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2019年 10月 27日
予讃線重信川橋梁
愛媛の鉄道遺産

四国最長の鉄道路線予讃線は、松山市南部で一級河川重信川を渡ります。この地点に架けられた重信川橋梁は昭和5年の開通当時の桁と橋脚が今尚使われています。
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重信川の河口から約5キロ、下流の広い川原を14基のプレートガーダーが渡ります。橋長277メートルは予讃線で最長の橋梁となります。
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予讃線は大正5年の観音寺~川之江間開業によって愛媛県に達し、昭和2年に県都松山までが結ばれます。この重信川橋梁は昭和5年に松山から南へ延伸された最初の工区に設置されたもので、同区間最大の工事となりました。
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香川県側から延伸を重ねた予讃線は、最初の開業区間からこの地点に到達するまで約30年を要しています。この期間に大きく変わったのが橋脚の造りで、香川県側には多く見られた煉瓦・石積み橋脚に代わって、このようなコンクリート製の楕円断面のものが用いられています。
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コンクリート橋脚の上を渡るプレートガーダー桁。大正中期以降の旧国鉄橋梁に用いられた形式のものです。銘板には「汽車製造株式会社」「昭和4年」「鉄道省」と刻まれています。
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by sunshine-works | 2019-10-27 11:28 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 20日
旧松山航空基地掩体壕
愛媛県松山市の近代建築その7

松山市の北西部、伊予灘に面して2500メートルの滑走路を持つ松山空港が置かれています。
この空港の近く、住宅街の一角に戦時中に築かれたコンクリート構造物が残されています。
これらは軍用機を守る為に旧軍の航空基地周辺に設置された掩体壕と呼ばれるもので、現在3基が現存しています。
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大戦の後半、米軍による空襲が激しくなる中、各地の航空基地に設置されたのが掩体壕で、機体を隠蔽すると共に爆撃や銃撃から守る役割を担いました。
松山航空基地には約60基の掩体壕が設置されましたが、戦後の宅地開発で殆どが取り残され、今回紹介する3基のみが残されています。
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3基の掩体壕の中で最も北側に位置する壕。正面側にトタンを貼って倉庫として使われています。
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全国に築かれた掩体壕に共通する大小二つの蒲鉾型を繋げた形状。以前に紹介した米子空港周辺に残る掩体壕もこの形式のものです。掩体壕はこの形状の他に土堤で囲む開放式のものもあり、60数基設置された松山基地掩体壕の半分以上は開放式のものでした。
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使われているコンクリートは石を大量に混ぜ込んだ粗悪なもの。当時はこの上に土盛りをして補強と隠蔽を行いました。
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徒歩で5分ほどの地点にある同様の掩体壕。宅地の裏手、木々に埋もれた状態で残されています。
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住宅の間に挟まれた様な形で残る3基目の掩体壕。道路に接する部分が削られています。
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表面のクローズアップ。縁は崩れて鉄筋が覗いています。
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by sunshine-works | 2019-10-20 10:29 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日
新田高校たちばな館(旧新田中学本館)
愛媛県松山市の近代建築その6

前回紹介した旧白楊会館から南東方向、伊予鉄道山西駅の傍に私立新田高校の校地が広がります。この新田高校の正門近く、敷地の北東に同校の前身となった旧制新田中学時代の校舎が残されています。現在記念館として使われているこの建物は昭和15年に建てられました。
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木造2階建て切妻造り。建物中央部分は化粧タイルを貼りRC建物風にファサードを設えます。方形の列柱が支える大きな庇、玄関廻りを飾る切石、明り取りのブロックガラス、窓間を貫く付柱等々、モダンな意匠が施されています。
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松山市で最初の私立中学校となった旧制新田中学は、内外汽船社長の新田仲太郎によって当地に創設されます。この建物は本館として建てられたもので、愛媛県出身の後藤 種一が設計を手掛けました。
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玄関周りの詳細。戦時色が強まり、大規模建築物の規制が始まる昭和15年当時の建物ですが、それらを一切感じさせないシンボリックで堂々とした意匠です。
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玄関両脇に配した明り取りのガラスブロック。柱廻りは大理石で飾ります。
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南側の妻面。この建物は平成4年に移築された際に両翼部分が削られており、この面は移築時に付け足されたものと推測されます。


こちらは建物裏側です。6本の付け柱が正面側の付柱と正対する位置に配置されています。
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by sunshine-works | 2019-10-13 12:08 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 06日
旧白揚会館
愛媛県松山市の近代建築その5

三津の町並みから南方向、松山港へ繋がる大通り沿いに昭和初期に建てられた洋風建築が残されています。この建物は旧愛媛女子師範学校の同窓会館として昭和9年に建てられました。設計施工は地元の棟梁馬野楳太郎が手掛けました。
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木造2階建て、切妻造り。西面と東面は凹凸や段差を付けた複雑な造型、1階にテラスを廻らせた南面はフラットな造りで、面によって印象が異なります。
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屋根や庇が重なり合う西面。入口周りの外装やウッドデッキは飲食店に改装された際のものと思われます。
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この建物の設立母体となった愛媛女子師範学校は昭和18年に男子師範学校と統合され、戦後に愛媛大学教育学部へと発展します。同窓会館として建てられた白楊会館も愛媛大学に引き継がれますが、利用者の減少で民間に売却され、現在に至ります。
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縦長窓が並ぶ南面。建物の外観は洋風意匠ですが、内部は畳敷きの和室と板張りの講堂からなる和洋折衷様式で、宿泊室や講習施設に使われました。
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by sunshine-works | 2019-10-06 10:51 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)