2010年 08月 28日
香川県高松市の近代建築その8 高松の沖合いに浮かぶ直島諸島の一つ、男木島には女木島経由のフェリーに乗る事約40分で到着します。港から更に徒歩で20分余り、島の北端に石造の灯台が見えてきます。 備讃海峡の主要航路を見守るこの男木島灯台は、明治28年に点灯されました。 明治初期に英国人ブラントンがもたらした洋式灯台建築技術は、その後日本人技師によって受け継がれ、全国の主要な岬や海峡に配置されていきます。 近代化の進展に伴って内航海運が急激に伸びつつあったこの時代、本州と四国を結ぶ重要航路の要として建てられたのがこの男木島灯台でした。 岬の先端部、波打ち際と石塀を介して接する狭い区画に灯台と退息所(宿舎)、倉庫が建てられています。 灯台と退息所及び周囲に巡らされた石垣・石塀が明治28年の灯台開設当時のもの、倉庫は大正期に建て増しされたものです。 花崗岩の切石で組まれた灯台は、モルタル塗布や彩色を施さずに岩肌そのままの状態となっており、石造灯台としては珍しい仕上げとなっています。 石材として用いられている花崗岩は、昔から瀬戸内海一帯で豊富に産出されており、石垣や石橋、家屋の基礎として広く使われていました。入手し易く、施工技術も確立されていた花崗岩は、僻地に築かれる事の多い灯台の素材として最適であり、鉄筋コンクリートが普及するまでは多くの灯台が花崗岩を主材としていました。 敷地を取り巻く石塀には安山岩が用いられています。 無人化される昭和62年まで使われていた旧退息所。現在は資料館として公開されています。 近代に入って導入された洋風建築の中でも、灯台施設は特異な存在でもあります。 建造物であると共に、高度な光学機器や観測機器を安定的に運用する基地であり、更にその殆どが過酷な環境に建てられる、設計・施工に於いて高い技術蓄積を必要とする難物だったのではないでしょうか。 この様な古い灯台施設は、当時の技術者の苦心や技術発展の痕跡を伝える資料として非常に貴重な物と思えます。 #
by sunshine-works
| 2010-08-28 16:35
| 近代建築 香川県
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2010年 08月 24日
香川県高松市の近代建築その7 高松港から船でおよそ20分、沖合いに点在する小島の一つ、大島に渡ります。この島にある国立ハンセン病療養施設大島青松園の一角には昭和10年に建てられた礼拝堂が現存しています。 全国5か所に置かれた最初の国立ハンセン病療養施設の一つとして、大島青松園が明治42年に開設されます。有効な治療法が確立されていなかった当時、「療養」とは名ばかりの、実質的には隔離を目的とした施設だった療養所は、園自体が小さな町として整備されていきました。園の北側には様々な宗教の礼拝施設が並ぶ一角が開かれていきます。 小さな島の礼拝堂とは思えないモダンな意匠の建物です。昭和10年、アメリカン・レプロシー・ミッション(ミッション系の救ライ団体でしょうか?)の寄付で建立されています。 大きな切妻屋根。妻面には十字架のレリーフが付けられています。 アーチ窓が連続する側壁。張り出したバットレスが並びます。 玄関に向かい合って建つ柱の上部に鐘楼が組み込まれています。 差別的な法規が撤廃され、治療法も確立された今日、強制隔離が行われていた事実は過去の物となろうとしていますが、園内では今尚多くの入所者が静かな暮らしを送っています。 築70年を過ぎても色あせないモダンなこの礼拝堂からは、不当な扱いを強いられていた療養患者達に信仰の場が果たした役割の大きさが伝わってきます。 #
by sunshine-works
| 2010-08-24 23:46
| 近代建築 香川県
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2010年 08月 20日
岡山県真庭市の近代建築その7 真庭市を更に北へ、湯原温泉郷へ向かう旧道の途中に大きな木造建物が見えてきます。現在は真庭市湯原支局として使われているこの建物は、元々は旧湯原町立湯本小学校の校舎でした。 小学校の敷地のほぼそのままを現在の用途に充てています。校庭は舗装され駐車場に変わっていますが、南北に長く続く2階建て校舎と数棟の付属棟が現存しています。 昭和初期頃の築と推測されるこの建物は、当時の地方木造校舎の標準的な造りと思えます。明治期の校舎に顕著な偽洋風表現は薄れ、実用を旨として細部の装飾も控えられていますが、瓦を葺いた寄棟の玄関庇や上部に配した折屋根が独特の趣を添えています。 ほぼ小学校時代の姿が保たれていますが、玄関周りには若干の改修の跡も見られます。 正面には近代的なガラス扉が新たに取り付けられ、庇を支える柱と壁面の間には壁が張られています。 この湯本小学校は昭和43年に廃校となっています。その後40年以上の年月を経た事になるのですが、極めて良好な状態が保たれています。 校舎裏側に並ぶ付属棟 旧校舎が自治体の施設として使われる例は数多くありますが、これだけ大きな木造校舎がそっくり使われているのは珍しい例かも知れません。元々小学校は地区の中心部に建てられているだけに、地域の拠点施設としての用途は最も相応しい利用法だと思います。 #
by sunshine-works
| 2010-08-20 23:13
| 近代建築 岡山県
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2010年 08月 16日
岡山県真庭市の近代建築その6 久世から旭川を上流方向へ更に遡ります。岡山県を代表する温泉地の一つ、湯原温泉の入り口に渡されたこの橋も昭和9年の室戸台風で被災した旧橋に代わる橋として昭和14年に架けられました。 旭川の上流域とは言え、まだ橋長は80メートルもあります。1連の鋼製ワーレントラス橋に鋼プレートガーダー橋が2連繋がって一つの橋となっています。このうち、プレートガーダー橋2連は昭和53年に架け替えられており、右岸のワーレントラス橋が竣工時の姿で残っています。 室戸台風の復興事業で架けられた橋の多くにトラス橋が採用されましたが、橋の大きさに応じて異なるタイプのトラス構造が用いられました。 この中で比較的桁長の短い橋脚に用いられたのが、この加佐見橋に見られる平行弦トラスと呼ばれる形式です。上弦が弧を描く曲弦トラス橋程の複雑な構造計算を要せず、鋼材も少なく出来るこの形式は概ね桁長50メートル迄の橋桁に使用されました。 上下の弦材の間に繰り返される三角形。トラス構造の基本形です。 左岸側に接続するプレートガーダー橋からの眺めです。 河原に下りて遠方から このあたりは現在でも山深い地域ですが、当時このような近代橋がさらに上流の小さな川にも渡されて行きました。関東大震災で多くの橋が失われた東京でも大規模な橋の復旧事業が実行されましたが、岡山全土で行われた室戸台風からの橋の復旧は、数に於いてこれを遥かに上回る物でした。 #
by sunshine-works
| 2010-08-16 00:16
| 近代建築 岡山県
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