2024年 11月 03日
大橋ダム堰堤/高藪取水堰
高知県いの町・大川村の近代建築

高知県の北部、愛媛県へ抜ける国道を吉野川に沿って進みます。県境近くで接続する県道に折れて東へ進んで程なく、右手に並行する吉野川の対岸に大きなコンクリートの堰堤が見えて来ます。完成当時四国最大の堰堤高を誇った大橋ダムは昭和15年に竣工しました。
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堰堤高73メートル、堰堤長187メートルの重力式コンクリートダム。四国中央電力が設置した発電用ダムで、用水は同時に設置された大橋水力発電所へ送られて最大5,300キロワットの電力を得ました。
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四国中央電力は大正8年に住友鉱山が設立した電力会社で、吉野川水系で電源開発を行い、別子銅山や新居浜の工場施設へ電力を供給する事を目的としていました。
大橋発電所は同社の吉野川水系二番目の発電所として建設されましたが、発電用水の貯水池として築かれた大橋ダムのもう一つの目的は吉野川水系と仁淀川水系の水位差を発電に用いる吉野川上流分水事業に係わるもので、大橋ダムは両水系の水位を保つ調整池としての用途を担いました。この為ダム湖は大きなものとなり、発電能力に比較して大きな貯水量が蓄えられています。
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堰の頂部、天端には道が渡され対岸へと繋がります。
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天端からゲート上部の構造物を眺めます。
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対岸へ渡って眺めたダム湖側の景色です。
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反対側からの眺め
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西詰の親柱と途中の中柱。中柱はアールデコ風の趣で上部に灯具を飾ります。
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大橋ダムから吉野川に沿って県道を東へ約2キロ、川岸の一角に水力発電所の取水堰が設置されています。
高藪取水堰は高藪水力発電所と同年の昭和5年の竣工。四国中央電力の前身、土佐吉野川水力電気によって設置されました。
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堰堤高12メートル、堰堤長53メートルの重力式コンクリート堰堤。
礎石をコンクリートで固めた堰堤で川を仕切り、片側の取水口から発電用水を取り入れます。
高藪水力発電所は、吉野川上流で電源開発を手掛けていた土佐吉野川水力電気初の発電所で、吉野川本流に設置された最初の発電所でもあります。
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右岸に構える2門のゲート。
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# by sunshine-works | 2024-11-03 11:33 | 近代建築 高知県 | Trackback | Comments(0)
2024年 10月 27日
大渡隧道
高知県仁淀川町の近代建築

高知県の中西部、仁淀川町の東西を貫く国道の横手に昭和初期に開削された隧道のポータルが見えて来ます。
アールデコ風の大きな付柱が異彩を放つこの大渡隧道は昭和7年に竣工しました。
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国道から枝分かれした旧道が貫く短い隧道。丘陵の際の東西を33メートルの長さで結びます。
構造は抗口、内壁共にコンクリート造、幅員、高さ共に5メートル程で当時の地方隧道としては大きめの内寸。
このトンネルの特徴はなにより両面に施された荘厳な装飾で、入口両脇に張り出した巨大な付柱にまず目を奪われます。
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トンネル脇の坂を上った先に、コンクリート製の構造物が残されています。
これはかつて国道の南を流れる面河川沿いに設置されていた水力発電所に繋がれた水圧鉄管を支えていた架台の跡で、トンネル上部の棚地には三本の水圧鉄管と貯水池が設置されていました。
発電所はその後の大渡ダムの造成によって廃止され、トンネルの上に設置されていた諸施設も取り除かれています。
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下から眺めたトンネル上部の架台跡。
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かつて発電所があった辺り。現在は変電施設が置かれています。
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東側の抗口から反対側に進みます。
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この大渡隧道の入口に添えられた巨大な付柱は単なる装飾要素だけでなく、上部に設置された水圧鉄管や貯水槽の重量を支える目的も兼ねていたようです。全体に施されたアールデコ様式の装飾も無骨なコンクリート柱の存在感を逆手に使って城門風に仕上げたものと思われます。
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現在は国道の脇道となっていますが、元々はこのトンネルを通る道が本道で、抜けた先は小さな集落となっています。
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# by sunshine-works | 2024-10-27 11:30 | 近代建築 高知県 | Trackback | Comments(0)
2024年 10月 20日
旧西津野村役場
高知県梼原町の近代建築

