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2011年 02月 12日
阪神間の各線駅舎3
阪神間に残る戦前築の駅舎探訪その3、最後は神戸市東部の駅を紹介します。

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阪神電鉄本線住吉駅

灘の酒造地帯に近い阪神電鉄住吉駅。昭和4年に建てられた駅舎が今も使われています。
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階段に沿って並ぶ丸窓。この駅舎の大きな特徴となっています。
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段違いに設置された美しいアールを描く庇。阪神の駅舎で随一のモダンな駅舎です。
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腰周りに廻らせたスクラッチタイル。阪神電車の駅舎では希少な例です。
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丸窓を内側から。
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ホームも当時の状態で残されています。
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阪神本線御影駅
駅舎本屋は建替えられていますが、ホーム上屋の一部に戦前の名残りが窺えます。
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東海道本線摂津本山駅

阪神間のJR駅舎で最も竣工時の姿を留めている摂津本山駅。北側、南側両方ともに昭和10年築の駅舎本屋が健在です。
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風格のある美しい駅舎ですが建替えの計画が発表されています。残念ながら近年中に取り壊されてしまうそうです。
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ホーム上屋を支える古レールの支柱も当時のままです。
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地下通路を潜って南側駅舎へ抜けます。
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南側駅舎を上から見た図。和瓦葺きの大きな構えの建物です。
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こちらは北側駅舎。こちらは更に大きな建物です。
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阪急神戸本線春日野道駅

阪急神戸線の高架区間にある小さな駅。昭和11年に開設されました。
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ホームの幅そのままの非常に狭い通路。ホームもかなり狭くなっています。
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by sunshine-works | 2011-02-12 17:32 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(4)
2008年 08月 23日
千苅堰堤(千苅ダム)
神戸北区の近代建築その5

神戸市の北限、三田市と宝塚市に接する山間に位置する千苅貯水地。神戸の市街地に上水を供給する水道ダムとして大正8年に竣工しました。
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明治中期に始まった神戸市の水道事業は人口の増加・給水面積の増大につれて順次水源を拡大していきます。
最初に布引ダム、次に烏原ダム、そしてこの千苅ダムの順にダムが築かれていくのですが、年代を経るにつれて巨大な水源が必要とされ、千苅ダムの貯水量は布引ダムの30倍もの規模になります。布引ダム、烏原ダムが市街地のすぐ裏手に築かれたのと異なり、3番目のこのダムは豊富な水源を求めて六甲山を越えた深い山の中に築かれる事となります。
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形式はこの時代に一般的だった重力式ダムです。堰堤頂部には放流口となる17のゲートが設けられています。
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ダム湖側から眺めた堰堤頂部のゲート。
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天端にはゲートの開閉装置が並びます。
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堰堤の脇に建つ碑文。英文と和文で記されています。
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貯水池へ向う入口。桜のシーズンに一般公開されます。
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千苅ダムの完成で神戸の水源は強化されたのですが、更なる人口増に対応するには3つの水道ダムだけでは限界となってしまいます。その後は遠く淀川から導水するルートが築かれ、こちらが主流となって行きます。現在この千苅ダムが供給する上水は全体の1割に満たない量ですが、90年を経た今も現役施設として活躍しています。
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by sunshine-works | 2008-08-23 23:43 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2008年 08月 19日
山田池堰堤(山田池ダム)
神戸北区の近代建築その4

豊かな自然に囲まれた北区には大規模な水源施設が築かれました。今回と次回は近代土木遺産として残る2つのダムを紹介します。
北区の西部、三木市の境界近くに農業用水のダムとして築かれた山田池堰堤(ダム)。現在はその役目を終えていますが、今も竣工時の美しい姿を留めています。
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宮水に代表される優れた天然水を産する六甲山系ですが、山麓の西に繋がる東播磨地域は流量豊富な河川に乏しく、降水量も少ない(全国平均の半分程度)水に恵まれない土地でした。稲作には適さず畑作中心に細々と耕作が営まれていました。
明治になると現在の神戸市北区から西側の三木、加古川、明石一帯に農業用水を供給する長大な疎水を通すプロジェクトが民間主導で進められます。難工事の末に明治中期に淡河川疎水、大正期に山田川疎水が築かれます。この両疎水を補強する目的で昭和8年に完成したのがこの山田池ダムでした。
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構造としては重力式ダムと呼ばれる形式です。自然石を積み上げてモルタルを充填する工法で造られています。
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下から眺めた堰堤。
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堰堤の上部(天端)。
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中央に設けられた取水塔。神戸兵庫区の烏原ダムや淡路の上田池ダム等この時代のダムに多く見られるデザインです。
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淡河川・山田川疎水の開通とこれを補う山田池ダムの完成によってこの流域一帯は稲作地帯に変貌していきます。上水を供給する水道ダムが近代都市の基盤となった以上に農村地帯の生活基盤を大きく変えたのがこれら一連の疎水事業でした。
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by sunshine-works | 2008-08-19 23:18 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2008年 08月 11日
大沢郵便局
神戸北区の近代建築その3

