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2012年 08月 29日
旧智頭小学校板井原分校
鳥取県智頭町の近代建築その7

智頭町中心部から北東方向、赤波川に沿った細い山道を進んで程なく、小さな集落に行き着きます。
平家の落人伝説が伝わるこの智頭町板井原地区には江戸期から昭和中期までに建てられた古い民家が幾つも残されており、古き時代の山村集落の姿を留める貴重な文化遺産として知られます。
この集落の中央部、向山神社の隣に1棟の小さな木造建物が建っています。この建物は、旧智頭小学校板井原分校の校舎として半世紀に亘って使われていました。築年については諸説ありますが、昭和初期のものと思われます。
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林業や養蚕業が栄え、かつては100棟以上の建物が並んだこの集落も、産業の衰退と交通網の発達によって昭和後期から急速に過疎化が進行し、現在は高齢者を主とした20人程にまで人口が減少しています。
唯一置かれていたこの分校も生徒数の減少により今から20年程前に廃止され、その後は地区の公民館として今日まで使われています。
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木造2階建て、下見板貼り。上部を漆喰壁で仕上げ、切妻屋根には鉄板瓦を葺きます。
簡素・素朴な建物で、装飾表現らしきものは殆どありません。大きな引戸が並び、軒が張り出す正面側の意匠は一見すると民家や商家のような印象を受けます。
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礎石を積んだ一段高い基礎の上に、斜面を背負う形で建てられています。
西の側面に小さな入口を設け、片廊下の南面に教室を配置。東側面の張出部に手洗いを構えます。
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下見板の壁面。南面に引戸が並びます。文化遺産オンラインに拠ると、「広く間口を開放できる構造とし,舞台を兼用している」とありますので、公民館になった後の改修とも思えます。
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冬季には豪雪に埋もれ、近年まで自動車の乗り入れも叶わなかった秘境とも言えるこの板井原は、村落全体が古き時代の山村集落の姿を留める貴重な歴史遺産となっています。
この集落の中心部に位置する旧分校の校舎は、地域の景観に資する需要な建物として有形登録文化財に認定されています。
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by sunshine-works | 2012-08-29 22:11 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 26日
仁風閣
鳥取県鳥取市の近代建築その7

鳥取城址に広がる久松公園の一角に、西日本を代表する洋風建築が残されています。
明治40年、旧鳥取藩主池田仲博公爵の別邸として建てられ、時の皇太子(後の大正天皇)の山陰行啓に際しては宿泊所として使用されました。
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広大な敷地に建つ白亜の巨大な木造2階建ての建物です。
設計を手掛けたのは、3つの国立博物館や東宮御所の設計で知られ、明治期の日本の近代建築界を代表する片山東熊工学博士。皇室関連施設の設計に数多く携わり、宮廷建築家と称された片山東熊ならではのルネッサンス様式の本格的な洋館建築です。
*各部の意匠や内装についての解説はこちらを参照下さい。
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池田家の別邸として建てられたとされていますが、これ程巨大な邸宅の起工から完成まで要した期間は僅か8ヶ月、むしろ皇太子の行啓に併せて急遽建てられたものとも思えます。
因みに鳥取初の電灯が灯されたのがこの仁風閣で、道路や町並みも急速に整備される等、皇太子行啓に併せて近代化が進められました。
仁風閣の建設費用だけでも当時の鳥取市の年間予算に等しく、市内のインフラ設備や街区整備を合わせるとその額は更に莫大なものとなりました。
この皇太子行啓は鳥取市の威信を掛けた大イベントだったと思われます。
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鳥取城の堀を挟んだ遠方から側面を眺めます。
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建物側面から反対側へ廻ります。側面に添えられた八角形の張出部分は階段室になっており、内部には螺旋階段が据えられています。
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建物南面です。小さな池を配した庭に面してバルコニーが設けられています。
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館内は一部区画を除いて見学自由。1階から見て行きます。
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どの部屋も建具や調度品の多くは当時の状態で保たれています。
壁紙や床張り、天井等の内装材は後年に張り替えていますが、当初の物に準拠した仕様としています。
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裏庭に面したテラス部分です。
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先程外観を眺めた螺旋階段部分。階段は支柱を持たず、一繋がりになった構造自身で支えられます。
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残念ながら、この階段は使用禁止。別の階段で2階へ上がります。
2階の各部屋です。
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先程のテラスの2階部分。こちらはガラス窓で塞がれた閉鎖式バルコニーです。
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当時の東京や京都の西洋建築を凌ぐ建築意匠、贅を凝らした内外装、城跡や背後の山並みを借景とする素晴らしい景観等々、西日本の邸宅として随一ともいえるこの仁風閣ですが、皇太子の御座所となったのは僅かに数日、その後池田家の別邸として使われた期間も短く、建物の歴史の殆どは、公会堂や科学博物館等の公共の用途に使われました。
昭和47年に県から払い下げを受け、修復、復元を行った後の昭和51年に公開施設として現在に至ります。
四季折々に様々な景色を見せる城跡に映えるこの美しい建物は、鳥取県の近代洋風住宅として唯一の重要文化財に指定されています。
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by sunshine-works | 2012-07-26 21:04 | 近代建築 鳥取県 | Trackback(1) | Comments(2)
2012年 07月 22日
旧佐々木家住宅
鳥取県鳥取市の近代建築その6