高知県の西部、愛媛県との境に位置する梼原町の中心街の一角に、明治期に建てられた洋館が残されています。
この建物は梼原町の前身の一つだった旧西津野村の役場庁舎として明治24年に建てられました。
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山あいに開けた現在の梼原町一帯は平安時代に始まる古い歴史を有し、土佐と伊予を結ぶ街道の里として発展しました。西津野村は明治22年に周辺六ヶ村の合併で現在の梼原町の町域と重なる236㎢の大きな面積の村として発足、合併から二年遅れて旧梼原村の中心部に役場が竣工します。
現存する建物はこの時建てられたもので、明治45年に村名が梼原村に改められた後の昭和10年まで使用されました。
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木造下見板張り二階建、寄棟造、屋根は和瓦葺き。
当時の役場建物に良く見られる和洋折衷様式で建てられたコンパクトな造りで、全体に装飾は控えめですが、シンメトリー配置の中央に構えたバルコニーや中央頂部の唐破風庇が役場庁舎としての象徴性を高めています。
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緩やかな曲線を描く破風庇。中央の小さな鬼瓦と合わせて和風の趣です。
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この建物は一階入口脇と二階のバルコニー入口に大きな窓がありますが、それ以外は小さな窓が数か所あるのみ、出入口も正面玄関一か所だけで開口部の比率が小さな造りとなっており、背面や側面にも僅かな窓しかありません。
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昭和10年に新しい村役場が完成した後、この建物は教育施設や資料館として使われ、昭和53年に現在地に移築されます。その後は隣接地に設置された歴史資料館の別館として使われ、現在に至ります。
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# by sunshine-works | 2024-10-20 11:29 | 近代建築 高知県 | Trackback | Comments(0)
2024年 10月 13日
佐川橋
高知県四万十町の近代建築その3

四万十町の北東、国道439号線の狭い山道を進んだ先に、かつて森林鉄道の橋梁として架けられた鉄筋コンクリート橋が残されています。通称めがね橋として親しまれている佐川橋は昭和14年に架けられました。
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梼原川水系払川を渡る橋長82メートルの三連アーチ。のどかな谷間の景色を頭上高くアーチが跨いで行きます。
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高知県では県東北部の魚梁瀬森林鉄道が広く知られていますが、西北部の四万十川流域も林業が栄えた地域で、この一帯にも幾つもの森林鉄道が敷かれていました。
この佐川橋を通っていたのは大正林道と呼ばれた路線で、大正町田野々から梼原川に沿って北方向を結んでいました。
昭和初期に最初の区間が開通した大正林道は、その後延伸や支線の追加を重ね、昭和14年にはこの橋の北に位置する佐川山方面へ路線を伸ばします。この佐川橋はこの延伸時に設置されたもので、美しい三連アーチの橋は大正林道で最大の構築物となりました。
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この佐川橋の竣工年については昭和19年とするものと昭和14年とするものの二つがあります。
昭和19年とする説には、梼原川下流に設置する都賀ダムによる路線水没に対処する為、電力側が設置したとの説明があります(現地の案内看板にもこの記載があります)。
都賀ダムは昭和15年に起工して昭和19年に完成していますが、大正林道の延伸区間の開通は昭和14年とありますので、延伸工事の時点で既に都賀ダムの計画は公になっていたと思えます。これを考慮すると事前に水没が確定している箇所に敢えて路線を敷く事は考え辛く、延伸工事当初から浸潤線を避けて架けられたとする方が理に叶っていると思えます。
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全国各地の林業を支えた森林鉄道は、道路整備が進み自動車が普及するにつれてその数を減じ、林業自体の衰退も加わって昭和中期に相次いで廃止されて行きます。この大正林道は高知県最後の森林鉄道として運行を継続しますが、昭和42年に廃線となり、その後路線跡は生活道路として活用されています。
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橋上の眺め。森林鉄道の路線幅に合わせて橋幅は約2メートルと狭い造りです。
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# by sunshine-works | 2024-10-13 11:30 | 近代建築 高知県 | Trackback | Comments(0)