2009年 05月 19日
旧網干銀行本店
姫路の近代建築その10

姫路市の南西、揖保川の河口に位置する網干は、漁港として、また内陸部と結ぶ水運の要衝として栄えた町でした。明治以降は臨海部に進出した多くの工場によって工業都市としての色合いを強め、豊かな経済基盤に支えられて発展していきます。今でも古い町並みが残るこの網干の中心部に、大正期に建てられた地場銀行の建物が残っています。現在洋品店として使われているこの建物は大正10年頃の築と言われています。
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山陽電鉄網干駅から南方向、木造家屋が連なる路地にアーケード式の古びた商店街が南北に伸びます。現在は人通りも疎らで寂れてしまった一角ですが、家々の屋根越しに一際目立つ建物が現れてきます。特徴的な丸屋根を持つこの建物は網干銀行の本店として建てられました。
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地方銀行の建物としてはかなりユニークな建物です。当時流行したセセッションの影響を受けたモダンなデザインですが、コーナー部分の円錐屋根は東洋的あるいは中東風でもあります。
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大正時代の建物ですが非常に良く手入れされています。店舗入口がシャッターに改装されている以外、残せる部分は極力オリジナル通りに保たれているようです。個人所有の建物として維持管理するには相当な負担と思われますが、大切に扱われているのが感じ取れます。
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明治以降、各地に乱立していた小規模な地方銀行は段階的に統合されていきます。この網干銀行も昭和初期に姫路を拠点とする三十四銀行に吸収されます。その後もこの建物は行名を数回変えながらも、銀行店舗として昭和40年代まで使用されました。その後は現在の洋品店が入居していますが、この洋品店の歴史も建物の年齢の半分近い40年を越える長い歳月を経ている事になります。
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この建物は狭い商店街に立地し、更にアーケードが前面を塞いでいる関係で全貌を捉えた写真が撮れないのですが、路地から部分的に覗き見えるエキゾチックな姿は、周囲の趣のある建物と一体となった、むしろ味わい深い景色になっています。
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これだけの規模の建物がこの地方都市の小さな商店街に建てられた事は、現在ではなかなか想像し難いのですが、当時は相当栄えた町だったようです。姫路の中心部が発展し、交通アクセスが整備されるに伴って周辺部の小さな町は徐々に寂れていったものと思われます。懐かしさの漂う町並みに残る、この旧網干銀行本店は賑わいでいた往時の雰囲気を今に伝えています。
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by sunshine-works | 2009-05-19 21:02 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(0)


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