2024年 08月 04日
旧伊藤博文邸
山口県光市の近代建築

光市の中心街から北東方向、田畑が広がる長閑な風景の一角に、初代総理大臣を務めた伊藤博文公を記念する公園が置かれています。
伊藤博文の生家や産湯に使った井戸、二体の銅像や伊藤公に纏わる文物を展示する記念館等が設置されているこの敷地の中央に、伊藤博文自らが設計した洋館が保存されています。この建物は伊藤家の高祖の法要を行う目的で明治43年に建てられました。
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木造二階建て、寄棟屋根に桟瓦葺き、壁面はモルタル仕上げ。車寄せの玄関ポーチに半切妻の庇、正面中央上部に三角破風を掲げます。ルネッサンス様式を基調とする当時の木造洋館に良く見られる意匠で、全体に装飾は控えめながらも優美な姿に仕上げています。
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庇を支える六本のギリシア風円柱。

この洋館が建てられた目的は、伊藤家の遠祖、林淡路守通起の三百周忌に一族が会する法要所としてのもので、法要を終えた後は図書館としての用途が想定されていました。
伊藤博文はこの建物の原設計案を作った後に中国へ渡り、完成を見る事なく滞在先のハルビンで急逝してしまいますが、建物は予定通り明治43年に竣工、法要も無事行われます。
法要を終えた後の建物は、当初予定していた図書館への転用は行われず、県の管理によって維持された後に地元自治体に払い下げられ、資料館として公開されていました。現在は隣に建てられた新しい資料館に展示品が移され、竣工時の姿に修復された姿で展示されています。


正面入り口から館内へ。階段室を挟んで洋間が並びます。
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階段柱には伊藤家の紋、藤の模様が刻まれています。
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階段を上った先、板張りのホールを挟んで、片側に洋室が一間、反対側に畳敷きの和室が三間配置されています。
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これらの和室は法要が行われた際に控えの間として使われたと思われます。


三部屋ある和室の内一部屋は廊下を介さず直接洋間と繋がる構造で、畳の先にカーペット敷きの洋間が覗く変わった眺め。
双方を行き来する際に履物はどうしていたのか気になります。
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この二階の洋間が一番大きな部屋で、行事に使う為の部屋として造られました。
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再び外へ出て、建物側面から裏手側を眺めます。
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この建物は居住目的で作られたものでは無い為に、和室と洋室の他には便所があるのみで、厨房や浴室等の区画がありません。これらは後方に繋げられていた別棟のものを使っていた様ですが、現在は撤去されています。

※公園内に保存されている伊藤博文公の生家。ここで六歳まで過ごした後に萩へ移り、松下村塾へ入塾、その後幕末から明治維新の大きな流れの中で重要な役割を果たしていきます。
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by sunshine-works | 2024-08-04 11:49 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(0)


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