北区の北部、のどかな風景の中に、半ば朽ちかけた古い郵便局舎が建っています。大沢(「おおぞう」と読みます)郵便局として使われていましたが、隣に新しい局舎が建てられた後は空家となっています。設計・施工の詳細は不明ですが、昭和10年代の築とするデータがあります。
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郵便局の近くには小学校や区の出張所(昔は村役場だったと思います)、消防団の施設が置かれており、この付近は地区の中心地となっています。
大沢集落に限らず、日本各地の集落の中心にはこのような郵便局舎が建てられていました。
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建築意匠的に特徴的な物はありません。装飾もほとんど無く、部材もごく一般的な物です。当時の郵便局舎の多くはこのような造りでした。
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玄関の庇が唯一のアクセントです。
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側面から裏面の様子。後ろは畑が広がっています。
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新旧2つの局舎が並びます。
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小学校と並んで日本の津々浦々に建てられた近代建築の代表が郵便局舎でした。建物の規模として小さな物が多く、構造も木造が主だった為、現役で使用されている例は僅かしかありません。この旧局舎もこの先どうなるのか不明なのですが、何らかの用途に転用される道はないのでしょうか。
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by sunshine-works | 2008-08-11 00:37 | 近代建築 | Trackback | Comments(10)
2008年 08月 07日
旧亀の尾旅館(きらくや)
神戸北区の近代建築その2

神戸市内と有馬温泉を結ぶ神戸電鉄有馬線の終点、有馬温泉駅の駅前に和雑貨や土産物を扱うレトロな雰囲気漂う店が建っています。元々は旅館「亀の尾」として昭和初年に建てられました。
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神戸電鉄有馬線は昭和3年、当時の神戸の中心街であった湊川と有馬温泉を結ぶ路線として開通します。(それまでは有馬温泉への鉄道アクセスは北側の三田を結ぶ路線だけでした。)阪神間からの所要時間が大幅に短縮されたことで有馬はいっそうの賑わいを呈する事となり、温泉街も周辺部へ拡大していきます。
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温泉街から少し離れた場所に置かれた有馬温泉駅ですが、程なく周辺には多くの商店や飲食店が並ぶようになります。この建物も駅開設の直後に駅前旅館として建てられたと思われます。
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古い歴史を持つ温泉旅館とは異なり、いわゆる「駅前旅館」風の建物です。きらくやのHPには創業当時の亀の尾旅館の写真がありますが、窓の形状や屋上の仕上げ等現在の姿とかなり異なっています。
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店内に飾られている傘はこの旅館(喜楽荘と名を変えていました)で使われていたものです。
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2階へ続く階段は着物と小物でディスプレイされていました。
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近代的なホテルが並ぶ今日の有馬温泉にあっては、このような小規模な旅館はすっかり姿を消してしまいました。湯治目的に長期滞在する人がほとんどいなくなり、豪華な料理と大浴場を売り物にした大型ホテルが主流となっていく中では仕方の無いことかもしれません。
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おまけ

すぐ近くには旧有馬自動車組合の建物が残っています。(有馬自動車組合の詳細は不明です。) 昭和初期の築と思われるスクラッチタイル貼りの建物ですが、その後に改装が加えられているようです。
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by sunshine-works | 2008-08-07 01:32 | 近代建築 | Trackback(1) | Comments(0)
2008年 08月 03日
旧金井家別邸(カフェ・ド・ボウ)
神戸北区の近代建築その1

三宮駅からバスに乗って六甲山を越えます。中央区の北に接する北区は六甲山系の山麓を区域とする大きな(神戸市の面積の44%を占めます)区で、山に擁かれた豊かな自然が残っています。神戸市に編入されたのは戦後の昭和22年(兵庫区に編入されました)で、それまでの神戸市民にとっては山向こうに広がるのどかな山村として、そして有馬温泉に代表される行楽の地として知られていました。

