カテゴリ:近代建築 愛媛県( 26 )

2018年 09月 23日
愛媛県東予の近代建築補遺2
愛媛県東予の近代建築補遺2

前回に続いて愛媛県東予地区の近代建築補遺。今回は学校建築その他です。
f0116479_12494690.jpg

県立西条農業高校で今尚使われている木造の旧講堂。西条農業高校時代の大正9年に建てられました。
f0116479_12551010.jpg
f0116479_12561072.jpg
f0116479_12572250.jpg
f0116479_12580698.jpg
f0116479_12585152.jpg
f0116479_12595455.jpg

竣工当時の姿で残る木製の窓枠。基礎に積まれた煉瓦も当時のままです。
f0116479_13013145.jpg
f0116479_13023107.jpg
f0116479_13032328.jpg

こちらは今治南高校で柔道場として使われている建物。旧越智中学校時代の大正15年に建てられました。
f0116479_13232664.jpg
f0116479_13270543.jpg

今治南高校の前身越智中学校は大正15年に愛媛県初の鉄筋コンクリート造の校舎が建てられました。当時の校舎は近年に建替えられましたが、この建物のみ残りました。
f0116479_13294963.jpg
f0116479_13311580.jpg
f0116479_13315244.jpg

西条市小松の国道沿いに残る旧石根郵便局。昭和7年築。
f0116479_13364822.jpg
f0116479_13383769.jpg
f0116479_13391030.jpg
f0116479_13393342.jpg
f0116479_13394440.jpg
f0116479_13400226.jpg

伊予小松駅前に建つレストラン。同社のHPを見ると大正期に開業した丸文食堂が前身との事。意匠から察すると当時の築と思われます。
f0116479_13441072.jpg
f0116479_13443575.jpg
f0116479_13445288.jpg
f0116479_13451876.jpg
f0116479_13454641.jpg



by sunshine-works | 2018-09-23 11:53 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 16日
愛媛県東予の近代建築補遺1
愛媛県東予の近代建築補遺1

ここまで愛媛県東予地区の近代建築を巡ってきましたが、未掲載の物件が幾つか残りました。今回と次回でこれらを紹介します。
f0116479_13222675.jpg

別子銅山の端出場鉱区から東平鉱区へ通じる道の脇に架けられた明治期のアーチ橋。明治38年築の遠登志橋(おとしばし)は鋼アーチ橋として現存最古のものと言われています。
f0116479_13453854.jpg

アーチ橋として架けられたこの遠登志橋ですが、老朽化に伴って近年に吊橋への改修が行われました。アーチ部分はそのまま残されていますが、桁の加重を支える役割は担っていません。
f0116479_13461644.jpg
f0116479_13463631.jpg
f0116479_13465216.jpg

旧別子鉱山鉄道星越駅の傍に架かるコンクリートアーチ橋。この下に敷かれていた鉱山鉄道の線路を跨ぎ、向こう側の選鉱所へ渡る橋として架けられました。
f0116479_14465535.jpg
f0116479_14473076.jpg
f0116479_14480571.jpg
f0116479_14481810.jpg
f0116479_14490316.jpg

西条市から松山市へ向かう県道脇に残る古いコンクリート橋。志川橋は昭和6年に架けられた充腹コンクリート橋です。
f0116479_15154179.jpg
f0116479_15161139.jpg
f0116479_15164754.jpg
f0116479_15172566.jpg
f0116479_15174475.jpg
f0116479_15182168.jpg
f0116479_15185066.jpg
f0116479_15191090.jpg
f0116479_15194141.jpg

今治と松山を結ぶ山道の途中に架かる昭和12年築の落合橋。こちらは開腹コンクリートアーチ橋。
f0116479_15355748.jpg
f0116479_15364289.jpg
f0116479_15373886.jpg
f0116479_15460994.jpg
f0116479_15480010.jpg
f0116479_15491490.jpg
f0116479_15502930.jpg
f0116479_15514042.jpg
f0116479_15542345.jpg

伊予小松駅南の溜池大谷池に残る旧樋門。大正9年に竣工した煉瓦造の樋門です。池の改修工事によって役目を終えましたが、保存施設として公開されています。
f0116479_16090707.jpg
f0116479_16095230.jpg
f0116479_16103703.jpg
f0116479_16113054.jpg
f0116479_16115902.jpg
f0116479_16122780.jpg
f0116479_16123994.jpg




by sunshine-works | 2018-09-16 11:42 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 09日
予讃線 金生川橋梁/加茂川橋梁/中山川橋梁
愛媛の鉄道遺産

