2013年 03月 15日
徳島県三好市の近代建築その1 三好市の西部、三縄駅の北で吉野川を渡る地点に架けられている三好橋は昭和2年に竣工しました。設計:増田淳。 川幅は約250メートル。東側から2連のプレートガーダー桁を渡しますが、対岸までの距離140メートルを残します。 当時の国産鋼材の強度や架橋技術では径間長は100メートルが限界とされていましたが、三好橋は吊橋とすることでこの距離を克服します。 当時既に鋼製の吊橋は実用化されていましたが、コストや工期が嵩む為に施工例は少なく、橋長200メートルを超える吊橋は他に一例のみ。多くは地方道に架かる小規模な橋梁で、国道に架かる橋梁としてはこの三好橋が最初のものとなります。 三好橋の竣工後60年を経た昭和末期、ケーブルの劣化が判明します。 設置環境や構造上の問題によりケーブルの交換は困難とされましたが、桁自体の強度には問題がなかった為、桁本体を残して下部をアーチで支える上路式ローゼ橋へ改築する案が採用されます。 竣工時には困難とされた長大アーチ橋が60年を経て実現する事となり、平成元年より現在の姿へ生まれ変わります。 200メートルを超える橋ですが現在の技術を用いた改修後の三好橋は大規模な構造物とならず、長さを感じさせないスッキリとした印象に映ります。 斜面に据えられた橋脚。隣には吊橋当時の名残と思われる構造物が残されています。 当時の日本の橋梁技術は欧米に大きく差を付けられており、日本では100メートル台が限界だった長径間のアーチやトラスも既に500メートルを超すものが実現されていました。 更に吊橋に至っては、東洋一とされたこの三好橋の中央径間140メートルを遥かに凌ぐ1000メートルを超える長大橋が架けられていました。 この三好橋を始めとして、欧米の先進技術の移植に勤めた当時の施工経験は、やがて世界最高水準へと発展する日本の橋梁技術の礎として重要な役割を果たしました。
by sunshine-works
| 2013-03-15 21:36
| 近代建築 徳島県
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