2009年 03月 04日
加古川の近代建築その6 加古川の近代建築探訪、今回も日本毛織関連の建物を紹介します。 日本毛織加古川工場の南側に同社の社宅が並ぶ区画が広がります。この区画の中心に建つ2棟の洋館は、その昔外国人技術者の居住施設として建てられたものです。 加古川工場は明治32年に同社初の工場として操業を開始しましたが、当時の日本には毛織物の専門技術者は少なく、欧米から招いた技師がその指導にあたりました。これは毛織物に限らず明治期に近代産業として興された多くの工場に共通するもので、それぞれの事業所の近くには専用の外国人住宅が建てられていました。おそらく、これらの工場が進出した地方都市にとっては始めて目にする本格的な洋風住宅だった事と思います。 2棟あるうちの1棟は工場開設と同時期に建てられたもの、その隣の1棟は明治末あるいは大正期に建てられたものです。建てられた年代は異なりますが、窓枠や屋根の仕様等共通するデザインで統一感を持たせています。 こちらが最初に建てられた棟です。 後に建てられた棟は前に別棟が建っているので正面側からは2階部分しか見えません。 あまり手を加えられた形跡が無く、当時の状態が良く残されています。木製の窓枠も当初のままと思われます。 入口のすぐ脇に2階へ上がる階段が見えます。 建物に沿って反対側に回ってみます。 玄関はこの面にも設けられています。こちらが本来の玄関かも知れません。 操業が軌道に乗り、外国人技師がその役割を終えると、この建物は同社の宿舎や地区の中心施設に利用されます。現在も社宅倶楽部の名称で公民館や集会所の用途で使われているようです。 この建物周辺は、同社の社宅街として大正期に造成されました。区割りされた街区には板塀や煉瓦塀が張り巡らされ、未舗装の路地の両脇に住居が整然と並んでいます。建坪や建物のデザインは職位に応じて異なっていると思われ、平屋の和風住宅に混ざって2階建ての大きな洋風建物も確認できます。 この社宅街のほとんどの建物は建てられた当時の状態が保たれており、戦前の町並がそのまま残る、町全体が近代化遺産と言った趣があります。 日本毛織の工場は加古川を大きく発展させましたが、これを支えたのは工員達の生活の場であったこの町並みでした。 加古川の町は日本毛織の規模縮小によって、企業城下町の色合いがだいぶ薄れてしまいました。この建物や戦前の雰囲気を残す社宅街がやがては失われてしまうとしたら何とも残念です。
by sunshine-works
| 2009-03-04 20:48
| 近代建築 兵庫県
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