2018年 08月 19日
愛媛県今治市の近代建築その4 栗島海峡の沖合いに浮かぶ周囲4kmほどの小さな島に明治期に築かれた軍事施設が残されています。 この小島(おしま)は明治中期に旧陸軍によって三つの砲台が設置された要塞島で、廃止から90年以上を経た現在も石と煉瓦の重厚な構造物が良好な姿で保たれています。 今回と次回は小島に残るこれらの遺構を紹介します。 日露の軍事的緊張が高まりつつあった明治中期、軍港周辺や要地を守る目的で各地に沿岸要塞が設置されました。 この島に設置された砲台もその一つで、広島県の大久野島砲台と合わせて芸予要塞として運用され、瀬戸内海中西部の防衛線を担いました。 小島の砲台は明治32年に起工、4年後にすべての砲台が完成、最大時で16門の備砲が配置されました。 島に設置された三つの砲台の一つ北部砲台。海峡の北部を射程とするこの砲台には加濃砲4門と軽砲4門が据えられました。 一段高い位置に設置された砲座跡。 煉瓦造の発電所跡。 向い側には煉瓦の半地下式兵舎が並びます。 兵舎の脇に設けられた階段で斜面を登ります。 頂上には司令塔(観測所)の跡が残されています。 最も規模の大きな中部砲台。28cm榴弾砲6門を備えました。 芸予要塞の主力として据えられたこの28cm榴弾砲は当時としては大口径砲で、敵艦に命中すれば大きなダメージを与える事が出来ましたが、幸い日本国内の沿岸要塞が砲火を交える事は無く、この要塞も大正13年に廃止されます。但し、この島に設置されていた28cm榴弾砲の幾つかは日露戦争時に大陸に送られ、旅順攻囲戦やその後の旅順港砲撃に使われました。 この砲台にも煉瓦造の兵舎が設置されています。 石段を登って高台の司令塔へ。 来島海峡を一望する眺め。
by sunshine-works
| 2018-08-19 13:13
| 近代建築 愛媛県
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