2022年 05月 29日
本川小学校平和資料館
広島県広島市の近代建築その12

広島平和公園から本川橋を渡って対岸へ。相生橋に程近い小学校の敷地に、昭和初期に建てられた校舎が残されています。この小さな建物は本川高等尋常小学校時代の昭和3年に建てられた校舎の一部を保存したもので、現在は平和資料館として公開されています。
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本川小学校は広島市で最初に設立された小学校の一つで、明治6年に現在地で開校しています。広島市で最初の鉄筋コンクリート造校舎として建てられた元々の建物は、鉄筋コンクリート3階建て、敷地に沿ってL字方に建屋が繋がる大きな校舎でした。
設計は前回紹介した旧大正屋呉服店と同じく増田清が手掛けています。
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日本の小学校校舎に始めて鉄筋コンクリート構造が採用されたのは大正9年の神戸市が始まりで、その後東京市や京都市等の大都市が続き、大正末期には地方都市にも及んでいきます。大きな契機となったのは大正12年の関東大震災で、耐震耐火に優れた鉄筋コンクリート校舎が都市部の学校中心に広まっていきます。広島県に於ける鉄筋コンクリート校舎の導入は他県にやや遅れて昭和3年のこの本川小学校が最初となります。
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この小学校から南東410メートルの上空で炸裂した原子爆弾は、直下のこの校舎に強烈な熱線と爆風を浴びせ、校舎は一瞬で炎に包まれて全焼、これによって400名余の生徒職員が亡くなりました。しかし、鉄筋コンクリートの外壁は奇跡的に崩壊を免れ、本川小学校が終戦翌年に再開される際には焼け落ちた内部を修復して校舎として復活、その後昭和62年までの40余年の長期に渡って使われました。
この建物は、新校舎への建て替えに際し、被爆当時の姿を伝える校舎の一部を残したもので、1階と地下のそれぞれ一区画程が保存されています。
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鉄筋コンクリート造の小学校校舎として初期に建てられたこの本川小学校は、1階部分に連続するアーチ窓が廻らされています。鉄筋コンクリートの学校建築はやがて機能性や合理性に優れたモダニズム建築がその主流となっていきますが、この時代にはこのような装飾要素を備えた校舎も建てられていました。
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by sunshine-works | 2022-05-29 11:15 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(1)
Commented by getteng at 2022-05-29 12:53
sunshine-worksさん
ご苦労様です。
老生は此処には一度しか入っておりません。


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