2021年 02月 21日
旧畑迫病院
島根県津和野町の近代建築その1

島根県西部の城下町、山陰の小京都として知られる津和野町の中心部から西方へ。山道を進んだ先の長閑な山間いに、大正期に建てられた医院建築が残されています。
昭和初期の医院を再現した資料館と医食同源をテーマとしたレストランに使われているこの建物は、当地で設立された畑迫(はたがさこ)病院の新館として大正6年に建てられました。
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地元畑迫村で古くから鉱山開発に携わっていた堀家は、明治期に事業範囲を西日本各地に拡大して鉱山王として成功を治めました。
畑迫病院は堀家当主だった堀礼造氏が出身地の医療向上の為に設立した私立病院で、明治25年に自身の庭園の一角を敷地に充てて開業しました。
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木造平屋建て寄棟造。病室棟として使われた奥側の主棟の右手に鍵の手状に棟が繋がる、上から見てコの字型の配置。
現存するこの建物は大正期に新館として増築されたもので、東側にあった本館とは通路で結ばれていました。
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当初は自身の経営する鉱山の労働者と周辺住民の為の医療機関として設立された畑迫病院ですが、最盛期には周辺町村に幾つも分院を設ける、大規模な医療機関となります。昭和初期に鉱山業の衰退で堀家が経営から離れた後も病院は維持され、昭和59年まで診療を続けました。
その後は長く空家が続きましたが、津和野町によって整備され、平成28年に現在の姿で公開施設となりました。
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玄関から館内へ進みます。建物西側が旧病室を改装したレストラン、東側は当時の病院を復元した展示区画になっています。
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当時の病室が再現された部屋。
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こちらは看護婦の控室。
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その先には各課の診察室が続きます。
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この病院には当時珍しかったレントゲン機器が設置されていました。展示されている機械はこの病院で使われていたものではありませんが、大正期に輸入されたドイツ製の機器が置かれています。
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調剤室も当時の姿で再現されています。
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一番奥側、建物角に位置する手術室。採光の為に3面に大きな窓が配されています。
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室内から望む玄関ポーチ
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再び外へ出て建物東側の眺め。上記の診察室や手術室が面する側となります。
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敷地の東側、手前に見えるコンクリートで覆われた区画は開院当初の病棟跡です。

東南角から南面の様子。この西側区画に手術室が配置されています。
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by sunshine-works | 2021-02-21 11:15 | 近代建築 島根県 | Trackback | Comments(0)


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