JR四国(四国旅客鉄道)の始まりは民営の山陽鉄道が国有化された明治39年に遡ります。この時高松から琴平まで通じていた旧山陽鉄道の路線は国有化後に西への延伸を図り、大正5年の観音寺~川之江間の開通で愛媛県へ到達、その後順次路線は延ばされ、11年後の昭和2年に県都松山までが結ばれます。昭和20年に終着宇和島まで全通するこの予讃線は総延長で四国最長、輸送量に於いても最大の重要幹線として四国の物流を支えてきました。
今回は愛媛県東予地区に現存する予讃線開通時の姿を留める鉄道橋梁を紹介します。
f0116479_14595691.jpg

川之江駅の南西に架かる金生川橋梁。川之江~伊予三島間が開業した大正6年の築。石積み橋脚が古いプレートガーダーを支えます。
f0116479_15052486.jpg
f0116479_15054893.jpg
f0116479_15062141.jpg
f0116479_15070288.jpg
f0116479_15074922.jpg
f0116479_15081930.jpg
f0116479_15090196.jpg

大正10年に伊予西条まで延ばされた路線は次の工区、伊予西条~伊予壬生川区間で大きな川を二つ渡ります。250メートルを超える川幅を渡る二つの橋には予讃線では珍しいトラス桁が用いられました。
伊予西条~石鎚山間の途中に設置された加茂川橋梁の竣工は大正11年。コンクリート橋脚の上を5連のプラットトラスが渡ります。
f0116479_15351395.jpg
f0116479_15355714.jpg
f0116479_15364353.jpg
f0116479_15372742.jpg
f0116479_15381850.jpg
f0116479_15390381.jpg
f0116479_15394861.jpg
f0116479_15403353.jpg

その後の時代では一般的なものとなる長楕円形断面のコンクリート橋脚。この橋が架けられた大正後期にそれまでの煉瓦石積橋脚に代わって普及していきます。
この背景にあるのは関東大震災で露見した煉瓦構造物の脆弱性で、相前後して技術が確立しだした鉄筋コンクリート構造物へ転換していく契機となりました。
f0116479_15411948.jpg
f0116479_15421923.jpg
f0116479_02185452.jpg
f0116479_15442560.jpg
f0116479_15451266.jpg
f0116479_15455660.jpg
f0116479_15464695.jpg
f0116479_15473103.jpg
f0116479_15501832.jpg

加茂川橋梁から5キロメートル程西へ進んだ先で予讃線は再び大きな川を渡ります。この中山川橋梁は大正12年の架橋。加茂川橋梁と同じプラットトラス桁を4連繋ぎ、260メートルの川幅を越えていきます。
f0116479_20055152.jpg
f0116479_20085023.jpg
f0116479_20093976.jpg
f0116479_20303444.jpg
f0116479_20290181.jpg
f0116479_20305616.jpg
f0116479_20311423.jpg
f0116479_20092781.jpg


川を越えた土手の両側に広がる田園地帯。この区間には洪水や大水の際に水を逃がす避溢橋が繋げられています。
f0116479_20071295.jpg
f0116479_20075429.jpg
f0116479_20082640.jpg


by sunshine-works | 2018-09-09 11:16 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 02日
高井神島灯台/大下島灯台/馬島ウズ鼻灯台
愛媛県東予の近代灯台

広島県と愛媛県に跨って連なる芸予諸島周辺は古くから瀬戸内海の海運の要として多くの船が行きかっていました。
明治期に入るとこの海域を航行する船舶はさらに増大し、船の大型化、高速化も進んだ事で灯台の設置は急務となりました。この海域に近代灯台が設置されたのは明治20年代、三原瀬戸航路に9つの灯台が置かれたのが始まりで、その後多くの島々に整備されていきました。
f0116479_01335207.jpg

愛媛県と広島県に跨る芸予諸島の東端、上島町に属する高井神島には大正10年に建てられた灯台が現役施設として使われています。

f0116479_01524564.jpg
f0116479_01533821.jpg

鉄筋コンクリート造、塔高12メートル。明治期の灯台とは異なって角ばった形状のモダンな意匠です。
f0116479_01542868.jpg
f0116479_01551373.jpg
f0116479_01555779.jpg
f0116479_01575341.jpg
f0116479_01583837.jpg
f0116479_16311048.jpg


芸予諸島の中央、今治市の大下島には明治期に三原瀬戸航路に建てられた9灯台の一つ大下島灯台が現役で使われています。
明治27年築。
f0116479_15080177.jpg
f0116479_15083244.jpg

