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2013年 10月 30日
山陰合同銀行根雨支店(旧雲陽実業銀行根雨支店)
鳥取県日野郡の近代建築その2

出雲街道の宿場として栄えた日野郡根雨町の中心部に、昭和初期に建てられた銀行建物が今尚現役で使われています。
この建物は、現在の山陰合同銀行の前身の一つ、雲陽実業銀行の店舗として昭和4年に建てられました。
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旧街道に面して建つ木造モルタル2階建て。
玄関の両側に窓1面の幅を加えた、間口10メートル足らずの建物です。
壁面は全面化粧タイル貼り、玄関庇から2階の軒下に付柱を通し、中央のペディメントにオーナメントを飾ります。
庇の持送りや四方の軒下に飾られる半球を連ねたレリーフ、コーニス下に並ぶディンティル、上下の窓間の装飾等々、小さな建物ですが、当時流行の建築様式が各部に盛り込まれています。
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鳥取県内で同時代に建てられた小規模銀行店舗の現存例として、旧日本産業貯蓄銀行倉吉支店が在りますが、正面側の意匠には多くの類似点があります。
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建物側面
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現在は山陰合同銀行根雨支店として使われているこの建物は、戦前に建てられた鳥取県内の銀行店舗の中では現役で使われている唯一の事例です。
このように小規模な古い銀行店舗は老朽化や支店の統廃合によって閉鎖される例が多く、全国的にも数少ない現存例です。
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by sunshine-works | 2013-10-30 23:53 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(2)
2013年 09月 25日
旧海軍米子航空基地掩体壕
鳥取県米子市の近代建築その8

中海に突き出した半島の突端、米子市と境港市に跨って米子空港の敷地が広がっています。
航空自衛隊美保基地と共用する米子空港は、旧海軍の航空隊基地がその前身となりますが、この空港周辺には旧軍時代に設けられた数基の掩体壕(航空機用の壕)が今も残されています。
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空港に面した道路脇に残る壕。現存する米子空港周辺の掩体壕の中では最も規模が大きく、また内部の様子が良く伺えます。
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掩体壕とは航空機を空襲から守る為に飛行場周辺に築かれた施設で、その多くは半地下式のコンクリート壕に土盛をしただけの簡易なものでした。
本土空襲が激しくなった戦争末期の旧軍の航空基地にはこのような壕が数多く造られますが、使われているコンクリートの厚さからすると爆弾の直撃に絶え得るものとは思えず、機体の隠蔽と銃撃や爆風からの保護が主な目的だったのでしょう。
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内部は奥が狭く、高さも奥側が低く造られています。
当時の軍用機は尾輪式だったので低い後ろ側から収容し、機首が手前側になります。
入口上部にはプロペラの高さギリギリに切り欠きが設けられています。
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暫らく進んだ集落の中程に残る壕。先ほどに比べると小型な壕です。
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奥行きも短く、入口も両翼が収まる形状となっていません。
この規模では機体全体(単発戦闘機で縦・横最大10メートル程)を格納するには足らず、機体の後ろ半分のみを収めて前部は土塁等で防護したものとも思われます。
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こちらは美保基地の中に残る数基の壕。
土盛りがそのまま残され、当時の状況が良くわかります。
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少し離れた場所の小ぶりな壕。
飛行機の壕ではなく、通信施設が収められていたようです。
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戦時中に各地の航空基地に築かれたこれらの壕の多くは農業倉庫や資材庫としてその後も使い続けられましたが、周辺の開発や老朽化を理由に大半が取り壊されてしまいました。
僅かに残されたこれら幾つかの壕跡が貴重な歴史を伝えています。
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by sunshine-works | 2013-09-25 18:03 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 09月 20日
旧江尾水力発電所
鳥取県日野郡の近代建築その1

鳥取県の南東部、岡山県境に近い江府町江尾の川沿いに、大正期に建てられた古い水力発電所が残されています。
旧山陰電気によって建てられたこの旧江尾発電所は、大正8年に建てられ昭和52年まで現役で使われていました。
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石造一部2階建て、ルスティカ積みに切石を組み、アーチ窓と縦長窓を配置。
軒下のコーニスや側面のバットレス、キングポストトラスを用いた屋根組み等、本格的な西洋建築技法が取り入れられています。
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右手に発電機が置かれた2層の建屋、左手に平屋の付室が並びます。
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現在の中国電力は、山陰・山陽に設立された地場の電力会社がその前身となりますが、現存するこれら旧電力会社の発電施設の中で石造で建てられたのは江尾発電所が唯一のものです。
他の発電所の殆どが簡素な造りとなっている中で、この発電所は意匠の面でも特異な存在です。
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竣工後94年、廃止されてからも36年が経過していますが、状態は極めて良好に保たれ、窓枠も当時のままの木製のものが使われています。
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建屋の裏側。水圧鉄管の跡が金属板で塞がれています。
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川の対岸からの遠望。
この旧江尾発電所は山陰地方に残る古い水力発電所の中でも大正期に遡るものとして、また全国的にも11例のみが現存する石造発電所建物の一つとして貴重な土木遺産となっています。
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by sunshine-works | 2013-09-20 18:59 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 09月 15日
登山橋
鳥取県西伯郡の近代建築その1

