2018年 11月 18日
旧藤村岩次郎邸洋館(衣笠会館)
京都市北区の近代建築その3

北野白梅町交差点の南、西大路通りから西へ入った一角に古い煉瓦造の建物が残されています。現在は衣笠繊維研究所として使われているこの建物は、京都綿ネルの創業者の自邸の一部として建てられました。明治38年築。
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この一帯は京都綿ネル株式会社の設立者の一人となった藤村岩次郎の自邸跡で、和風建築の本館と別館の洋館、応接施設として使われたこの煉瓦造の3棟がありました。
戦後は京都工芸繊維大学に所有が移り、同大学の施設として使われますが平成10年に母屋と別館は取り壊されました。唯一残されたこの建物は現在衣笠繊維研究所として使われています。
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この建物は京都市内では数少ない総煉瓦造の個人邸で、イギリス積みの煉瓦造2階建て瓦葺き。北面以外の3面にファンライトを備えたアーチ窓を並べます。
南面にはバルコニーを乗せた玄関ポーチを構えますが、おそらく近年に改修されたと思われ、この部分のみ煉瓦の質感が異なります。


縦長窓が並ぶ側面。

内部の改装に合わせて窓の幾つかは塞がれていますが、他は当時の状態が良好に保たれています。
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# by sunshine-works | 2018-11-18 11:37 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 11日
旧住友家衣笠別邸門衛所(聖ヨゼフ修道院門の家)
京都市北区の近代建築その2

嵐山電鉄北野線の始発、北野白梅町駅から北へ程なく、西大路通りの裏手に修道院の入口として使われている木造洋館があります。この建物はかつてこの場所にあった住友家別邸の門衛所として、大正9年に建てられました。
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住友家衣笠別邸は関西の数箇所に建てられた別邸の一つで、西大路に面した広大な敷地に和風建築の本館と別館の洋館、門衛所として使われたこの建物が建てられました。この住友家衣笠別邸は戦後の財閥解体の後も残されますが昭和46年に本館と別館が取り壊され、跡地に聖ヨゼフ修道院が建てられます。この際門衛所と煉瓦造の門はそのまま残され、修道院の施設として引き継がれる事となります。
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門衛所と言うにはあまりに大きな造り。小さな住宅ほどの大きさがあります。
意匠はハーフティンバーが特徴の英国チェダー様式木造2階建て。腰周りは門や塀と同じ煉瓦積みで一体感を持たしています。
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敷地奥にも歴史を感じさせる建物や煉瓦塀が残っています。
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英国の田舎家風の小さな小屋。詳細は不明ですが、住友家別邸当時のものと思えます。
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この煉瓦壁も当時のものでしょう。
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# by sunshine-works | 2018-11-11 10:42 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(2)
2018年 11月 04日
本野精吾邸
京都市北区の近代建築その1

京都市北区の西部、立命館大学衣笠キャンパスの傍に90年前に建てられたコンクリート造の洋風建築が残されています。この建物は日本のモダニズム建築の創成期に活躍した本野精吾の自邸として大正13年に建てられました。
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静かな住宅地の一角に建つ陸屋根造の2階建て。
煉瓦貼りの門柱から玄関へ進みます。
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小さな玄関扉と小ぶりなポーチ。ここも煉瓦がアクセントとして使われています。
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建物はコンクリートブロックを積んだ陸屋根造2階建て。使われているブロックは建築家中村鎮氏が考案したL字形状のもので、組み合わせた隙間を鉄筋コンクリートで固めています。この工法は強固、低コストで工期も短縮される利点がありました。
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曲面を用いず、凹凸のないフラットな造り。壁面はコンクリートの地のまま、陸屋根にはパラペットも無く、徹底した簡素簡略が貫かれています。
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バルコニーの庇や屋根庇が長く突き出ているのは日差しを遮る工夫。通風と採光へ配慮して各面に大きな窓が開けられています。
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近年まで子息に引き継がれ、住居として使われましたが、その後補修を加えて公開施設となりました。各種イベントや定期的な見学会が開催されています。
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# by sunshine-works | 2018-11-04 12:04 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 28日
東海道本線桂川橋梁
京都の鉄道遺産

東海道本線の下り列車は京都駅を出て程なく、右京区と西京区の境で最初の大きな川を渡ります。ここに架けられた桂川橋梁には同区間の開通当時に設置された煉瓦造の橋台や明治後期と昭和初期に掛けられた古いトラス桁が今尚現役で使われています。
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明治7年に神戸~大阪間で開通した現在の東海道本線の西側区間は3年後の明治10年に京都まで通じます。桂川橋梁はこの区間の開通に合わせて設置されたもので、レンガ構造物の下部構の上に英国製のピン結合ポニーワーレントラス桁が渡されました。
この初代桂川橋梁はその後の列車の重量化と運行本数の増加に応じる為、明治45年にアメリカ規格のポニーワーレントラス桁に架け替えられます。現在上り線となっている上流側の橋梁がこの時のものです。
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橋長360メートル、桁高が低いワーレントラスを複線合計24基連ねます。桁は輸入桁のアメリカンブリッジ製と国産の汽車製造製のものが混在しています。
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基礎部分に残る開業時の煉瓦構造物。
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下流側に並行する下り線橋梁。この区間が複々線化された昭和3年に架けられました。川崎造船製の12連の曲弦トラスが渡ります。
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コンクリート造の橋脚も桁と同じ昭和3年のものと思われます。
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並行する二つの橋桁の眺め。右が明治45年、左が昭和3年の桁です。
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この位置からは左が明治45年、右が昭和3年の桁。


河原からの眺め。大きなコンクリート製橋脚が並びます。
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京阪神地区で戦前に架けられた東海道本線橋梁の中で連続アーチ橋梁は実例が少なく、この桂川橋梁が貴重な現存例となっています。




# by sunshine-works | 2018-10-28 10:53 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(2)