神戸北区の近代建築探訪その1は有馬温泉に残る洋館からスタートです。

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北区の北東部に位置する有馬温泉は古い歴史を誇る温泉地です。明治期に交通アクセスが整備された事で大阪・神戸の奥座敷として発展し、明治中期には全国でも有数の温泉街となっていました。居留地の外国人達も明治初年にはすでに避暑地としてこの地を訪れており、外国人専用の旅館も建てられていたそうです。町並みを写した大正時代の写真にはモダンな建物をいくつも見ることが出来ます。

 温泉街の中心部に大正時代の洋館が1棟残っています。この建物は旅館「御所坊」の当主、金井家の別邸として建てられたものです。
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なだらかな坂の中腹、石垣の上に建てられた木造平屋、下見板張の洋館です。石垣の下の半地下にはベーカリーが併設されています。
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ベランダこそありませんが神戸の異人館に多く見られるコロニアルスタイルの建物です。
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カフェとして使用されている内部の様子。
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隣接する蔵も改装されてギャラリーになっています。
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山間の古湯だった有馬温泉が近代的な温泉リゾートに変貌していく明治・大正期、先取の気鋭に富んでいた事業者達は、有馬に多くの洋風建築を建てました。当時の建物はその後の水害と火災で失われてしまいましたが、古い家並みに融けこんで建つこの建物に唯一当時を偲ぶ事が出来ます。
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by sunshine-works | 2008-08-03 08:03 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)
2007年 10月 29日
旧ハンター邸
神戸市灘区の近代建築その18

かっての原田の森、現在の王子公園内には昭和26年に動物園が開設されています。この動物園の園内に一軒の洋館が公開されています。この建物は元々神戸の北野に建っていたのですが昭和38年に神戸市に寄贈され当地に移築されました。当初はドイツ人のA.グレッピー氏の邸宅として建てられたものですが2代目の所有者の名を称してハンター家住宅と呼ばれています。明治22年築。
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木骨レンガ造り二階建(塔屋を含むと三階建)、神戸市内に現存する洋館の中で最大級の大きさの建物です。国の重要文化財指定を受けています。
英国コロニアル様式に分類される建物です。この様式の特徴である広いテラスは当初開放式でしたが日本の気候に合わせてガラス窓で塞ぎサンルームに変えられています。
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ハンター氏はこの建物を明治40年に購入して同じ北野町内の他の場所に移築し(つまりこの王子動物園は3回目の移築になります)さらに改築しています。テラスにガラス窓を取り付けたのもこの時だったようです。ちなみにハンター氏が居住していた場所にはハンター坂の名が残っています。
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改築時に取り付けたガラス窓のフレームの幾何学的美しさがこの建物を一層美しく印象つけています。ガラス窓を付けたことで他のコロニアル式の建物とはかなり印象を異にするものとなっています。
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ハンター氏は明治初年に来日し自身で設立した貿易会社ハンター商会を振り出しに事業家として活躍しました。日立造船の前身である大阪鉄鋼所も氏が創設した会社です。一族の企業グループは後に範田財閥とも呼ばれ三井や三菱と並ぶ勢いを誇っていました。
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建物の美しさを引き立たせる手入れの整った前庭。
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玄関は西の端に設けられていますが建物に比べて小規模な造りです。
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北野の高台に建てられた洋館の多くは海に面した南側にテラスを設けていました。きっとこの建物も大きなテラスから港を一望の下にしていた事と思います。
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テラスの内側の様子
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かっての姿を再現した室内の様子。調度品や家具類も当時を偲ばせる物です。
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北野に建てられた多くの洋館は時代の進行と共に減少の一途を辿ります。外国人貿易商と言う言葉も死語となった今日では実際に居住の途にある洋館はほんの一握りとなってしまいました。観光施設となって存続を図れた洋館はまだしも幾つかの洋館は主の無いまま放置されてしまったり取り壊して他の用途建物に替えられてしまっているのが現状です。
この建物の様に自治体が所有者となって他所に移築される例は以前は多く見られました。自治体によるこうした建造物の保存が積極的に推進される事を望みたいのですが、昨今の財政事情からは難しくなっているのでしょうか…・。
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*灘区の近代建築は今回でひとまず終了。次回からは中央区の近代建築を巡ります。

by sunshine-works | 2007-10-29 00:24 | Trackback | Comments(0)
2007年 10月 24日
旧関西学院チャペル
神戸灘区の近代建築その17