切石を積み上げた明治期の灯台に良く見られる造りですが、灯塔が円形ではなく八角形に積まれているのが特徴です。
f0116479_15110425.jpg
f0116479_15122221.jpg
f0116479_15140527.jpg
f0116479_15131936.jpg
f0116479_15150097.jpg

塔高9.2メートル、八角形の塔の上に2層の鉄製塔室を載せます。
f0116479_15155077.jpg
f0116479_15171153.jpg
f0116479_15174153.jpg

来島海峡を渡る橋の途中、橋の橋脚が据えられた馬島には昭和13年に建てられたウズ鼻灯台が現存します。
f0116479_15352660.jpg
f0116479_15362247.jpg
f0116479_15364544.jpg

f0116479_15372213.jpg

丘の頂上付近に建てられたこのウズ鼻灯台の塔高は14.4メートル。急潮流として知られる来島海峡を照らします
f0116479_15381588.jpg
f0116479_15383761.jpg
f0116479_15390741.jpg


by sunshine-works | 2018-09-02 11:03 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 26日
芸予要塞 来島砲台2
愛媛県今治市の近代建築その5

来島海峡の入口に位置する小島に置かれた明治期の砲台跡、今回は島の南部に残る要塞施設を紹介します。
f0116479_01131623.jpg

南部砲台は軽砲2門を据える小規模な砲台。構造は北部砲台と良く似た造りとなっています。
f0116479_01140680.jpg
f0116479_01144251.jpg
f0116479_01150268.jpg
f0116479_01154133.jpg
f0116479_01160645.jpg
f0116479_01171588.jpg
f0116479_01174444.jpg
f0116479_01181127.jpg
f0116479_11212886.jpg
f0116479_01191467.jpg

南部砲台の近くに置かれた発電所跡。
f0116479_01255142.jpg
f0116479_01270420.jpg
f0116479_01275049.jpg
f0116479_01285194.jpg
f0116479_01291837.jpg
f0116479_11251648.jpg
f0116479_01295574.jpg


内部には石炭火力発電機が据えられていました。
f0116479_01303571.jpg
f0116479_01312805.jpg
f0116479_01305236.jpg
f0116479_01310802.jpg


南部砲台と中部砲台の途中には煉瓦造の弾薬庫跡が残されています。
f0116479_02074018.jpg
f0116479_02081032.jpg
f0116479_02082317.jpg


万が一の爆発事故に備えて(爆風を逃がす為)屋根は簡易な素材、おそらく鉄板か板で葺かれていたと思われ、失われたままとなっています。
f0116479_02092335.jpg
f0116479_02083904.jpg
f0116479_02085609.jpg
f0116479_02091067.jpg


島の南端の岬には敵艦来襲時に海峡を照らす探照灯が設けられていました。
f0116479_01383859.jpg
f0116479_01385979.jpg


探照灯は半地下式の構造で、普段は地下に収容され、使用時に引き上げて設置されました。同様のものが島の北側にも据えられており、南北2箇所に建てられた発電所の主な用途は探照灯へ給電する為のものと思われます。
f0116479_01555219.jpg
f0116479_01561127.jpg
f0116479_01562836.jpg

波止浜からの渡船が着く桟橋の隣にはこの要塞の主砲となった28cm榴弾砲のレプリカが飾られています。
これはTVドラマ坂の上の雲の撮影用に作られたもので、細部まで正確に再現された姿は当時の砲台の様子をリアルに思い起こさせます。
f0116479_02023781.jpg
f0116479_02024834.jpg
f0116479_02030276.jpg


by sunshine-works | 2018-08-26 11:27 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 19日
芸予要塞 来島砲台1
愛媛県今治市の近代建築その4

栗島海峡の沖合いに浮かぶ周囲4kmほどの小さな島に明治期に築かれた軍事施設が残されています。
この小島(おしま)は明治中期に旧陸軍によって三つの砲台が設置された要塞島で、廃止から90年以上を経た現在も石と煉瓦の重厚な構造物が良好な姿で保たれています。
今回と次回は小島に残るこれらの遺構を紹介します。
f0116479_15212069.jpg

日露の軍事的緊張が高まりつつあった明治中期、軍港周辺や要地を守る目的で各地に沿岸要塞が設置されました。
この島に設置された砲台もその一つで、広島県の大久野島砲台と合わせて芸予要塞として運用され、瀬戸内海中西部の防衛線を担いました。
小島の砲台は明治32年に起工、4年後にすべての砲台が完成、最大時で16門の備砲が配置されました。
f0116479_15221659.jpg

