2007年 10月 16日
旧大谷邸(神戸大学ロイ・スミス館)
神戸灘区の近代建築その15

阪急電鉄の線路の北側、六甲山の南側の斜面に沿って住宅地が連なっています。六甲駅から西方の篠原地区も山合いに広がる閑静な住宅地区で坂の途中からは神戸の街並や港の美しい景色が望めます。この篠原地区の一角、六甲山から流れてくる都賀川に沿った坂を登りきった所に1件の洋館が建っています。当ブログでも以前に幾つかの作品を紹介した清水栄二が設計したスパニッシュ様式の邸宅です。昭和11年築。
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元々は貿易商であった大谷茂氏の邸宅でした。その後持主は移り変わり現在は神戸大学の後援会事務所として使用されています。ロイ・スミス館と呼ばれていますがこの名の由来については神戸大学のサイトに詳しい情報があります。
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設計者の清水栄二は神戸市営繕課の出身で阪神間で公共施設に多くの作品を残していますが個人住宅も幾つか手がけています。東灘区の高嶋平介邸も現存する清水栄二設計の邸宅として知られていますがこの旧大谷邸とはかなり作風が異なります。
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門を入ると建物の東端に設けられた半円形の大きな庇と玄関ポーチが迫ります。個人邸の玄関としてはかなり広々とした造りになっています。
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この建物の見所の一つが随所に取り付けられているステンドグラスです。一部分に象徴的に使われているのではなく主要な部分各所がステンドグラス仕様になっています。
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その他の窓はそれぞれ異なったデザインの格子で飾られています。
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東の端には日本間が設えてあります。
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この箇所は丸柱を二本並べています。デザイン的な表現なのかあるいは構造上の必要性からなのでしょうか。清水栄二は他の物件でも丸柱を意匠的に使う例が見られます。
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建物裏側
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昭和初期にアメリカ経由で伝わったスパニッシュ様式は住宅から学校建築、大型ビルにいたるまで大きな流行となりました。四季があって湿っぽい日本の風土にカリフォルニアを連想させるスパニッシュ建築は馴染まない様な気もしますが素朴で温かみのある雰囲気に親近感を持ったのかも知れません(因みにこの時代に流行を見せたのはアメリカと日本だけでヨーロッパ各国には伝播しなかったようです)。
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スパニッシュ様式の設計者としてはW.M.ヴォーリズの名が知られていますが当時の建築家の多くがこのスタイルで作品を手掛けています。但し清水栄二もそうなのですがスパニッシュスタイルに特化した設計者はヴォーリズの他はあまりいない様で、あくまでも自身の作風の巾を広げる試みとして取り組んでいた感があります。
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大きなブームとなったスパニッシュ様式ですが結局は他の建築様式同様に戦後のモダニズム建築の波に飲み込まれていってしまいます。最近になってこのスタイルは個人住宅を中心に復活の兆しを見せています。瓦屋根やスタッコと呼ばれる塗壁の風合いが日本人の嗜好に合っているのでしょうか。
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# by sunshine-works | 2007-10-16 20:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2007年 10月 12日
六甲中学 本館(六甲学院中学・高校 本館)
神戸灘区の近代建築その14

六甲ケーブルで麓へ戻ります。ケーブル下駅から神戸大学を抜けて西へ進むと神戸松蔭女子大学、その先に六甲学院中学・高校の校舎が建っています。この建物も神戸大学同様に急峻な斜面の棚地に建てられています。一見すると近年の建築物に見えますが昭和16年に建てらたものです。
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六甲学院は創立70年を越える歴史を持つカトリック系(イエズス会系)の私立男子高校で阪神間では有数の進学高として知られています。昭和13年に六甲中学校として当地で開学し昭和16年に現在の鉄筋コンクリート造の校舎が建てられました。昭和16年が太平洋戦争開戦の年でもあった事を思うとよくぞこれだけの規模の校舎が建ったと思います。(統制により大規模建造物の建設は規制を受けていました。)カトリック系の学校ゆえに軍部から睨まれていたそうで学校関係者の苦心も相当な物だったようです。
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鉄筋4階建ての長大な校舎ですが戦後に左右を増築しています。(一段張り出している箇所が増築部分と思われます)
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戦後の学校建築に一般的に見られるモダニズム建築のスタイルです。機能を優先し装飾を廃したいわゆる「コンクリートの四角い箱」ですが玄関部分と正面中央のファサードに控えめな装飾表現が見られます。時代背景を考えれば設計側として精一杯の主張だったと思います。
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さほど時代を感じさせない外観ですが内部はなるほど戦前に建てられた校舎である事が伺えます。
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曲線のラインが美しい階段手摺。
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建物西側部分
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裏側の様子
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大正期に現れたモダニズム建築(様式主義に対してのモダン建築)ですが一般的に広まっていくのは戦後になってからのことです。昭和初期にはそれなりの流行を見ましたが戦時体制によって建築全体が停滞したことにより本格的な普及は戦後復興を契機とした昭和20年代以降になります。経済発展にともなって続々と生み出されていく戦後建築のほとんどが今日一般的に見られるいわゆる「コンクリートの四角い箱」でした。特に学校建築は機能優先の立場とコスト重視の面からこの流れに従っていきました。
戦前にも幾つかの学校建物にはモダニズム建築で建てられたものがありました。この六甲中学の校舎もその一つですが昭和16年という建築時期を考えると戦前の最終期の建物であると思われます。

