2024年 07月 21日
大津島の旧海軍遺構2
山口県周南市の近代建築その6

前回に続いて大津島に残る旧海軍の施設を紹介します。
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旧魚雷整備工場だった小学校跡から北へ進んで程なく、前回紹介した魚雷見張所のある鎧山の山裾に、一本のトンネルが掘られています。
このトンネルは魚雷整備工場と沖合に設置された発射試験場を結ぶ通路として開削されたものです。
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93式酸素魚雷の発射試験場として整備された大津島ですが、完成5年後の昭和19年、水中特攻兵器「回天」の訓練基地として使用される事となります。
回天搭乗員の訓練基地としての用途変更に際して敷地内には新たに訓練生の宿舎が建てられ、既存の魚雷発射場や整備工場は回天の仕様に合わせた改修を加えますが、整備工場から発射試験場までの回天の移送は、それまでの海岸線に添って敷かれた軌条では対応出来ず、新たな運搬路が必要となりました。このために掘られたのが馬蹄形断面の長さ約250メートル、幅3メートル程のトンネルで、回天は路面に敷かれたレールの上をトロッコに乗せて運ばれて行きました。
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中程迄進むと左手に短いトンネルが分岐し、海岸への出口が開けられています。
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海岸に開けられた出口。ここは訓練時に空襲に見舞われた際に沖合の支援船へ連絡を行う為のものでした。


この出口から岩場を進むと、沖合に浮かぶコンクリートの構造物が見えてきます。
これは昭和14年に完成した魚雷発射試験場の遺構で、後には回天の発着所として使用されました。
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トンネルに戻って出口方向へ進みます。
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回天は93式酸素魚雷を元に造られた一人乗りの潜水艇で、母艦や基地から発進して敵艦に体当たり攻撃する特攻兵器として開発されました。
一艇で大型艦を撃沈する強力な威力があり、戦局を転換させる期待を込めて「回天」と命名されたこの人間魚雷は、戦争末期に潜水艦を母艦に実戦投入されて幾つかの戦果を挙げた他、本土決戦に備えて各地の基地に秘匿されていました。
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出口の先に再び先程の魚雷発射試験場が現れます。

桟橋の先に設置されたコンクリート造の構造物。船で運んだケーソンを沈め、その上に建屋を建てたもの。
現在は手前側の壁や屋根が取り除かれ、柱だけが残った状態です。
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建物奥側には指揮所として使われた区画が残っています。
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床面には魚雷を海面に降ろす穴が開けられています。
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上記の開口部は魚雷の大きさに合わせたもので、回天の訓練に使われた際には新たに設置されたクレーンを使って後方の海面に吊り降ろしていました。
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支援船や回天が舫われた桟橋跡。
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トンネル出口を眺めます。
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by sunshine-works | 2024-07-21 12:35 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(2)
Commented by bokenasu58 at 2024-07-21 19:14
大津島
いつかは訪れた居場所です
ただ日帰りは無理なので、かなり先のことでしょう…。
Commented by sunshine-works at 2024-07-26 12:14
> bokenasu58さん
コメント有難うございます。
大津島への船は徳山駅新幹線口から程近い場所から出ますので、日帰りも不可能ではありませんが、やはり一泊して周辺の観光地を巡るのがおすすめです。


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