鳥取市の中心街の北東、町並みが山に差し掛かる一角に緑豊かな公園が置かれています。
この樗谿公園の向かいに昭和初期に建てられた洋風住宅が残されています。
昭和5年に個人住宅として建てられたこの建物は、戦後暫くを進駐軍の宿舎として、その後は一時期ホテルとして使われました。その後数度変遷を経て、現在はアパートとなっています。
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木造モルタル2階建。敷地は植栽や置石で飾られ、モダンな建物に趣を添えます。
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この建物は戦後に進駐軍宿舎として使用されるに際し増築されています。建物の左側が当初の部分、右手側が増築された部分です。
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アパートとして使われていますが、大半の区画は空室と思われます。使われていない区画は劣化が進んでおり、少々心配な状況です。
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こちらは昭和5年に建てられた部分。2階には小さなバルコニーが設けられています。
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昭和27年の大火によって中心街の大半が焼失した鳥取市には、戦前築の洋風住宅の現存例は極めて僅かです。
被災を免れたこの建物は貴重な建築遺産として、平成8年に選定された鳥取の建物100選では洋風住宅の二例中の一つに選ばれています。
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by sunshine-works | 2012-07-22 18:28 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2012年 06月 27日
旧鳥取県立図書館
鳥取県鳥取市の近代建築その5

鳥取市の中心市街の一角に、かつての鳥取県立図書館が残されています。現在は展示施設に利用されているこの建物は、昭和5年に置塩章の設計で建てられました。
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鉄筋コンクリート2階建て、公共施設らしく古典様式を基調とした建築意匠。この種の建物を得意とする置塩章ならではの手腕が存分に発揮されています。
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鳥取市の官庁街の近く、県都鳥取の中枢にあたるこの地に県の中央図書館として建てられました。この図書館が建てられた当時の鳥取市の人口は4万人に満たないものでしたが、同程度の地方都市の図書館の中では規模が大きく、豪奢な施設だったと思います。
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陸軍技官から兵庫県の営繕課長に転じた置塩章は、在任中の8年間に県内各地で数多くの公共建築を手掛けます。昭和3年に独立した後は活動範囲を全国に広げ、培った公共建築の設計技法を駆使して各地に優れた庁舎を残します。
この旧鳥取県立図書館は独立後に置塩章が手掛けた兵庫県外の公共建築として、宮崎・茨城県の両県庁舎と並ぶ数少ない現存例です。
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昭和5年から長く図書館として使われたこの建物は、老朽化により一時期取り壊しの計画が立てられましたが、保存活用を求める要望が尊重され、耐震補強を加えて外観部を保存する工事が行われました。
補修を終えた平成7年から現在の展示施設「わらべ館」として再活用されています。
この建物について「復元建物」や「外壁保存」と記している資料がありますが、建物躯体は当時の姿が保たれています。「旧建物の外郭を残し、後方に新造部分を繋いだ建物」とするのが正しい記述と思えます。
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屋上の塔屋部分。一連の置塩章の作品に共通するゴシック調の意匠で飾られています。
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鳥取城の大手前にあたるこの一角は、古くから文教地区として栄えました。現在も多くの文化施設が並ぶ中で、風格を湛えるこの建物はランドマークとして優れた景観を為しています。
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by sunshine-works | 2012-06-27 20:14 | 近代建築 鳥取県 | Trackback(1) | Comments(2)
2012年 05月 29日
山陰本線千代川橋梁
鳥取県鳥取市の近代建築その4

