2022年 10月 02日
旧東洋紡績川之石工場原綿倉庫
愛媛県八幡浜市の近代建築その7

前回紹介した旧白石和太郎家洋館の程近く、宮内川に面した遊歩道沿いに、大正時代に建てられた煉瓦倉庫が残されています。この建物は、かつてこの地で操業していた旧東洋紡績川之石工場の原綿倉庫として大正後期に建てられました。
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旧保内町は江戸期に蝋燭の原料となる櫨(ハゼ)の集荷・出荷地として栄えた地で、海運や交易業を中心に資本の蓄積が進んでいました。明治に入るとこの地元資本は近代事業に向けられ、四国最初となる銀行の設立や周辺の鉱山の開発を手掛けます。これらを土台として商工業が一層の繁栄を遂げる中、新たな産業として設立されたのが宇和紡績所で、四国最初の紡績会社として明治22年に操業を開始します。
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宇和紡績は開業当初は規模を拡大しつつ業績を伸ばしたものの、程なく経営は行き詰まり、約10年程で操業を停止してしまいます。この窮地に経営を引き継いだのが鉱山開発で富を得た白石和太郎で、白石紡績所として再開された工場は経営を持ち直し、その後大阪紡績との合併を経て最終的には東洋紡績に統合されます。東予や西予と異なり中央資本の工場が無かった南予地区で、この東洋紡績川之石工場は唯一の大規模事業所として紡績業の繁栄期を過ごし、地元の経済と雇用を支えて行きました。
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妻面側の眺め。東洋紡川之石工場は昭和35年に役目を終え、広大な敷地に立ち並んでいた工場施設は取り壊されていきます。その中で唯一この原綿倉庫のみが残され、現在は地元製材会社の倉庫として使われています。
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広大な敷地は整地されて学校や住宅地に変わり、原綿倉庫が往時の遺構として現存していますが、周辺には他にも工場時代の名残りを留める煉瓦壁が見受けられます。
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橋の袂に建つ地元企業の門衛所建物。この一角も旧東洋紡績の工場があった場所で、当時の施設である可能性があります。
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by sunshine-works | 2022-10-02 11:29 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)


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