に於いての近代水道の始まりは旧小郡町が大正12年に開設した町営水道ですが、この時期は小郡町と山口市は別の自治体で、山口市の水道事情は井戸や河川水に頼る状態がその後も続いていました。
県都として発展し、人口が増大する中でやがて山口市も近代水道の必要が求められ、昭和9年に議会で承認された翌年の昭和10年に供用開始となります。
水道開設に際しては水源に市内を流れる河川水を利用する方式が採用され、この宮島に設置された取水施設で近くを流れる河川の伏流水を汲み上げて高台の配水池へ送水、浄化の後に市内中心部へ配水されました。
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鉄筋コンクリート陸屋根造地上1階地下1階。壁面全体にスクラッチタイルを貼ります。
凝った装飾表現は有りませんが、バランス良く並ぶ縦長アーチ窓が個性を際立出せています。
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東の壁面。この面には窓がありません。
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角を曲がって南面へ。中央の出入口がやや小さい以外は北面と同じ造りです。
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建物手前に取水井戸が置かれています。
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西面には2連の窓を配します。
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# by sunshine-works | 2025-09-21 11:30 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(0)