2009年 10月 29日
岡山県岡山市の近代建築その5 津山線玉柏駅から東へ進んでほどなく、旭川の広い河川敷が見えてきます。 ここに架けられている大原橋は、1連の鋼橋に9連の鉄筋コンクリートローゼ橋が連なる珍しい形式の橋として昭和17年に開通しました。 三つの大きな川が南北に流れる岡山県には、戦前に架けられた橋が数多く残っており、その殆どは今も現役として使われています。これらの橋の多くは昭和9年の室戸台風の復興事業で架橋されたものです。この大原橋も一連の復興橋の一つとして6年の歳月を経て竣工しています。 全長400メートルに及ぶ大きな橋です。川の東詰側に鋼製のトラス橋が1連、その先に9連の鉄筋コンクリートのアーチ橋が並びます。元々の計画では全ての区間が鋼橋となる予定でしたが、戦時下で鉄材を節約する必要から、このような組み合わせに修正されています。 東側の1連はこの時代には一般的な鋼製のトラス橋です。同時期に県内各地で架橋された復興橋の多くもこの形式の物が主流でした。 2連目からはコンクリートのアーチが並びます。 鉄筋コンクリートローゼ橋と呼ばれるこの形式の橋は昭和初期に長野県の技師によって開発されたアーチ橋の一種です。長野県以外にはこの岡山と四国で幾つかの橋が架けられましたが、全国的にはあまり普及せず、現存する橋もそれほど多くはありません。 この形式の橋桁がこれだけ連続して並ぶのはこの大原橋以外には見られません。複雑に組み合った鋼材が織りなすトラス橋の構造美とはまた異なる、シンプルで流麗な曲線はコンクリート橋ならではの独特の美しさがあります。 数多く架けられた室戸台風の復興橋の中でも、この大原橋はとりわけ個性的な存在です。戦時の特殊事情による苦肉の策とは言え、開発間もない工法でこれだけの規模の架橋を実現させた技術力は高く評価されるものと思います。
by sunshine-works
| 2009-10-29 21:57
| 近代建築 岡山県
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Comments(4)
牟佐の低地が水を被って帰宅出来ない時、旭川左岸を帰った思い出が懐かしい
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sunshine-works at 2013-04-01 00:30
以前在籍していた建設会社が私が入社する8年前の昭和45年、大原橋に沿わせて歩道橋を構築した時の話です。 施工するにあたり戦時中、架橋した時の設計者が東京で御存命ということでお話を聴きに上京したそうです。 高齢の設計者がおっしゃることに『橋の工事が始まった時、用意していた鉄筋を軍が差し押さえ、やむなく竹を編んで配筋しましたが構造計算上、どんな大きな車両が走っても何の問題もありません』と胸を張られたそうです。
コンクリートをはつるとピカピカの青竹が組まれていたそうです。
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sunshine-works at 2018-02-27 11:22
> 三村 俊之さん
はじめまして。コメントありがとう御座います。 一時期、竹筋コンクリートの建物が試行された事は存じていましたが、この大原橋にも用いられていたとは初めて聞きました。竹筋コンクリートの建造物としては現用施設の中で最大規模のものではないでしょうか。 |
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