2019年 08月 18日
今福線の遺構1
島根の鉄道遺産

浜田駅から一駅手前、下府駅付近から県道を南東へ進んで行くと、道中の傍らに古びたコンクリート構造物やトンネル跡が点々と残されています。
これらはかつて浜田と広島県を結ぶ路線として計画、起工された広浜鉄道今福線の施設跡で、工事途中で中止となった遺構が現在もその姿を留めています
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明治41年の山陰本線米子~安来間の開業に始まる島根県の鉄道は昭和3年に飯浦~須佐の開通で山陰本線の県内区間が全通し、海岸線に沿った東西の導線が整います。
これに対し沿岸部と山間部を結ぶ南北方向の鉄道路線の整備はやや遅れますが、大正期から昭和初期にかけて県西部の山口線、東部の木次線、中央部の三江線の3路線が開通し、県内の鉄道網が完成します。
今回紹介する今福線は山口線と三江線の間で南北を繋ぐ4本目の路線として計画されたもので、広島と浜田を結ぶ広浜鉄道の島根川区間として昭和8年に起工、戦況の悪化で昭和15年に工事中断、戦後にルートを変更して工事再開、昭和55年に国鉄の経営状況悪化に伴い再び工事中断、その後は再開される事なく廃線に至ると言う経緯を辿りました。
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下府駅から南東へ進んだ山裾に残るトンネル跡。この下府第一トンネルは昭和8年に起工された今福線の最初の工区に残る遺構です。
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山の中腹に開けられた有福第三トンネル。手前に設置されたコンクリート橋脚で高架を渡す予定でした。
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川縁や斜面にも同様の橋脚が残されています。
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今福第一トンネルに接続する高架を支える目的で建てられた橋脚。この道中で最も規模の大きな橋脚群です。
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トンネルの坑口付近から見下ろす橋脚群。
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先ほどの橋脚と繋がる今福第一トンネル跡。
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鉄道施設の幾つかは道路として再利用されています。この五連アーチ橋も軌道跡が県道として使われています。
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戦時体制に移行する中で進められた今福線では鉄材節約の為にコンクリート橋が多用されています。

広浜鉄道は下府~石見今福を結ぶ今福線と広島市内から三段峡まで延伸予定の可部線を接続し、山陰山陽を結ぶ陰陽連絡線となる予定でした。戦前の段階では今福線がほぼ完成状態で工事中断、可部線は安芸飯室駅までの延伸に留まり、計画は戦後に持ち越されますが、結局はこの長い中断が仇となって未成のまま終わる事となってしまいます。
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※次回はここから石見今福までの区間に残る遺構を紹介します。


by sunshine-works | 2019-08-18 11:55 | 近代建築 島根県 | Trackback | Comments(0)
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