カテゴリ:近代建築 愛媛県( 37 )

2019年 11月 10日
立花橋
愛媛県松山市の近代建築その8

前回は石手川を渡る伊予鉄道石手川橋梁を紹介しましたが、石手川橋梁の一つ上流側にも古い歴史を持つトラス橋が架けられています。この立花橋は昭和3年に架けられました。
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旧久万街道に架けられた1連の鋼製ポニーワーレントラス。松山市内に現存する道路トラス橋の中で最古のものと思われます。
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側面からの眺め。歩道部分は後年に付け加えられたものです。
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上部の飾りは復元されていませんが、4基の親柱が現存しています。
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by sunshine-works | 2019-11-10 10:59 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 11月 03日
伊予鉄道石手川橋梁
愛媛の鉄道遺産

松山の市街地の南、石手川沿いに公園緑地が設けられています。細長く連なる敷地の中程には伊予鉄道石手川公園駅が置かれていますが、この駅のプラットホームの一部は明治期に架けられた橋梁上に置かれています。明治26年に架けられたこの石手川橋梁は現役の鉄道トラス橋梁として国内最古のものです。
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煉瓦橋脚の上を渡る橋長36メートルのピン結合式錬鉄製ポニープラットトラス。
明治中期、イギリスから全国各地の路線に同タイプの桁が多数導入されましたが、その後殆どが架け替えられており、この石手川橋梁は竣工当時のまま同一位置で使われている希少な事例となります。
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桁を支えるイギリス積み煉瓦橋脚。左右の橋台も煉瓦が積まれています。
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日本で二番目に古い歴史を持つ伊予鉄道は、松山市中心部と臨海部の高浜港を結ぶ高浜線を明治25年に全通させます。高浜線に続く2番目の路線として翌明治26年に開業したのが横河原線で、軽便鉄道規格の軌間762mmで線路が敷かれました。この石手川橋梁も当初は軌間762mmに合わせた桁幅でしたが、昭和6年に標準軌に改軌された際に拡幅されています。
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石手川公園駅の北方、松山市駅へ向かう線路は煉瓦造りの小さな溝橋を渡ります。
この伊予鉄道第26号溝橋も同線開業当時の姿を伝える貴重な遺構です。
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下をくぐる道路と上を渡る線路はやや斜めに交差しています。相互の角度に合わせる為に、アーチ上部の煉瓦を一段毎にずらして調節を図る、凝った造りとなっています。
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by sunshine-works | 2019-11-03 11:08 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 27日
予讃線重信川橋梁
愛媛の鉄道遺産

四国最長の鉄道路線予讃線は、松山市南部で一級河川重信川を渡ります。この地点に架けられた重信川橋梁は昭和5年の開通当時の桁と橋脚が今尚使われています。
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重信川の河口から約5キロ、下流の広い川原を14基のプレートガーダーが渡ります。橋長277メートルは予讃線で最長の橋梁となります。
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予讃線は大正5年の観音寺~川之江間開業によって愛媛県に達し、昭和2年に県都松山までが結ばれます。この重信川橋梁は昭和5年に松山から南へ延伸された最初の工区に設置されたもので、同区間最大の工事となりました。
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香川県側から延伸を重ねた予讃線は、最初の開業区間からこの地点に到達するまで約30年を要しています。この期間に大きく変わったのが橋脚の造りで、香川県側には多く見られた煉瓦・石積み橋脚に代わって、このようなコンクリート製の楕円断面のものが用いられています。
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コンクリート橋脚の上を渡るプレートガーダー桁。大正中期以降の旧国鉄橋梁に用いられた形式のものです。銘板には「汽車製造株式会社」「昭和4年」「鉄道省」と刻まれています。
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by sunshine-works | 2019-10-27 11:28 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 20日
旧松山航空基地掩体壕
愛媛県松山市の近代建築その7