鳥取県最大の河川、千代川は県南部の中国山地を発し、鳥取平野を北流した後に鳥取市の中心部で日本海へ注ぎます。
鳥取駅と湖山駅の間でこの千代川を越える山陰本線千代川橋梁は、明治41年の開通当時の姿を留めています。
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千代川の河口近く、約400メートルの広い川幅を渡ります。
22のプレートガーダーが連なるこの千代川橋梁は県内の鉄道橋梁としては最大の橋長を誇ります。
*詳細はこちらをご覧ください。
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千代川を渡るこの地点には、現在2つの橋梁が架けられています。下流側に開業当初のプレートガーダー橋、上流側にトラス橋が並んでいますが、プレートガーダー橋はトラス橋と重なって見えるため、遠方からは一つの橋に見えます。
このうち山陰本線として使われているのは上流側の新橋で、旧橋は車両基地の引込線へ続く路線として使われています。
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橋脚は当時の標準的な楕円系断面の石積橋脚。昭和6年に桁上げした際に上部をコンクリートで補強されています。
橋脚に渡される22連のプレートガーダーは作35年式と呼ばれる形式で、制定されて間もない新しい規格のものが使われました。
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プレートガーダーの規格は数種類のものが混在しています。一部は後年に取り換えられたものもあるようで、鉄道省の四角い橋銘板の他に、国鉄時代の楕円形の橋銘板が確認出来ます。
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本線と呼ばれる主要幹線に於いて、明治期に架けられた橋梁が今尚現役で使われている数少ない事例です。
古い鉄道施設が数多く残る山陰本線の中でも、大規模橋梁としては全線で最も古いものとなるこの千代川橋梁は、当時の技術を今に伝える資料として貴重な鉄道遺産です。
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by sunshine-works | 2012-05-29 22:22 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2012年 05月 25日
美歎水源地施設
鳥取県鳥取市の近代建築その3

