2024年 07月 14日
大津島の旧海軍遺構1
山口県周南市の近代建築その5

山陽本線徳山駅の南口に接続するフェリーターミナルから連絡船に乗って約20分、大津島へと渡ります。
ここは旧海軍の魚雷発射試験場や特攻兵器「回天」の訓練施設が置かれた島で、島内には当時の遺構が今尚残されています。
今回と次回に亘ってこれらの戦争遺跡を紹介します。
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港の北西に位置する鎧山の頂上近くに、煉瓦造モルタル塗りの小さな建物が残されています。この施設は麓の海岸に設置された魚雷発射試験場と同時期に設置されたもので、発射された魚雷を目視観測する見張所として使われました。
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呉軍港に近い山口県東部は、旧海軍によって多くの基地や関連施設が設置されていました。著名な処では現在の化学コンビナートの元となった徳山燃料廠や光海軍工廠、海軍岩国飛行場、艦艇の停泊地に使われた柱島等がありますが、この大津島には海軍の新兵器として開発された酸素魚雷の試験場が昭和14年に開設されました。
それまで魚雷の発射試験は主に呉軍港で行われてきましたが、新型の九三式酸素魚雷は従来の魚雷を大きく上回る航走距離があり、軍港内では十分な試験データが得られない事から専用の試験場が新設される事となります。
発射試験場は僅か2年足らずの工期で島の海岸沖合に造られ、島内の関連施設も同時に完成、島は基地の島として整備されていきます。
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建物は煉瓦造モルタル仕上げ。大きな窓を三方に廻らせます。
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眼下に周防灘の島々を見下ろします。
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鎧山から下った麓付近、道路沿いに古いコンクリートの壁が長く続きます。これは発射試験場と共に設置された魚雷整備工場を民有地と隔てる為のものです。
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壁の南側、かつての魚雷整備工場だった場所は、戦後に小学校の敷地に使われました。現在は休校となっているこの校庭には当時の施設の一部が現存します。
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校庭の西側、崖を背にして並ぶ魚雷整備工場の施設跡。この建屋は海底ケーブルで送られた電力を島内に配電する変電所の遺構です。
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その隣に設置された危険物貯蔵所跡。崖を刳り抜いて正面側に壁面を取り付けた構造です。
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少し離れた場所に建つ住宅風の建屋。説明看板には魚雷点火試験場跡とあります。
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敷地北側の壁に設置された石段も当時のものです。
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港から程近く、公園の入口に残る石造りの門柱。整備工場の入口だった場所と思われます。
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by sunshine-works | 2024-07-14 11:36 | 近代建築 山口県 | Trackback | Comments(0)


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