2024年 12月 01日
仁淀川橋
高知県いの町の近代建築その3

高知と松山を結ぶ松山街道は、いの町の中心街の西で仁淀川の広い川幅を鉄橋で渡ります。
この場所に架けられた仁淀川橋は昭和5年に竣工しました。
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仁淀川下流域の広い川幅を、径間長52メートルの下路式鋼製ワーレントラス7基を連ねて370メートルの距離を渡ります。竣工当時仁淀川水系最長の道路橋となったこの橋は、高知県内で戦前に架けられた道路橋梁としても四万十川橋に次ぐ長さを誇ります。
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支間長52メートルは四万十川橋とほぼ同じ長さですが、この仁淀川橋は橋門桁が垂直に切り立っており、側面から眺めるとクラシカルな四万十川橋に対して一時代進んだ印象を受けます。
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広い河川敷からの遠景。
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松山街道が通過するこの地点の往来は、渡舟や応急的な船橋によって結ばれていましたが、明治後期になると交通量の増大に応じる永久橋の必要性が高まります。この問題を解決する為に大正4年に初代仁淀川橋が架けられましたが、構造としては木橋を連ねたもので、強度や耐久性には限界があり、早期に近代橋梁への架け替えが進められます。初代橋梁の竣工後約20年を経て完成したのがこの二代目仁淀川橋で、初代仁淀川橋の架橋地点の隣に架けられ、竣工と同時に切り替えが行われました。
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鉄筋コンクリート製の橋脚は四万十川橋と良く似た形状です。
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橋の東詰の眺め。
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戦前に架けられた橋の多くは、戦後に側道を増設して人車の分離を行いますが、この仁淀川橋も上流側に歩道が設置されています。この歩道を渡って西詰へ進みます。
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橋の西詰の傍らには、初代仁淀川橋に使われた煉瓦積みの橋台が残されています。
初代仁淀川橋は、コンクリートの基礎に鉄管橋脚を建てて木製トラスを渡したもので、木製トラスの連続橋梁としては長大な9基のトラスを連ね、370メートルの距離を渡りました。
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初代仁淀川橋の遺構はこの橋台の他にも現存し、河原に残る何基かの橋脚跡を確認する事が出来ます。
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この橋が竣工した昭和初年代は全国でも大規模な連続橋梁が次々と架けられた時期で、今も各地を代表する名橋が数多く残されています。この仁淀川橋もその一つで、仁淀川の水辺に映える7連のトラスが美しい景観を成しています。
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by sunshine-works | 2024-12-01 12:21 | 近代建築 高知県 | Trackback | Comments(0)


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