伯耆溝口駅から北東方向、狭い山道の途中に鉄筋コンクリート造のアーチ橋が架けられています。
昭和9年に架けられたこの登山橋は、竣工当時、鳥取県内で最大規模のコンクリート橋となりました。
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この橋が架かる町道は、現在では交通量も少ない地方道となっていますが、近くに新道ができるまでは大山の登山道として賑わった道でした。
橋の名称も大山の登山道に架けられた事に由来しています。
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日野川水系の大江川が流れる深い谷間を渡る上路式開腹コンクリートアーチ橋。60メートルを超えるスパンを途中に橋脚を設けず一跨ぎします。
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美しい弧を描くコンクリートアーチが対岸に渡ります。
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深い谷底で80年に亘って橋を支え続けるアーチ基部。
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この橋が架けられた昭和初期、鉄筋コンクリート橋は既に実用化されていましたが、地方に於いてはまだまだ少数で、山合いに架けられた長大橋の多くは鋼製のトラスやアーチ橋が主流でした。
現在では一般化されているこの形式のコンクリート橋の先駆例の一つとなります。
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by sunshine-works | 2013-09-15 20:13 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 07月 25日
旧根雨町公会堂
鳥取県日野郡の近代建築その1

日野郡根雨町の山手に、現在は歴史資料館として使われている洋風建築が建っています。
この建物は昭和15年に根雨町公会堂として建てられました。
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木造2階建て切妻屋根。
小高い丘の上に位置し、入口玄関がある大きな妻面を町並みを見下ろすように構えます。
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案内板に拠ると、この公会堂は当地出身の実業家で砂鉄精錬で成功を収めた近藤寿一郎氏が寄贈したものとの事。
設計は武田五一の弟子にあたる岡田孝雄が手掛けています。
因みに近藤寿一郎は兵庫県西宮市に自邸を構えますが、その邸宅も岡田孝雄の設計で建てられています。
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左右側面の眺め。正面側よりも深い奥行きがあり、正面と同一の庇を廻らせます。
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装飾タイルで飾られる玄関周り。根雨の町並みを一望します。
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山あいの小さな町に建てられた公開堂ですが、規模が大きく意匠性にも優れ、当時鳥取県内に建てられた同種の施設の中でも洗練されたモダンな建物だったと思われます。
当時の姿を良好に留めるこの建物は古い歴史を持つ根雨町の文化遺産として今に伝わります。
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by sunshine-works | 2013-07-25 20:26 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 07月 20日
旧米子市庁舎
鳥取県米子市の近代建築その7

現在の米子市庁舎の道を挟んだ向かい側に、昭和57年まで使われていた旧庁舎が残されています。
歴史資料館として公開されているこの建物は各地に公共建築や学校建築を数多く手掛けた佐藤功一の設計で建てられました。
昭和5年築。
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昭和初期の庁舎建築に多く取り入れられたネオゴシック系の意匠、シンメトリーな建物配置、1階部分にはアーチ窓を並べ上階壁面にスクラッチタイルを貼ります。
竣工以来改装や増築が殆ど加えられておらず、米子市内の近代建築の中でも最も著名な建物です。
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鮮やかな植栽に飾られた中央玄関周り。花崗岩のアーチが三方を囲みます。
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当時のビルディングに広く使われたスクラッチタイル。花崗岩との取り合わせが重厚感を高めています。
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この市庁舎が建てられた当時の米子市の人口は3万人程の規模でしたが、県都鳥取市に劣らぬ活況を呈していました。
地方都市の市庁舎としては大きな構えで作りも立派なこの庁舎は、山陰の商工業の拠点として発展を遂げていた米子の隆盛を今に伝えます。
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by sunshine-works | 2013-07-20 23:49 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 06月 20日
旧角盤郵便局
鳥取県米子市の近代建築その6

米子市の中心街の裏手に昭和初期の下見板貼りの建物が残されています。
現在は書店として使われているこの建物は旧角盤郵便局として昭和10年に建てられました。
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木造2階建て寄棟造り、外壁は下見板を廻らせ、軒下を漆喰壁で仕上げます。
中央入口と2階の各窓に小さな庇を張り出す以外は殆ど装飾表現がありません。
幅が異なる2階の二つの窓や中心から外した入口等、あえてアシンメトリーとしたようにも思える造りです。
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1階正面の窓。採光用としては小さなサイズです。もう片側の窓は板で塞がれています。
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このような木造の旧郵便局舎は都市周辺部での現存例が多いものの、都心部においては年々その数を減じています。
築70余年を経て伝わるこの旧郵便局舎は米子市内に残る数少ない戦前築の木造洋風建築として貴重な存在です。
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by sunshine-works | 2013-06-20 15:31 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 05月 30日
坂口合名ビル
鳥取県米子市の近代建築その5

