2018年 09月 09日
予讃線 金生川橋梁/加茂川橋梁/中山川橋梁
愛媛の鉄道遺産

JR四国(四国旅客鉄道)の始まりは民営の山陽鉄道が国有化された明治39年に遡ります。この時高松から琴平まで通じていた旧山陽鉄道の路線は国有化後に西への延伸を図り、大正5年の観音寺~川之江間の開通で愛媛県へ到達、その後順次路線は延ばされ、11年後の昭和2年に県都松山までが結ばれます。昭和20年に終着宇和島まで全通するこの予讃線は総延長で四国最長、輸送量に於いても最大の重要幹線として四国の物流を支えてきました。
今回は愛媛県東予地区に現存する予讃線開通時の姿を留める鉄道橋梁を紹介します。
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川之江駅の南西に架かる金生川橋梁。川之江~伊予三島間が開業した大正6年の築。石積み橋脚が古いプレートガーダーを支えます。
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大正10年に伊予西条まで延ばされた路線は次の工区、伊予西条~伊予壬生川区間で大きな川を二つ渡ります。250メートルを超える川幅を渡る二つの橋には予讃線では珍しいトラス桁が用いられました。
伊予西条~石鎚山間の途中に設置された加茂川橋梁の竣工は大正11年。コンクリート橋脚の上を5連のプラットトラスが渡ります。
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その後の時代では一般的なものとなる長楕円形断面のコンクリート橋脚。この橋が架けられた大正後期にそれまでの煉瓦石積橋脚に代わって普及していきます。
この背景にあるのは関東大震災で露見した煉瓦構造物の脆弱性で、相前後して技術が確立しだした鉄筋コンクリート構造物へ転換していく契機となりました。
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加茂川橋梁から5キロメートル程西へ進んだ先で予讃線は再び大きな川を渡ります。この中山川橋梁は大正12年の架橋。加茂川橋梁と同じプラットトラス桁を4連繋ぎ、260メートルの川幅を越えていきます。
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川を越えた土手の両側に広がる田園地帯。この区間には洪水や大水の際に水を逃がす避溢橋が繋げられています。
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by sunshine-works | 2018-09-09 11:16 | 近代建築 愛媛県 | Trackback | Comments(0)
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