2012年 11月 10日
朝来の近代建築その6 丹波と但馬の国境に発し播州平野を潤して播磨灘へ注ぐ市川は、その上流域で生野鉱山や精錬施設の麓を沿い、生野の中心部へ向います。この市川が裏手を流れる口銀谷地区の川沿いには、かつて敷かれていた鉱石運搬用の鉄道軌道跡が残されています。 河川沿いの公園となっているこの地点には、路盤を支える石積が当時の姿で残されています。 4つのアーチを備えた石組には、中世に築かれ、後に生野代官所が置かれた生野城跡の石垣が用いられました。 明治初年に鉱山近代化を図った生野鉱山は、本所(精錬施設)とを結ぶ専用道を市川に沿って築きます。当初は鉱石や資材の搬送を人力に頼っていましたが、その後は鉄道馬車を経て大正8年に電気機関車が導入されます。 この運搬軌道は大正9年に本所から生野の市街地までの区間が延長され、鉱山から精錬所を経て積出し駅の生野駅までが一本に結ばれます。この口銀谷に姿を留める軌道敷跡はこの時に敷かれたものです。 運行されていたのはアメリカ製の電気機関車。レール幅50センチ程のトロッコ列車でした。市川にそって敷かれた路線はこの先で川を離れ、中心街を通って生野駅構内の支庫まで乗り入れていました。 トロッコ道のこの区間には、同時期に施工されたと思われるコンクリート構造物が残されています。 トロッコ道を跨ぎ、市川を渡って対岸の姫宮神社とを結ぶ姫宮橋。鉄筋コンクリート製の近代橋ですが、神社の参道として昭和11年に和風の意匠で架けられています。 トロッコ軌道を跨ぎ越します。 こちらの詳しい築年は不明ですが、神社横手を走る用水路を町の中心へ渡す水道橋が架けられています。コンクリートの劣化が進んでいますが、現役で使われているようです。 水道管の先は神社の横手に伸びています。現在はこのように鉄管が通っていますが、元々は水路で渡されていたと思われます。 鉱山と共に栄えた生野の町には、鉱山の歴史を伝える様々な遺構が残ります。 これらの中でも、このトロッコ道と川沿いに築かれた構造物は、当時の優れた土木技術を伝える資料として貴重な歴史遺産となっています。
by sunshine-works
| 2012-11-10 17:44
| 近代建築 兵庫県
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