2023年 03月 26日
伏見市街地の橋梁遺構1
京都市伏見区の近代建築その6

京都市伏見区の中心部は豊臣秀吉が開いた城下町がその始まりで、伏見城築城の際に宇治川から引き入れた運河の周囲に街が造られていきました。
この伏見の街区には、町の創成期から近代化を迎える時代に至るまでの幾つもの川割りが残されており、そこには大正末期から昭和初期に架けられた幾つもの鉄筋コンクリート橋梁が現用あるいは部分的に残されています。
今回と次回に分けて、これらの橋梁を紹介していきます。
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伏見の中心街大手筋の南方、酒蔵が並ぶ一角に架かる蓬莱橋。市街地に掘られた運河(宇治川派流)を渡るこの橋は昭和5年に架けられました。
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鉄筋コンクリート上路式回腹アーチ橋。町の中心部に架かる橋にふさわしく、御影石の親柱や高欄を構えた重厚な意匠。緩やかなアーチが美しく川面に映えます。
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大手筋が濠川を渡る箇所に架けられた大手橋。こちらも中心部の橋として風格のある重厚な造り。竣工年は昭和15年とあります。
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大手橋を渡って西へ進み、東高瀬川の流れを渡ります。この場所に架けられた新大手橋も大手橋と同じ昭和15年の竣工。
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中心部から濠川を北へ進みます。町中を縫うように巡る小さな流れに幾つものコンクリート桁橋が渡されています。
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この丹波橋の親柱には大正15年の銘があります。高欄や桁部分は架け替えられたようですが、四隅の親柱は当時のものが残されたと思われます。
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枡形橋も近年に改修されましたが、四隅に竣工時の親柱が現存します。
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常盤橋も竣工時は花崗岩の高欄を備えた重厚な橋でしたが、親柱のみ当時の姿を留めます。
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次の上板橋は大正15年の竣工。高欄が部分的に鉄柵に改修されていますが、他は往時の姿を保ちます。
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※次回へ続きます。


by sunshine-works | 2023-03-26 11:55 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)


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