2023年 01月 22日
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1
京都市東山区の近代建築その9/京都市伏見区の近代建築その1

琵琶湖疏水に関連した施設については以前に幾つかを紹介しましたが、この琵琶湖疏水は夷川発電所の先の鴨川合流地点で分岐し、鴨川沿いを南下して伏見区へ至ります。鴨川運河と呼ばれるこの流域には運河開設時から昭和初期に渡って架けられた古い橋梁が数多く残されています。
今回と次回はこれらの橋梁を紹介します。
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_12420158.jpg

琵琶湖の水を京都市内に引く疏水事業は、用水、発電、舟運の三つの用途に充てられましたが、舟運については、江戸期から使われていた伏見から淀川で大阪まで結ぶ河川航路に接続し、琵琶湖から大阪湾まで繋ぐ事が完成形となっていました。
この為に建設されたのが鴨川運河で、琵琶湖第一疏水が開通した明治23年の2年後に起工、明治27年に約9キロメートルの全線が完成します。
住宅地区の中を流れるこの運河には、完成後に順次橋が渡され、現在30橋が架けられていますが、その半分が架橋当時の姿を留めて現存しています。
この運河に架けられた橋梁の探訪、前回紹介した東海道本線鴨川橋梁の南に架かる一之橋から始めて、南へ進んで行きます。
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_12424498.jpg
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_12430869.jpg


街道沿いに架けられた一之橋は大正13年の築。石積みの橋台で高い位置にコンクリート橋桁を渡します。
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_12485329.jpg

川の中ほどに据えられた円柱コンクリート橋脚が桁を支えます。この橋脚は当時架けられた鴨川運河の橋梁に共通して使われています。


一之橋とほぼ同型の三之橋。大正9年架橋。一之橋では鉄柵に換えられていた高欄もこの三之橋では当初の石造のものが残ります。
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_13022557.jpg


京阪電鉄鳥羽街道駅の傍、小さな公園の出入口に鴨川運河の親柱が移設保存されています。旧高松橋は大正11年に架けられ平成27年に架け替えられました。
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_13102543.jpg
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_13122827.jpg

鴨川運河に架かる橋の多くは人道橋ですが、運河と平行する京阪電鉄もこの運河を数回渡ります。稲荷橋梁の桁下には設置当時の煉瓦壁が残されています。
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_13165006.jpg

京阪電鉄橋梁のすぐ傍を渡る相深橋。大正13年架橋。

次の横縄橋は大正12年架橋。相深橋とそっくりな造りです。
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_13451473.jpg
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_13313390.jpg

これらの橋梁の多くは橋梁の梁に六芒星の紋が飾られています。これは当時京都市水利事務所で使われていた紋章で、運河に設置する橋を含めて水利事務所が手掛けていた事を現しています。

大正14年に架けられたススハキ橋。上記の橋梁と異なる高欄が使われています。
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_13505073.jpg
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_13525969.jpg

砂川橋は昭和3年の架橋。橋桁は後年に取り替えられたと思われますが、親柱と橋脚は当時のものが使われています。
琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群1_f0116479_19055059.jpg

※次週へ続きます。


by sunshine-works | 2023-01-22 11:08 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)


<< 琵琶湖疏水鴨川運河の橋梁群2      東海道本線鴨川橋梁 >>