島に設置された三つの砲台の一つ北部砲台。海峡の北部を射程とするこの砲台には加濃砲4門と軽砲4門が据えられました。
f0116479_15233256.jpg
f0116479_15241861.jpg
f0116479_15260621.jpg
f0116479_15252094.jpg
f0116479_15271685.jpg
f0116479_15371654.jpg


一段高い位置に設置された砲座跡。
f0116479_15315428.jpg
f0116479_15330568.jpg
f0116479_15294359.jpg
f0116479_15360089.jpg

煉瓦造の発電所跡。
f0116479_15394510.jpg
f0116479_15403148.jpg

向い側には煉瓦の半地下式兵舎が並びます。
f0116479_15425439.jpg
f0116479_15434418.jpg
f0116479_15443600.jpg

兵舎の脇に設けられた階段で斜面を登ります。
f0116479_15452586.jpg
f0116479_15461007.jpg
f0116479_15465525.jpg
f0116479_15480276.jpg
f0116479_15484853.jpg
f0116479_15553996.jpg

頂上には司令塔(観測所)の跡が残されています。
f0116479_15505457.jpg
f0116479_15522078.jpg

最も規模の大きな中部砲台。28cm榴弾砲6門を備えました。
芸予要塞の主力として据えられたこの28cm榴弾砲は当時としては大口径砲で、敵艦に命中すれば大きなダメージを与える事が出来ましたが、幸い日本国内の沿岸要塞が砲火を交える事は無く、この要塞も大正13年に廃止されます。但し、この島に設置されていた28cm榴弾砲の幾つかは日露戦争時に大陸に送られ、旅順攻囲戦やその後の旅順港砲撃に使われました。
f0116479_18101977.jpg
f0116479_18150638.jpg
f0116479_18181085.jpg
f0116479_18172046.jpg

3箇所に2門ずつ円形の基礎が残る砲座跡。他の砲台と比べて大きな造りとなっています。
f0116479_18153611.jpg
f0116479_18163142.jpg
f0116479_18192428.jpg

この砲台にも煉瓦造の兵舎が設置されています。
f0116479_18210715.jpg
f0116479_18213214.jpg
f0116479_18222153.jpg
f0116479_18224615.jpg

石段を登って高台の司令塔へ。
f0116479_18240311.jpg
f0116479_18243180.jpg
f0116479_18250402.jpg
f0116479_18245306.jpg

来島海峡を一望する眺め。
f0116479_18255209.jpg
f0116479_18260652.jpg


by sunshine-works | 2018-08-19 13:13 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 12日
旧今治ラジウム温泉
愛媛県今治市の近代建築その3

今治の中心街の北、商店街の外れに昭和初期に建てられた鉄筋コンクリート造の浴場施設が残されています。この建物は昭和2年に今治ラジウム温泉として建てられました。
f0116479_17064425.jpg

市街地の一角に建つ大きな建物。屋上に突出した出窓とその上に置かれた六角形の塔屋、浴室を覆う二つの八角ドーム、大きく反り返る軒蛇腹、高く聳える煉瓦煙突、壁面に並ぶ大きな縦長窓。城郭や宮殿を思わせるユニークな意匠です。
f0116479_17065989.jpg
f0116479_17071364.jpg

鉄筋コンクリート3階建て陸屋根造り。2階建てとして建てられましたが、戦後に切妻屋根部分を増築して3階建てとしています。
f0116479_17113048.jpg
f0116479_17110188.jpg

当初は1階部分を入浴施設、2階をダンスホールとして使われました。増築した3階には宿泊室を設け平成26年まで営業を続けましたが、現在は閉鎖されています。
f0116479_17160327.jpg
f0116479_17164726.jpg

屋上階中央に据えられた5角形の塔屋とその上に乗る六角の塔。左右の増築部が無かった竣工時は四方を見晴らす展望が得られたと思われます。
f0116479_17212726.jpg
f0116479_17222952.jpg
f0116479_17191745.jpg
f0116479_17141764.jpg
f0116479_17152315.jpg
浴室を覆う八角ドーム。
f0116479_17173338.jpg
f0116479_17180768.jpg


by sunshine-works | 2018-08-12 12:08 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 08月 05日
今治市上水道水源地ポンプ室
愛媛県今治市の近代建築その2

今治市街地の南部、蒼社川沿いの一角に木々が茂る開けた緑地が置かれています。
この一角に昭和初期に建てられたコンクリート建物が残されています。この建物は今治市の近代水道開設時に設けられた水源地ポンプ室で、現在も現役で使われています。昭和11年築。
f0116479_16222555.jpg


