2009年 10月 09日
三木の近代建築その3 三木市の東部、静かな山間の渓流(志染川)に古いアーチ橋が架けられています。谷を越えて疏水の水を渡す水路橋として明治24年に築かれました。 六甲山系の西側、現在の稲美町から加古川にかけて広がる印南野と呼ばれる一帯は水に恵まれず、稲作に不向きな土地でした。古くから特産の綿花やたばこを中心とした畑作が行われていましたが、地域の人々にとって水を引いて水田を開く事は積年の願いとなっていました。 江戸時代から幾度も疎水の計画が立てられましたが、技術的な問題から実現には至らず、明治になって近代土木技術を導入する事でようやく夢がかなう事となります。 水源の淡河川から約30キロを引水するこの淡河川疎水は、いくつものトンネルを開削する難工事となりましたが、起工3年後の明治24年に完成します。 ルートの途中の志染川を挟んだこの谷に水路を渡す方法として採用されたのが、サイフォンの原理(正確には逆サイフォンだそうです)を利用した橋でした。サイフォン橋の歴史は古く、日本でも江戸時代にこの原理を利用したものもありましたが、近代技術を駆使した本格的なサイフォン橋としては日本初の試みとなりました。 竣工時に架けられた石橋と戦後に架けられたコンクリート橋が並んでいます。下流側から見えるこの橋が戦後に架けられたものです。現在はこちらの橋に導水管が通されており、向こう側の旧橋は水路橋の役目を終えています。 水路は橋に埋設されており、上部は対岸を結ぶ道路になっています。旧橋の部分は保護の為なのか、通行禁止となっています。 水路を流れてきた用水が鋼管に導かれ、ここから一気に斜面を駆け下ります。管の上部の煙突状のものは空気圧を調整するものでしょうか。 志染川を挟んで北から南へ、標高差50メートルの橋を経由して水を渡します。山の上からまっすぐに下りてきた鋼管は麓で地下に潜り、橋を抜けて反対側の山の上へ向かいます。現在の鋼管は国産のものですが、俊工時はイギリスから取り寄せた鉄管が使われていました。 こちらが上流側に架けられている俊工時の石橋。礎石を組んだ上にモルタルを塗って補強しています。 橋を渡った水道管は再び地表に現れて斜面を登って行きます。現在は地表に設置されている鋼管ですが、当初はすべて地中設置となっていました。 斜面を登りきった先で再び水路へ注がれます。 御坂サイフォン橋から5キロ程東にある取水口(淡河頭主口)。川の水位を調整して脇の水路へ水を導きます。 東播磨の農業を大きく変えたこの淡河川疎水は、100年を越えた今日も印南野を潤す需要な役割を果たしています。現在も流域には竣工時の姿を留める近代化遺産が幾つも残されていますが、中でもこのサイフォン橋は当時の技術の高さを今に伝える疎水のシンボル的な存在となっています。
by sunshine-works
| 2009-10-09 02:45
| 近代建築 兵庫県
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