灘区の西の端に競技場や動物園を含む大きな公園があります。現在は王子公園となっているこの一帯は明治22年に関西学院が設立され昭和4年に西宮市上ヶ原に移転するまで校地となっていた場所でした。学院移転後 レンガ造の校舎群は取り壊されましたが唯一当時の建物が現存しています。この建物は関西学院時代にチャペルとして建てられたもので寄贈者に因んでブランチ・メモリアル・チャペルと呼ばれていました。明治37年築。設計:M.ウィグノール
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中央の塔を境に東西方向と南北方向に二つの妻屋根の建物が伸びています。塔の基部には玄関が設けられています。
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原田の森と呼ばれていたこの一帯は松林と畑が広がる田園地帯で人家も疎らな辺鄙な場所でした。やがて開墾作業から始めたキャンパスの整備が進んでいくと徐々に学校の体裁は整っていきます。明治後期にはレンガ造りの校舎が並ぶ美しいキャンパスが完成していました。周辺環境も国鉄灘駅の設置や市電の延伸によって市内中心部と数分で結ばれたことで都市化が進みのどかな風景も過去のものとなっていきました。
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妻面は三連のアーチを並べ、大きく石でアクセントのラインを引いています。
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東側の面は建物の裏にあたります。長いレンガ壁に縦長の並ぶ窓が美しい眺めです。
連続するアーチ窓もキーストーンを白い石として飾っています。よく見ると窓ガラスの縁には透かし模様があります。
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建築年度を記した石碑が嵌め込まれています。
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玄関とその内部の様子です。シャンデリアは復元された物のようです。
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開学時に神学部と普通学部だけだった小規模な学院はその後拡充を重ねていったのですが大学昇格に向けて(当時はまだ大学令法での大学ではありませんでした)更なる校舎の増設を図るにはもはやこの原田の森の校地は手狭でした。加えて周辺環境も利便性と引き換えに世俗化しており教育環境として最適とは言い辛くなっていました。このような状況の元、学院は移転を決意します。都心から郊外への移転となった事で地価の売却差益で新校舎の建設費用も充分捻出でき大学昇格の準備も進む事となります。*移転先の西宮上ヶ原の新校舎については当ブログで紹介しています。
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唯一残されたこのチャペルですが学院移転後は様々な変遷を重ねていきます。跡地一帯の所有者となった阪急電鉄から昭和15年に神戸市に売却されたのですが戦時中の空襲で尖塔を失い屋根も抜けた状態となってしばらく放置されていました。その後は昭和31年に博覧会施設になったのを手始めに様々な文化施設に利用されて行きます。失われたままだった尖塔も平成5年に復元されました。現在は神戸縁の文学資料を展示する神戸文学館となっています。
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東京や京都の大学の多くは旧武家屋敷や寺社地を利用できた為に都市部に広い校地を得ることが出来ました。神戸は市街地が狭く充分な土地が入手できない為にかなり早い時期から大学の郊外移転に取り掛かります。すでに紹介した神戸大学神戸女学院も昭和初年度に郊外移転を図ります。それぞれの移転先は学校の発展と共に整備され教育の場として理想的な環境となっていきます。閑静な文教地区となって大学と共栄している街並みを見ると郊外への移転は大成功だったと思います。
(…現在の大阪や神戸の街が寂しくなっているのは市街地に大学が無く若者が少ないからとも考えられますが…)
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by sunshine-works | 2007-10-24 22:28 | 近代建築 | Trackback | Comments(0)
2007年 10月 20日
神戸高校本館
神戸灘区の近代建築その16

さらに灘区を西へ進みます。阪急電鉄王子公園駅方向から続く坂の上に県立神戸高校が見えてきます。神戸尋常中学校として創設された神戸市の中でも古い歴史を誇る公立の名門校です。この校舎は近年に建て替えられたのですが玄関を含む一角は創建時の建物がそのままの形で残されています。昭和13年築(平成13年改築) 設計:兵庫県営繕課
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坂を登っていくと最初にこの印象的な正面ファサードが見えてきます。
高校(開校時は旧制中学校)の校舎なのですがまるで西洋の城郭を連想させるデザインです。(在校生には実際にロンドン塔と呼ばれていたそうです。)
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玄関周りと正面外壁と構造部分を残して後ろ側の新造部分に繋げています。以前紹介した芦屋警察署の建替え時と同様な手法で施工されています。因みに芦屋警察署も兵庫県営繕課が設計したものです。(両方の建物ともに建替工事も兵庫県営繕課が施工しています)
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三連のアーチが連なる玄関入口や3階の大きなアーチ窓、両サイドや塔屋に張り出した小塔など中等学校の校舎とは思えない豪奢で凝った造りです。
神戸高校のホームページによると同校が理想としたイギリスのパブリックスクール精神を体現する為にあえて城郭の様なデザインとしたそうです。
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この部分が新旧の建物の繫ぎ目です。
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老朽化したこの校舎の修復を巡っては建替え・保存の両面が検討されました。
震災で大きな被害を受けた兵庫県としては古い建物に対して慎重な態度をとらざるを得ないのでしょう。耐震強度が疑わしい物は建て替えてしまう方が確実で間違いがないとの判断で当初は取り壊し案が優勢でした。大勢が利用する学校施設なのでより神経質になった様です。実際に検証してみるとコンクリートの強度は現在の規格を上回る丈夫さを示し補強で充分対応が可能とのことから最終的にこのような形で部分保存されました。
しっかりと造り込んだ当時の施工業者の腕の確かさが実証された形となりました。