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# by sunshine-works | 2007-10-12 18:17 | 近代建築 | Trackback | Comments(4)
2007年 10月 08日
六甲山ホテル旧館
神戸灘区の近代建築その13

交通アクセスが整いリゾート開発が進んでいく中で、それまで本格的なホテルが無かった六甲山にもホテルが建てられるようになります。六甲山の開発に鎬(しのぎ)を削っていた2つの鉄道会社の一つ阪神電鉄によって昭和9年に六甲オリエンタルホテルが、それに先立つ昭和4年に阪急資本の手によりこの六甲山ホテルがオープンします。六甲山ホテルはその後に新館が建てられましたが開設時の建物が旧館として現存しています。設計:古塚正治

設計者の古塚正治は阪神間を中心に多くの建築を手がけています。この六甲山ホテルは同じ阪急系列の宝塚ホテルの分館として建てられたのですが宝塚ホテルも古塚の作品です。
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高原リゾートらしく山小屋風の建物。アルプスの保養地にありそうなデザインです。
木造の骨組を表面に見せるハーフティンバーと呼ばれる技法が使われています。
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鬱蒼とした樹木が周囲を取り囲んでいて良いアングルで写真が撮れません。
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玄関部分です。現在は閉ざされていますが当時のまま残されています。
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色硝子が鮮やかな玄関扉
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建物裏側。左側の駐車場への出入り口は後年の物です。
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ホテル内部。大きく張り出した木製の梁と連続するアーチが特徴的です。
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山上への交通機関が整備されホテルも開設された事で六甲山はますます便利な避暑地となっていきます。夏場はホテルを住まいとし大阪・神戸へ通う人もいたそうです。
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ケーブルカーやバス・電車を乗り継いで1時間以内で神戸や大阪から行ける便利な高原リゾート地になった六甲山ですが、その近さ故に東の代表的な避暑地軽井沢に見られる夏場に都市機能がそっくり引っ越して来る様な町並みは形成されませんでした。商業施設も文化施設も、僅か数十分で降りられる麓へ行けば幾らでも在ったのですから、さほど不自由を感じなかったのでしょう。他の理由として山上に建てられた2つのホテルがそれらの代替として機能していた事も見落とせません。
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# by sunshine-works | 2007-10-08 14:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2007年 10月 04日
旧小寺家山荘
神戸灘区の近代建築その12

六甲山は明治年間に外国人によって避暑地として開発されましたが次第に日本人もこの地に別荘を建てる様になって行きました。本格的な高原リゾートでありながら大阪・神戸から短時間で行くことが出来るので阪神間の格好の別荘地となりました。阪神電鉄や阪急電鉄による積極的なリゾート開発もあって昭和初期には山上の各所に別荘が建てられていきます。
神戸ゴルフ倶楽部の程近くに建てられたこの建物は関西学院大学教授小寺敬一氏の山荘として昭和9年に建てられたものです。灘区住吉に現存している小寺氏の本宅と同様、W.M.ヴォーリズが設計しています。
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木造平屋・寄席棟・下目板張りの小ぶりな建物です。避暑を目的とするため北側に向けて建てられています。
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70年以上経過している木造建築ですがかなりの部分が建築当初の状態で残されています。窓や敷居も当時そのままの木製の物が使われています。
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北側に面して造られた庭。石を敷いたテラスになっています。
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室内からの庭の景色
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山荘らしい天井のつくり
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家主が代わり用途も変われば改装されてしまうことが多いのですがこの様にオリジナルの状態が保たれている事は稀な事例です。古い建物は用途に合わせ手を加えながら延命させていくのが通例となっていますが当初のまま使い続ける事が最良であるのは言うまでも無いでしょう。
(施工時にしっかり造られているので長年の使用に耐えられている事も理由の一つです)
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小さな入口は南側に配置されています。
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こちらは西側の面
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こちらは東側
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その後山荘の所有者は移り変わり甲南女子大学のセミナーハウスとして長く使われていましたが2002年から閉鎖されておりその行く末が気になるところです。現在NPO法人であるアメニティ2000協会がこの建物を存続させるべく活動を行っています。(将来的には買取って保存する予定との事です)
資料的価値の高いこの山荘を保護する地道な活動が成功する事を期待したいと思います。
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# by sunshine-works | 2007-10-04 13:40 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)