鳥取市中心部から南東方向へ山道を上っていきます。郊外の景色が次第に山深い風景へ変わり、人家が疎らになった一角に開けた区画が広がっています。
この一帯は鳥取市に初めて近代水道が敷かれた大正4に浄水施設が設置された場所でした。
この地に置かれた美歎浄水場は、その後70年に亘って鳥取市の水源としての重積を果たしますが、昭和59年に新しい浄水場の完成に伴って役目を終えます。
閉鎖されて30年近く経過するこの旧水源施設には今尚多くの施設が竣工時の姿で残されています。
近代建築Watch鳥取編の今回は、年1回の見学会に限って公開されるこの旧水源地の施設群を紹介します。
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広い敷地内には貯水池、暖速濾過池、量水施設等の浄水施設を始め、門や橋などの付帯施設が良好な姿で残っています。
各地に創成期の水道施設が残されている例は数多くありますが、これだけの数が揃って現存する例は珍しく、土木遺産として貴重な資料となっています。
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敷地の北側に位置する堰堤。美歎川を堰止めて水道用水を蓄えます。完成当初は土盛で築かれましたが、大正7年に洪水で流されてしまいます。その後、神戸の水道ダム豊稔池堰堤を手掛けた佐野藤次郎の指導の基、礎石を積んでコンクリートを充填する現在の堰堤が大正11年に完成します。
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堰堤上部です。
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上流側からの眺め
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貯水池に蓄えられた水は、鉄管で場内5か所の濾過池へ導かれます。
池底に敷かれた砂と生物作用で長い時間を掛けて濾過する暖速濾過法は当時の一派的な浄水法でしたが、大量の処理には向かず、その後に開発された急速濾過法に置き換わっていきます。旧美歎浄水場では昭和59年の廃止までこの方式が使われ、良質な浄水を供給していました。
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廃止後は水が抜かれ、側壁や池底を詳細にみる事が出来ます。5つある濾過池の内一つは水が貼られ、当時の雰囲気を伝えます。
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濾過池に付随する施設を順に見て行きます。これら施設は築後100年近くを経過してコンクリートの劣化が進んでおり、保護する為に仮設の覆いが架けられています。
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調整井と呼ばれる施設。水位の調整をするバルブが収められています。
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各貯水池から送られた浄水は接合井に集められます。
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接合井に集められた浄水は、この量水器を経て市内へ給水されていきます。
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場内に巡らされた管理道路の数箇所には当時架けられた鋳鉄製の橋が今も残っています。
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当時の正門と思われる門柱と門扉。
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鳥取市の近代水道が共用を開始した当時、鳥取市の人口は約3万人で、この時代に近代水道を設けた都市としてはかなり小規模なものでした。
現存する旧美歎水源施設は、地方都市に於ける先駆的な水道事業の導入事例として、更に創成期の水道施設の全容を垣間見る良例として、極めて需要な歴史遺産となっています。
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by sunshine-works | 2012-05-25 22:51 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(2)
2012年 04月 30日
五臓円ビル
鳥取県鳥取市の近代建築その2

鳥取市の中心部、智頭街道に沿った旧市街の一角にスクラッチタイル貼りの商業ビルが建っています。当地で古くから営む薬局店舗の建物として昭和6年に建てられました。
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鉄筋コンクリート3階建て、外壁にスクラッチタイルを貼り、建物角にアールが付けられます。
コーニスや繰形が廻らされた壁面に縦長窓を並べ、屋上の北東角にはパラペットを立ち上げます。小規模な建物ながら手の込んだ造りです。
前回紹介した坂出の角本金栄堂と建てられた時代も近く、同時代の洋風商業建築に共通する意匠表現が見て取れます。
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規則的に並ぶ縦長窓。2階と3階で高さが変えられています。
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1階部分を端から順に見ていきます。まずは南東側から。
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角を周って北面を眺めます。
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外壁のクローズアップ
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現在の建物3階には喫茶店が設けられており、館内には自由に入れます。
薬局店舗として建てられた当時も最上階にレストランが設けられていました。
モダンなビルと当時まだ珍しかった西洋料理店やカフェの取り合わせは鳥取のハイカラスポットとなっていた事でしょう。
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鳥取の中心街は戦後の大火で古くからの建物の殆どが失われてしまいました。
奇跡的に焼け残ったこのビルは、唯一残る戦前の商業建造物として当時の姿を伝えます。
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by sunshine-works | 2012-04-30 17:11 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(3)
2012年 03月 29日
旧鳥取高等農業学校校舎
鳥取県鳥取市の近代建築その1