老朽化した建物の保存・再生の方法は様々に試みられています。新旧の建物を繫ぎ合わせるこの方法はそれこそ木で竹を接いだような不自然な物になりそうにも思えますが意外と違和感なく仕上がっている例が多いようです。組み合わせ処理の巧みさもあるのでしょうがオリジナル部分が素材として優れていた事も重要なポイントだと思います。
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by sunshine-works | 2007-10-20 12:20 | 近代建築 | Trackback(1) | Comments(0)
2007年 10月 16日
旧大谷邸(神戸大学ロイ・スミス館)
神戸灘区の近代建築その15

阪急電鉄の線路の北側、六甲山の南側の斜面に沿って住宅地が連なっています。六甲駅から西方の篠原地区も山合いに広がる閑静な住宅地区で坂の途中からは神戸の街並や港の美しい景色が望めます。この篠原地区の一角、六甲山から流れてくる都賀川に沿った坂を登りきった所に1件の洋館が建っています。当ブログでも以前に幾つかの作品を紹介した清水栄二が設計したスパニッシュ様式の邸宅です。昭和11年築。
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元々は貿易商であった大谷茂氏の邸宅でした。その後持主は移り変わり現在は神戸大学の後援会事務所として使用されています。ロイ・スミス館と呼ばれていますがこの名の由来については神戸大学のサイトに詳しい情報があります。
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設計者の清水栄二は神戸市営繕課の出身で阪神間で公共施設に多くの作品を残していますが個人住宅も幾つか手がけています。東灘区の高嶋平介邸も現存する清水栄二設計の邸宅として知られていますがこの旧大谷邸とはかなり作風が異なります。
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門を入ると建物の東端に設けられた半円形の大きな庇と玄関ポーチが迫ります。個人邸の玄関としてはかなり広々とした造りになっています。
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この建物の見所の一つが随所に取り付けられているステンドグラスです。一部分に象徴的に使われているのではなく主要な部分各所がステンドグラス仕様になっています。
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その他の窓はそれぞれ異なったデザインの格子で飾られています。
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東の端には日本間が設えてあります。
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この箇所は丸柱を二本並べています。デザイン的な表現なのかあるいは構造上の必要性からなのでしょうか。清水栄二は他の物件でも丸柱を意匠的に使う例が見られます。
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建物裏側
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昭和初期にアメリカ経由で伝わったスパニッシュ様式は住宅から学校建築、大型ビルにいたるまで大きな流行となりました。四季があって湿っぽい日本の風土にカリフォルニアを連想させるスパニッシュ建築は馴染まない様な気もしますが素朴で温かみのある雰囲気に親近感を持ったのかも知れません(因みにこの時代に流行を見せたのはアメリカと日本だけでヨーロッパ各国には伝播しなかったようです)。
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スパニッシュ様式の設計者としてはW.M.ヴォーリズの名が知られていますが当時の建築家の多くがこのスタイルで作品を手掛けています。但し清水栄二もそうなのですがスパニッシュスタイルに特化した設計者はヴォーリズの他はあまりいない様で、あくまでも自身の作風の巾を広げる試みとして取り組んでいた感があります。
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大きなブームとなったスパニッシュ様式ですが結局は他の建築様式同様に戦後のモダニズム建築の波に飲み込まれていってしまいます。最近になってこのスタイルは個人住宅を中心に復活の兆しを見せています。瓦屋根やスタッコと呼ばれる塗壁の風合いが日本人の嗜好に合っているのでしょうか。
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by sunshine-works | 2007-10-16 20:34 | 近代建築 | Trackback | Comments(2)