松山市の北西部、伊予灘に面して2500メートルの滑走路を持つ松山空港が置かれています。
この空港の近く、住宅街の一角に戦時中に築かれたコンクリート構造物が残されています。
これらは軍用機を守る為に旧軍の航空基地周辺に設置された掩体壕と呼ばれるもので、現在3基が現存しています。
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大戦の後半、米軍による空襲が激しくなる中、各地の航空基地に設置されたのが掩体壕で、機体を隠蔽すると共に爆撃や銃撃から守る役割を担いました。
松山航空基地には約60基の掩体壕が設置されましたが、戦後の宅地開発で殆どが取り残され、今回紹介する3基のみが残されています。
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3基の掩体壕の中で最も北側に位置する壕。正面側にトタンを貼って倉庫として使われています。
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全国に築かれた掩体壕に共通する大小二つの蒲鉾型を繋げた形状。以前に紹介した米子空港周辺に残る掩体壕もこの形式のものです。掩体壕はこの形状の他に土堤で囲む開放式のものもあり、60数基設置された松山基地掩体壕の半分以上は開放式のものでした。
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使われているコンクリートは石を大量に混ぜ込んだ粗悪なもの。当時はこの上に土盛りをして補強と隠蔽を行いました。
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徒歩で5分ほどの地点にある同様の掩体壕。宅地の裏手、木々に埋もれた状態で残されています。
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住宅の間に挟まれた様な形で残る3基目の掩体壕。道路に接する部分が削られています。
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表面のクローズアップ。縁は崩れて鉄筋が覗いています。
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by sunshine-works | 2019-10-20 10:29 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 13日
新田高校たちばな館(旧新田中学本館)
愛媛県松山市の近代建築その6

前回紹介した旧白楊会館から南東方向、伊予鉄道山西駅の傍に私立新田高校の校地が広がります。この新田高校の正門近く、敷地の北東に同校の前身となった旧制新田中学時代の校舎が残されています。現在記念館として使われているこの建物は昭和15年に建てられました。
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木造2階建て切妻造り。建物中央部分は化粧タイルを貼りRC建物風にファサードを設えます。方形の列柱が支える大きな庇、玄関廻りを飾る切石、明り取りのブロックガラス、窓間を貫く付柱等々、モダンな意匠が施されています。
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松山市で最初の私立中学校となった旧制新田中学は、内外汽船社長の新田仲太郎によって当地に創設されます。この建物は本館として建てられたもので、愛媛県出身の後藤 種一が設計を手掛けました。
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玄関周りの詳細。戦時色が強まり、大規模建築物の規制が始まる昭和15年当時の建物ですが、それらを一切感じさせないシンボリックで堂々とした意匠です。
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玄関両脇に配した明り取りのガラスブロック。柱廻りは大理石で飾ります。
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南側の妻面。この建物は平成4年に移築された際に両翼部分が削られており、この面は移築時に付け足されたものと推測されます。


こちらは建物裏側です。6本の付け柱が正面側の付柱と正対する位置に配置されています。
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by sunshine-works | 2019-10-13 12:08 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 10月 06日
旧白揚会館
愛媛県松山市の近代建築その5

三津の町並みから南方向、松山港へ繋がる大通り沿いに昭和初期に建てられた洋風建築が残されています。この建物は旧愛媛女子師範学校の同窓会館として昭和9年に建てられました。設計施工は地元の棟梁馬野楳太郎が手掛けました。
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木造2階建て、切妻造り。西面と東面は凹凸や段差を付けた複雑な造型、1階にテラスを廻らせた南面はフラットな造りで、面によって印象が異なります。
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屋根や庇が重なり合う西面。入口周りの外装やウッドデッキは飲食店に改装された際のものと思われます。
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この建物の設立母体となった愛媛女子師範学校は昭和18年に男子師範学校と統合され、戦後に愛媛大学教育学部へと発展します。同窓会館として建てられた白楊会館も愛媛大学に引き継がれますが、利用者の減少で民間に売却され、現在に至ります。
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縦長窓が並ぶ南面。建物の外観は洋風意匠ですが、内部は畳敷きの和室と板張りの講堂からなる和洋折衷様式で、宿泊室や講習施設に使われました。
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by sunshine-works | 2019-10-06 10:51 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 29日
旧濱田医院
愛媛県松山市の近代建築その4