米子の中心街の裏手、古い町並みが続く一角に2階建て石造の洋風建築が建っています。
この建物は米子を基盤とした地方財閥坂口家の中核会社の建物として昭和6年に建てられました。
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江戸時代に米子で木綿商を営んでいた坂口家は、明治期になると醤油醸造や製糸業、石油卸、林業等の多角化を図り、やがて銀行経営や電力事業、倉庫海運までを手掛ける地方財閥に成長します。
後身の坂口合名会社に引き継がれて今尚現存するこの建物は、近代の米子発展の基となった旧坂口商店本社として建てられたものです。
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主要な通りから一段奥まった狭い街路に面します。
隆盛を誇った坂口財閥のヘッドオフィスが建てられた場所ですが、現在は人通りも少なくひっそりとした一角となっています。
元々この一帯は坂口家の本家が置かれていた場所で、この建物も坂口家の敷地の一角に建てられていました。
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正面にジャイアントオーダー風の付柱を飾る石張りの重厚な建物。当時の銀行建物に類した意匠です。
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米子に残る近代建築の中で、竣工以来現在まで同一用途で使われている数少ない建物です。
近代の米子が商業都市として発展する基礎を築いた坂口財閥の隆盛を伝える遺構として貴重なものとなっています。
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by sunshine-works | 2013-05-30 23:58 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 05月 25日
専門大店ビル
鳥取県米子市の近代建築その4

米子駅の北西、商店や事業所が並ぶ一角に大正期に建てられた商業ビルが現存しています。
事務所ビルとして米子で最も古い歴史を持つこの建物は大正13年頃の築とされています。
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角地に建てられた鉄筋コンクリート3階建。地方都市には珍しいネオルネサンス様式で建てられています。
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アールを描くコーナー中央に玄関を設け、入口扉周囲をアーチ型で囲みます。
バランス良く配された縦長窓、明確なコーニス、コーナー頂部に立ち上がる破風、軒下に並ぶディンティル、上下の窓間を飾る枠型、3階壁面の四方に張られた菱形のオーナメント等々、当時東京や大阪に建てられた近代ビルディングに引けを取らない優れた意匠表現が見て取れます。
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窓枠や扉が取り替えられている以外は概ね当時のまま。90年前の状態が保たれています。
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3階建ての小さなビルですが周囲の建物の中でも抽んでた存在感があり、見た目は相当大きく写ります。
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大正期に建てられた商業ビルが今も現役で使われている事例は、東京や京阪神でも僅かなものしかありません。
今尚現役のこの建物は、当時の米子の繁栄を今に伝えます。
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by sunshine-works | 2013-05-25 23:12 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 04月 30日
山陰本線下市川橋梁・名和川橋梁
鳥取の鉄道遺産

前回は山陰最古の駅舎として御来屋駅を紹介しましたが、この御来屋を挟んだ東西には明治期の古い橋脚が桁を支える鉄道橋梁が2橋架けられています。
明治35年の境港~御来屋間の開通とその翌年の延伸時に設置されたこの2橋に使われているのは現存する鉄道橋脚として山陰最古のものと思われます。
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御来屋~下市間の下市川橋梁。中央の小さな流れとその脇の道路を跨ぎ越すように橋が架かります。
2本の橋脚と両側の橋台は切石を積んだもの、擁壁も切石を布積にしたものです。
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両側の高さに合わせて高い位置に渡される桁。強度を保つ為に橋脚の太さは三段階に詰まれています。
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土手を覆うように積み上げられた橋台。
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下市~名和間に架かる名和川橋梁。明治35年開業区間の橋です。
橋脚が1本である以外は下市川橋梁とほぼ同じ規模ですが、この橋脚は縁を切石で補強したレンガ積みです。
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明治期に開通した山陰本線の橋梁にはレンガ積のものと石積のものが混在しています。、これより後年の工区の橋梁にもレンガ橋脚が使われている事から、年代的な区分けがあったとも言えず、明確な基準は不明です。
このようなレンガ・石積橋脚は大正期を迎えると徐々に竣工数は減り、昭和以降はコンクリート橋脚が主流となっていきます。
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両側の橋台もレンガ積みです。
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山陰本線にはこのような古い鉄道施設が今尚現役で使われていますが、とりわけこの御来屋駅周辺の遺構は当時の姿を良く縮めており、貴重な鉄道遺産となっています。
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by sunshine-works | 2013-04-30 23:04 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)