2024年 07月 28日
大谷溜池堰堤
山口県下松市の近代建築

山陽本線下松駅の東方、駅前から続く住宅街を抜けて小高い丘陵地を登ります。
山道を進んで程なく、開けた谷間に石積みの堰堤が見えてきます。
大谷溜池堰堤は昭和13年に竣工しました。
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表面に花崗岩の切石を貼った重力式粗石コンクリート式ダム。高さ27メートル、長さ59メートルの堰堤で貯水量14万㎥を蓄えます。
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ここから遊歩道を登って、天端部へ出ます。
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天端部の眺め。半円形の穴を穿った欄干の意匠が際立ちます。
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奥側は行き止まり



中央部に設置されている取水装置の操作室。この時代のダムで良く見かける半円形状の造りです。
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この溜池を作ったのは、後の日立財閥の創始者となる久原房之介が設立した土地開発会社「久原用地部」で、沿岸部の開墾地に農業用水を送る為のものでした。
久原房之介は大正期に下松の臨海部に大規模工業地帯を造成するプランを立ち上げ、周辺地区の土地買収を進めていきますが、第一次世界大戦の影響で事業計画は大幅に縮小されます。当初目指していた世界規模の工業都市設立は叶いませんでしたが、下松は日本汽船笠戸造船所(後に日立製作所笠戸工場)を中心とする工業都市に発展し、日立の企業城下町として繁栄を極めます。
久原房之介が工場用地として購入した沿岸部の土地(かつての塩田地帯)の過半は、規模縮小により農地としての再開発を余儀なくされ、これを支える為の施設としてこの溜池が設置されたようです。



農業用ダムとして設置された大谷溜池は、戦後に日立製作所へ所有が移り、市内にある笠戸工場や周辺の同社関連施設を対象とした水道ダムの用途に使われます。
この用途もその後に役目を終え、現在は調整池として余生を送っています。
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戦前に竣工した近代ダムの中で、農業用の灌漑ダムとして造られたものは僅か8基で、その中でこの大谷溜池堰堤は堤高25メートルを超える大規模なものとして希少な現存例となります。また、農業ダムの設置者が国や自治体ではなく、民間企業であることも(現在も所有者は日立製作所)他に例を見ません。
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by sunshine-works | 2024-07-28 11:16 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(0)


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