2020年 08月 09日
三木谷医院(旧海軍共済組合広病院)
広島県呉市の近代建築その5

呉線広駅の北方、住宅街の一角に大正期に建てられた医院が今も現役で残されています。
現在は民間の内科医院として使われているこの建物は、旧海軍の共済病院として大正10年に建てられました。
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軍港が置かれた呉から山を越えた広村には、呉海軍工廠の支廠として広海軍工廠が設置されます。
それまでは寂れた漁村だったこの一帯は、航空機の開発製造や、艦艇に搭載する機関の製造を受け持つ軍需工場が建ち並び、周辺には様々な工廠関連施設が建てられて行きます。
広海軍工廠の設立と同年に建てられたこの医院は、昭和15年に移転するまでの20年余りを、広工廠の従業員とその家族を対象とした医療施設として使われました。
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木造2階建て下見板貼り。中央に立ち上げた三角形のペディメント、均等に並ぶ上げ下げ式の縦長窓、ハーフティンバー風に仕上げた妻面等、当時の木造洋館に用いられた意匠が随所に施されています。
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やや右手に寄せた玄関。モルタルの薄い庇を突き出します。
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敷地奥側に同意匠、同規模の別棟が並びます。東西2棟に様々な医科を構える総合病院でした。
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建物左手の入口。こちらは切妻庇にアーチを構えます。
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南面にも別の入口があります。
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この三木谷医院は、事業者が代わっているものの大正期に建てられた木造医院が今も現役施設として使われている希少な事例です。
おそらくは広島県内最古の現役医院建築と思われるこの建物は、広海軍工廠関連施設の数少ない現存例としても貴重なものとなります。
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by sunshine-works | 2020-08-09 11:39 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(0)


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