鳥取の中心部を南東方向へ進んで程なく、大きな工場が並ぶ一角に三洋電機鳥取工場の敷地が広がります。
この三洋電機の敷地には、かつてこの地に置かれていた鳥取高等農業学校の校舎の一部が保存されています。大正9年築。設計:辰野金吾。
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この場所は、鳥取農業学校が開校した大正9年から、後身の鳥取大学農学部が移転する昭和41年まで校地として使われていました。敷地内には数多くの校舎が建っていたようですが、残されたのはこの本館のみ。玄関を含む中央部分が保存されています。
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下見板貼りの2階建て、中央にアーチ形の玄関入口を配し、玄関ポーチには石が敷かれます。ルネサンス式の格調高い意匠が施された、官制の高等専門学校に相応しい校舎です。
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建物は上から見てY字形。玄関はY字の交点に位置します。残されたのは前面部分との事なので、両翼に長く校舎が続いていたものと思われます。
現在の姿から当時の全貌は掴み辛いのですが、中央部だけでも相当なボリュームがあり、大きな校舎だった事が想像できます。
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側面から裏側に廻ります。かつてはこの先に校舎が伸びていたのでしょう。
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屋根の中央部には小さな望楼が設けられています。
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建物の真裏、玄関の背面にあたる部分です。
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旧制大学や医科大学が置かれなかった鳥取県に於いては、戦前の高等教育機関の建物として唯一の現存例になります。全国数箇所に設置された高等農業学校の中でも、本館が現存する事例は他に一例を数えるのみで、辰野金吾の作品である事も併せて極めて貴重な建物と言えます。
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by sunshine-works | 2012-03-29 20:28 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 25日
旧岩井尋常小学校
鳥取県岩美郡の近代建築

鳥取県東部の温泉地岩美の町角に半ば朽ちかけた古い小学校校舎が残されています。
明治25年に岩井尋常小学校として建てられたこの校舎は、鳥取県に現存する学校建築として最も古いものです。
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通りから緩やかな坂を上った先、校庭らしきものがほとんどない狭い敷地にひっそりと建っています。
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大正6年まで小学校として使われ、その後は幾度も用途を変えながら使われましたが、現在はこのように荒れ果てた状態で残されています。用途に応じて都度改装が行われたと思われますが、玄関廻りを始め主要な部分は竣工当時の姿を留めています。
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小さな建物ですが、中央に張り出した玄関庇、その上に設けられたバルコニー、周囲に廻らされた軒飾り、庇の上に葺かれた大きな瓦屋根等々、見事な装飾意匠が施されています。
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使われる事のない玄関扉。
空家となってから、相当な時間が経過しています。
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塗装は干乾び、木部もボロボロ、傾きや歪みも目立ちます。岩美町の保護文化財となっていますが、何ら手入れされていないと思われます。このまま保存策を講じなければ、倒壊の危険すらありそうです。
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庇を支える基礎。下草が繁茂し、柱には蔦が伝います。
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地方に於ける黎明期の学校建築の秀例として、優れた歴史遺産です。
今後どのような扱いが為されるのか、何とも不安な状況ではありますが、永く残すべき価値のある建物です。
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by sunshine-works | 2012-03-25 23:55 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 26日
山陰本線陸上橋梁
鳥取の鉄道遺産その9

明治期に遡る古い歴史を持つ山陰本線は、他の幹線に比べると近代化や高規格化の進捗が遅く、全通から100年近くになる今日も開業時に由来する鉄道施設が各地で使われています。
山陰本線が東西を貫く鳥取県にも、古い橋梁や木造駅舎が数多く現存していますが、今回はこれらの中で最も規模の大きな鉄道遺産となる、岩美郡陸上(くがみ)に残る橋梁を紹介します。
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山陰本線の鳥取県内区間は明治35年に境港~米子が開業、その後幾度も延伸を重ねて明治末年までに県内全区間が開通します。県北東部の風光明媚な丘陵を渡るこの陸上橋梁は、岩美と兵庫県西端を結ぶ工区が開通した明治44年に架けられています。
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小高い丘の彼方から進んできた山陰本線は、谷間となるこの地点で、陸上川と両岸の平野部を頭上高く跨ぎ越して行きます。
両脇の丘の高さに合わせて高く組まれた橋脚が、総長140メートルのプレートガーダーを支えます。
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煉瓦積の橋脚は全部で5本。山陰本線でも良く使われた当時の標準的な仕様と思えます。5本の中で2本が円形断面、3本が角形断面をしています。川中に建てられた2本が水流を逃がす効果を配慮して円形に仕上げられています。
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1基の橋脚は後年にコンクリートで補強されています。
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その他の橋脚は竣工当初の煉瓦が残ります。
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by sunshine-works | 2012-02-26 23:50 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)