2010年 05月 05日
宝塚の近代建築その4 大正3年に始まる宝塚歌劇団の長い歴史の中で、多くの生徒が学んだ音楽学校の旧校舎。昭和12年から平成10年まで使われていた建物が宝塚市の文化施設として再利用されています。昭和10年築。 箕面有馬電気軌道が温泉リゾートとして開発した宝塚には多くの娯楽施設が設けられていきます。同社によって建てられた宝塚新温泉で公演されるレビューショーの養成機関がその後の宝塚音楽学校の前身となりました。 このモダンな建物は、宝塚音楽歌劇学校時代の昭和10年に建てられています。 鉄筋3階建て、玄関ホールの両脇に階段室を配し、その奥に教室やレッスンルーム、職員室が繋がる構造となっています。モダニズム様式による内外装は、華やかな近代娯楽の養成所にふさわしい洗練された意匠で統一されています。 南側に設けられた玄関。丸柱には正方形の飾りタイルが貼られています。 側面から裏面の様子。いかにもモダニズム建築らしく整然と窓が並びます。 館内の景色。階段室に設けられた丸窓の内側です。 新校舎の完成により平成10年に役目を終えたこの建物は、当初取り壊されて宅地となる予定でしたが、中心市街地の再生拠点として活用される事となります。改修に際しては、極力本来の姿に復す事とされ、修復されずに当時そのままの状態で残された箇所もあります。 階段の壁面寄りが磨り減っていますが、これは予科生(下級生)が先輩の本科生の妨げにならないように壁際を駆け足で通行した為と説明板に書かれています。 当初は温泉リゾート地で興を添える程度の出し物だった少女レビューは、やがて大きく発展し、「宝塚」の名は一躍全国に知られる事となります。その後の宝塚の繁栄は、温泉地としてよりも歌劇団の本拠地として多くの人を惹き付ける文化都市に比重を移していきます。 「宝塚歌劇文化を礎とした新たな宝塚文化の創造」の場として文化イベントや教室が開かれているこの旧校舎は、町の発展に歌劇団が果たした役割を伝える貴重な歴史遺産でもあります。
by sunshine-works
| 2010-05-05 15:28
| 近代建築 兵庫県
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