2016年 01月 28日
旧北吸浄水場配水池
京都府舞鶴市の近代建築その9

舞鶴湾の自衛隊桟橋を見下ろす高台に2棟の煉瓦建物が建っています。
ここはかつて旧海軍によって設置された軍事水道の浄水場があった場所で、現在その跡地には配水池と上屋が当時の姿で残されています。
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舞鶴の軍事水道は軍港設営と平行して進められ、明治34年に完成します。
北吸浄水場は与保呂川の水源地から導いた源水を浄化し配水する施設として設置されたもので、高台の高度差を利用して海軍施設と艦艇に給水を行いました。
この浄水場は戦後舞鶴市に移管されて昭和39年まで使用されましたが、その後浄水施設は取り払われ、配水池とその上屋が残されました。
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配水池は開設時の明治34年に設置された第一配水池と大正10年に増設された第二配水池からなり、それぞれの配水池は大正15年に建てられた煉瓦造、鉄骨小屋組の上屋で覆われています。
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アーチが組まれた入口上部。壁面上部は板張なのでアーチ構造にする必要はないのですが、意匠的な拘りでこのような形になったと思われます。
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日本の近代水道の歴史は明治20年の横浜市に始まり、各地の主要都市に広まっていきますが、舞鶴の軍事水道が完成した明治34年当時近代水道を保有していたのは全国で9都市のみで、舞鶴の水道は大正1年に完成した京都市よりも11年早く設置された事になります。
舞鶴のみならず鎮守府が置かれた他の3軍港も明治中期に水道を設置しており、多くの将兵や艦艇に大量の安全な水を供給する事がいかに重要だったかが計られます。
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普段は内部に立入る事はできませんが、定期的に行われるイベント開催時に配水池内部が公開されます。以下は27年10月のイベント時に撮影したものです。
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池の内部は幾層もの煉瓦壁が迷路のように連なります。
浄水が澱まない為の構造との事です。
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by sunshine-works | 2016-01-28 14:09 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)


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