今治市の近代水道は愛媛県で2番目、東予地区では始めての公営水道として昭和9年に起工され、2年後の昭和11年に給水を開始します。水源となった蒼社川の伏流水を汲み上げ、送水する為に設置されたのがポンプ室を中心とするこの施設です。
f0116479_16042970.jpg
f0116479_16060024.jpg
f0116479_16062551.jpg


6連の縦長アーチ窓が並ぶ背面の様子。同様な窓は前面、側面にも配されています。
f0116479_16140978.jpg
f0116479_16125609.jpg
f0116479_16144360.jpg


おそらく竣工当時のままの窓枠。屋外に置かれた設備も相応に古いものと思われます。
f0116479_16151262.jpg
f0116479_16153102.jpg
f0116479_16164650.jpg
f0116479_16173349.jpg
f0116479_16161301.jpg
f0116479_16175373.jpg




by sunshine-works | 2018-08-05 12:35 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 29日
旧大浜灯台吏員退息所/旧鴻ノ瀬桂燈立標
愛媛県今治市の近代建築その1

今治市街地の南西、美しい白砂の浜辺に明治期に建てられた煉瓦建物が残されています。
この建物は来島海峡に設置されていた大浜燈台の吏員退息所として建てられたもので、役目を終えた昭和56年に当地に移築されました。築年:明治35年。
f0116479_13094153.jpg

吏員退息所は燈台に付属して建てられた職員宿舎で、大抵は厳しい自然環境に耐える頑丈な造りをしています。
この退息所も赤煉瓦の寄棟造り平屋建てで、アーチ窓を配した洋風意匠が用いられています。
f0116479_13151467.jpg
f0116479_13112623.jpg
f0116479_13122603.jpg
f0116479_13135713.jpg

海水浴場として賑わう唐子浜に移設されたこの建物は夏場に海の家として使われています。この為各部とも手入れが行き届いており、100年を超える建造物にも係わらず良好な状態が保たれています。
f0116479_13164160.jpg
f0116479_13172674.jpg
f0116479_13175733.jpg
f0116479_13184148.jpg
f0116479_13193090.jpg
f0116479_13195199.jpg
f0116479_13201552.jpg
f0116479_13202715.jpg
f0116479_13205638.jpg

この浜の沖合いには同じく来島海峡から移設された灯標が残されています。この旧鴻ノ瀬桂燈立標も明治35年の築となります。
f0116479_13212316.jpg

唐子浜の赤燈台と呼ばれているこの灯標は元々は岩礁の存在を船舶に知らせるために設置されていましたが、昭和53年の岩礁取り壊し時に移築保存が選ばれ、当地に移されました。現在は灯標としての機能は無く、吏員退息所と共に浜のシンボルとして親しまれています。
f0116479_13281901.jpg
f0116479_13272840.jpg
f0116479_13274856.jpg


by sunshine-works | 2018-07-29 12:17 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2018年 07月 22日
大宮橋
愛媛県西条市の近代建築その4

前回紹介した千野々橋から更に山道を南へ進みます。石鎚山へ至るロープウエイの乗り場近くに昭和初期に架けられたコンクリート橋が現役施設として今も使われています。この美しい橋は昭和2年に架けられました。
f0116479_01402798.jpg

加茂川の上流部、大きな岩が転がる河原を一跨ぎします。橋長42メートルは県内に現存するコンクリートアーチ橋で最長、竣工年昭和2年は県内のコンクリートアーチ橋で2番目に古いものとなります。愛媛県内には大正~昭和初期に架けられたコンクリート橋が数多く現存していますが、この大宮橋に代表される開腹式上路アーチ橋が多数存在するのが他県に無い特色です。
f0116479_01460629.jpg
f0116479_01394066.jpg
f0116479_01443186.jpg
f0116479_01411578.jpg


アーチ部の上に路版を支える支柱が並ぶ開腹式アーチ特有の美しい意匠。細かな装飾が施された支柱上部や支柱間を渡る小さなアーチ等手の込んだ凝った造りとなっています。
f0116479_01420221.jpg
f0116479_01424731.jpg


橋上の眺め。親柱や高欄は竣工当時の状態が保たれています。
f0116479_01134759.jpg
f0116479_01144610.jpg
f0116479_01152318.jpg
f0116479_01235107.jpg
f0116479_01163989.jpg
f0116479_01174255.jpg
f0116479_01204285.jpg


by sunshine-works | 2018-07-22 12:02 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)