三津浜港から三津駅へ戻る途中、古い家並みが連なる一角に大正期に建てられた医院建築が残されています。この建物は大正12年に産科医院として建てられました。
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狭い全面道路から前庭を挟んで一段奥手に建つ木造2階建て下見板貼りの洋風建築。建物両翼を僅かに前面に迫り出したコの字型の配置、中央に切妻庇の玄関入口を配し、その上部に三角破風を立ち上げます。大正期から昭和初期に建てられた木造医院建築の典型的な意匠を留めた建物です。
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入口庇、その上部の破風、左右張り出し部の妻面、角度大きさの異なるそれぞれの三角形が建物を引き締めます。
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医院として昭和47年まで使用されましたが、その後放置され、荒れた状態が長く続きました。現在は内外装の補修を終え、商業施設として再利用されています、
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by sunshine-works | 2019-09-29 12:31 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 22日
石崎汽船旧本社
愛媛県松山市の近代建築その3

前回は三津浜の港湾地区に残る山谷運送部の建物を紹介しましたが、通りを挟んだ向い側には同時期に建てられた鉄筋コンクリート造の事務所ビルが残されています。この建物は石崎汽船の本社ビルとして大正13年に建てられました。
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鉄筋コンクリート2階建て(一部3階建て)、シンメトリーな建物前面に化粧タイルを貼り、三つのアーチ枠が縦長窓を囲みます。入口周りを切石で飾り、上部には小さなバルコニーを張り出すモダンな意匠。設計は関西を中心に多くの作品を残した木子七郎です。
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石崎汽船は松山藩の御用廻船問屋を前身とする長い歴史を持つ旅客海運会社で、拠点となる三津浜港に本社を置いていました。この建物は三津浜港の改修工事と同時期に建てられたもので、愛媛県では最初期となる鉄筋コンクリート造の近代オフィスビルは、海運会社として発展を遂げる同社の威信を掛けた風格のあるものとなりました。
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平成25年までの90年間に亘って本社ビルとして使われましたが、現在は空家となっています。築95年となる建物ですが、大きな改修もなく各部は当時の状態が良好に保たれています。
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壁面に貼られた二種類の化粧タイル。玄関を挟んだ中央の3列の窓周りには茶系のタイル、両脇と側面には白色のタイルが使われています。
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by sunshine-works | 2019-09-22 11:07 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 15日
山谷運送部
愛媛県松山市の近代建築その2

伊予鉄道高浜駅から松山市中心部へ戻る途中、古くから港町として栄えた三津浜に至ります。
この町には明治から昭和初期に建てられた洋風建築が数多く残され、古い町並みに溶け込んでいます。
この三津浜港から程近い一角に大正期に建てられた事務所建物が残されています。この建物は大正13年に海運会社の社屋として建てられました。
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角地に建つ木造2階建て寄棟造。モルタルの壁面に付け柱やコーニス、パラペットを表現してRC風の外観に仕立てています。
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コーナーに設けた小さな入口。短い庇の上に掲げた社名のレリーフや軒飾り、腰周りの切石風のモールド等すべてモルタルで仕上げたものです。
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もともと回漕店として明治中期に創業したこの会社は、大正後期に手掛けた三津浜港改修工事を契機にセメントや関連品の卸へ業容を拡大します。
新港の完成時期とほぼ同じ頃に建てられたこの建物をあえて鏝仕事を駆使した儀洋風建築にした拘りの背景には、この辺の事情も絡んでいるのでしょうか。
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by sunshine-works | 2019-09-15 10:46 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 08日
伊予鉄道高浜駅
愛媛の鉄道遺産

釣島からのフェリーが着く高浜港には、松山市中心部とを結ぶ伊予鉄道高浜線の終点駅が置かれています。
この高浜駅には昭和初期に建てられた木造駅舎が現存し、今も使われています。
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伊予鉄道は四国最初の鉄道として明治21年に松山~三津間で開業します。高浜駅はその4年後に三津から路線が延伸された時に終点駅として設置されました。現存するこの駅舎は昭和初期に電化・副線化された際に建替えられたものと思われます。
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高浜港方向から駅舎へ向かうアプローチ。長い庇が架けられています。
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左右の廻廊部分。
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落ち着いた雰囲気の構内。高い天井と大きな窓を持つ広い待合室は島嶼部を結ぶターミナル駅としての風格を備えます。

ホームへ繋がる側面の眺め。



かつては2面2線のホームでしたが、現在の構成は側線を持つ1面1線式。ホーム支柱には古レールが使われています。
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by sunshine-works | 2019-09-08 11:12 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)