2012年 09月 15日
岡山県倉敷市の近代建築その4 倉敷駅から南へ約1キロ、倉敷川に沿って古い白壁の蔵が並ぶ観光名所の一角に、白塗の木造洋風建築が建っています。 現在は観光案内所兼休憩所として使われているこの建物は、倉敷市の基となった旧倉敷町の役場として大正6年に建てられました。 設計は不詳とされていますが、県内各地で多くの公共建物を手掛けた江川三郎八とする資料もあります。年代的にも整合し、意匠表現の類似性も数多い事から、江川三郎八またはその弟子が直接または間接的に関わったものと思われます。 幕府天領として交易が栄え、多くの蔵や商家が建ち並んだ倉敷川沿いの一帯は、明治以降も地域の経済や行政の拠点として更なる発展を遂げます。倉敷村の役場も中心部となるこの地に置かれ、町制が布かれた後の大正6年に現存するこの建物に建てかえられます。 木造2階建て、下見板貼り、寄棟造り、北東角に銅板製の方形屋根を持つ塔屋を設ける洋風建物として建てられたモダンなこの庁舎は、周囲の古い町並みにも良く馴染み、美しい景観の一部として今日まで長く親しまれています。 蔵や商家が密接して並ぶ町中に建てられた事もあり、建物の規模としては然程大きなものではありませんが、この時代の木造庁舎に特徴的な装飾表現が各所に盛り込まれ、意匠性に優れた建物です。 街区の中心部の角地、且、一帯の景観の要となる橋(中橋)の南詰に位置する事から、当初より意匠性を意識した建物だったと思えます。 町役場として建てられたこの庁舎ですが、小さな建物は程なく手狭となり、昭和3年に新庁舎へ移転。 町役場としては竣工後僅か12年でその使命を終えてしまいます。 その後は様々な公共用途に充てられますが、最終的には空家として放置される状態が続きその存続が危ぶまれました。 保存を望む声を受けて昭和46年に保存修復工事、昭和63年には解体修理を施し現在に至っています。 北側角の正面入口。敷地の制限からか、玄関は小さく、庇の突き出しも僅かです。 東面の入口は更に小さな造りです。 県内に残る木造の町村役場としては2番目に古く、大正期の役場建物の数少ない現存例となります。 地域のランドマークとして永くその姿を湛えてきたこの美しい建物は、観光資源として現在も重要な役割を果たしています。
by sunshine-works
| 2012-09-15 18:17
| 近代建築 岡山県
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