2022年 05月 22日
旧大正屋呉服店
広島県広島市の近代建築その11

広島市街地の中央部、大手町から広島平和記念公園へ渡る元安橋の東詰めに、昭和初期に建てられた商業建築が残されています。現在は広島市レストハウスとして利用されているこの建物は昭和4年に大正屋呉服店として建てられました。
旧大正屋呉服店_f0116479_13201508.jpg


現在は平和祈念資料館や国際会議場が建ち、芝生広場が広がる都市公園となっているこの中島町一帯は、戦前の広島市で有数の繁華街でした。
多くの商店や映画館、飲食店が並ぶ賑やかな通りの入口となるこの場所に、コーナーにアールを描く鉄筋3階建て、ガラス張りのショーウィンドウやアーチ窓を並べたモダンな店舗として建てられました。当時の中島本町を再現したジオラマやイラストには、低層の瓦葺家屋を見下ろすように建つ鉄筋コンクリート3階建てのこの建物が描かれており、街のランドマーク的な存在となっていました。
旧大正屋呉服店_f0116479_13204960.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_13222551.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_13231037.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_13232252.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14170891.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14175972.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14214205.jpg


1階にアーチ窓、2階3階には縦長窓を配置、窓間には付柱風に円柱を飾ります。
旧大正屋呉服店_f0116479_14183582.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14191379.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14190172.jpg

近代的な商業建築として中島町の入口で輝きを放ったこの建物ですが、時局が戦時体制に移ると贅沢品とされた呉服は統制令の対象となり、僅か14年で店舗としての用途を終えてしまいます。その後は広島県の燃料配給統制組合の施設となり、戦後は復興事務局を経て昭和57年から現在の観光案内所の用途に使われています。
旧大正屋呉服店_f0116479_13214211.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14201996.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14204684.jpg


元安橋側から眺めた建物裏側です。
旧大正屋呉服店_f0116479_14224163.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14232654.jpg

爆心地から至近の位置にあったこの建物は、頑丈な鉄筋コンクリートの造りもあって倒壊を免れますが内部の殆どが破壊されました。館内は戦後に修復されたものですが、被害を免れた地階の一部が当時のまま残され、公開されています。
旧大正屋呉服店_f0116479_14235697.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14275239.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14280191.jpg
旧大正屋呉服店_f0116479_14282931.jpg

繁華街として栄えた中島本町一帯は戦後に平和記念公園として整備され、静かな祈りの場へと姿を変えました。唯一残されたこの建物のみが昔日の街の賑わいを偲ぶ遺構となっています。
旧大正屋呉服店_f0116479_14291052.jpg


by sunshine-works | 2022-05-22 11:44 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(2)
Commented by getteng at 2022-05-23 07:36
sunshine-worksさん
これが設計者・増田清の作品は、市内では広島市庁舎、本川尋常小学校、広島県農工銀行等がありましたが、全壊しております。
本建物は原爆ド-ムの近くにあって、原形をとどめた奇跡的な建物だと思います。
Commented by sunshine-works at 2022-05-24 10:52
> gettengさん
コメント有難う御座います。
この建物や本川尋常小学校が爆心地のほぼ直下にもかかわらず崩壊を免れた事実は、増田清が拘った耐震設計の賜物と思えます。


<< 本川小学校平和資料館      旧日本銀行広島支店 >>