2025年 07月 20日
旧山口県庁舎1
山口県山口市の近代建築その3

線山口駅から駅前通りを北西へ進み、国道9号線を渡ります。この一帯は幕末期に旧山口藩の藩邸が置かれていた場所で、明治以降はその跡地に新旧の山口県庁舎が建てられました。
現在の山口県庁舎の手前には大正期に建てられた先代の県庁舎と県議会棟の二つの建物が残されており、県政記念館として公開されています。今回より三回に亘ってこれらを紹介して行きます。
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初代の山口県庁舎は旧山口藩の藩邸をそのまま受け継いだもので、明治を越えて大正初期まで使用されます。長らく使われた初代県庁舎に代わる近代的な新庁舎への建替え計画が議決されたのは明治44年で、大蔵省臨時建築部の設計により大正5年に県庁舎と県議会棟が竣工します。
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県庁舎、県議会棟は共に煉瓦造モルタル塗り、要所を花崗岩で飾り壁面は目地を切って石造風に仕上げます。どちらもルネッサンス様式を基調とした上で和風意匠やセセッションの手法を加えたもので、明治から大正へ時代が変わる中、時流に則した表現を取り込んでいます。
これらを主導したのは、大蔵省臨時建築部の一員として意匠設計を担当した武田五一で、同時代に武田五一が手掛けた作品で試された表現手法が用いられています。
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この県庁舎については、後の帝国議会議事堂(国会議事堂)の習作となったと紹介されます。
とりわけ、方形の寄棟屋根を乗せ、大きな庇を支える列柱が並ぶ中央正面の眺めは帝国議会議事堂の縮小版のように見えます。
大蔵省臨時建築部を率いた妻木頼黄はこの県庁舎を担当する時点で既に将来の国会議事堂の計画案を進めており、この山口県庁舎は国家の威信をかけた将来の大プロジェクトを踏まえ、多くの手法を試す恰好の場として使われました。
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正面に並ぶ列柱が支える庇とその上のバルコニー。柱の形状は異なるものの、数や並びは後の国会議事堂の造りそのままです。
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建物左端から側面へ廻ります。
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長く壁が伸びる側面。当時の庁舎に多く見られる中庭を囲む回廊式の配置となっています。

建物南西の角です。
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南西の角を回って裏側の眺め。
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※ 次回は館内と中庭を廻ります。


by sunshine-works | 2025-07-20 11:30 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(0)


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