2023年 06月 18日
イエズス会聖ヨハネ修道院
広島県広島市の近代建築その20

前回紹介した牛田浄水場から太田川を渡って隣の安佐南区へ進みます。可部線の線路を越えた住宅街の裏手に、イエズス会の修道院施設が置かれています。
この修道院の敷地には昭和13年に修練院として開設された当時の建物が現存し、「黙想の家」として今も使われています。
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緩やかな丘の上に建つ、和瓦を葺いた近代和風建築の木造2階建て。屋根上の入母屋破風や鬼瓦、妻面を飾る懸魚、長押を巡らせた漆喰壁、更には西側後方に配置された仏教風の三重塔等、およそキリスト教の施設とは程遠い変わった建築意匠となっています。
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南に正面を向けて長く棟を延ばし、壁面に大きな窓を配置、左右端部をやや前面に迫出します。この辺は洋風の技法とも思えますが、左右の入母屋破風のインパクトが強く、近代和風建築で建てられたホテルや庁舎に通じる表現となっています。
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この修道院は、明治期に活動を再開したイエズス会が日本管区の本部を広島市に移した際に、同会の修練院も併せて広島に移転させた事がその由来で、昭和13年に当時長束村だった広島市郊外の当地に開設されました。
建物は既存の和風建物を転用・改装したものではなく新規に建てたもので、設計者は不明とされていますが、イエズス会の本部となった広島市の幟町教会を設計した同会の修道士イグナチオ・グロッパーが担当したと推測されています。
外国人が設計したキリスト教施設にもかかわらず、寺院を思わせる和風意匠にした理由はわかりませんが、一説には周辺環境に調和させる為、さらには戦時色が強まりつつあったこの時代を考慮し、洋風ではなくあえて和風の表現を取り入れたとも言われています。
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建物の裏手に建つ三重塔。屋根の上には十字架を載せています。塔は一階部分で建物と繋がっており、屋根を貫くように据えられています。
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傍らにはこのような十字架を象った石柱が立てられています。

通用口の引き戸にも十字架を飾ります。


玄関は正面側ではなく東側側面に設置されています。
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by sunshine-works | 2023-06-18 11:03 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(2)
Commented by getteng at 2023-06-18 11:15
sunshine-worksさん
老生は何度も行っておりますが、墓地の裏側に在った施設がなくなり不満です。
その建物の外壁にはキリストとマリアのモザイク画が見事だったのです。
これが建てられ時代、この辺りは田んぼに原野で、
そこに異教徒の施設を造ると住民の脅威となることから和風建築にしたと伝えられております。
Commented by sunshine-works at 2023-06-19 11:08
> gettengさん
コメントありがとうございます。そのようなエピソードがあったとは知りませんでした。現在は近郊の住宅地ですが、当時はのどかな一帯だったのでしょうね。


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