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2016年 06月 25日
旧佐波浄水場
広島県福山市の近代建築その3

福山の中心街の南西部、小高い台地の公園の中に古い煉瓦構造物が保存されています。
この公園は福山市の近代水道開設時に浄水場が置かれていた場所で、大正14年の竣工当時の施設が現存しています。
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福山初の近代水道の浄水場として設置された佐波浄水場は大正14年に通水開始し、昭和52年まで使用されました。
公園として整備された跡地には配水池、浄水井上屋、門柱が当時の姿で残されています。
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浄水井上屋。浄化した水の点検と管理の為に設けられた施設で、浄水はここを経て次の配水池へ送られていきます。
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敷地を奥へ進んだ先に配置された旧配水池。上水はここに蓄えられ、高低差を利用して福山市街地へ給水されていきました。
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配水池の上部。温度を保つ為の土が敷かれ、芝が植えられています。
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配水池の側面。イギリス積の煉瓦壁を切石の支柱が支えます。
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北面からの眺め。正面にあたるこちら側には扁額が掲げられています。
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当時の正門と通用口に使われていた門柱が移設保存されています。
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by sunshine-works | 2016-06-25 09:52 | 近代建築 広島県 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 28日
旧北吸浄水場配水池
京都府舞鶴市の近代建築その9

舞鶴湾の自衛隊桟橋を見下ろす高台に2棟の煉瓦建物が建っています。
ここはかつて旧海軍によって設置された軍事水道の浄水場があった場所で、現在その跡地には配水池と上屋が当時の姿で残されています。
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舞鶴の軍事水道は軍港設営と平行して進められ、明治34年に完成します。
北吸浄水場は与保呂川の水源地から導いた源水を浄化し配水する施設として設置されたもので、高台の高度差を利用して海軍施設と艦艇に給水を行いました。
この浄水場は戦後舞鶴市に移管されて昭和39年まで使用されましたが、その後浄水施設は取り払われ、配水池とその上屋が残されました。
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配水池は開設時の明治34年に設置された第一配水池と大正10年に増設された第二配水池からなり、それぞれの配水池は大正15年に建てられた煉瓦造、鉄骨小屋組の上屋で覆われています。
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アーチが組まれた入口上部。壁面上部は板張なのでアーチ構造にする必要はないのですが、意匠的な拘りでこのような形になったと思われます。
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日本の近代水道の歴史は明治20年の横浜市に始まり、各地の主要都市に広まっていきますが、舞鶴の軍事水道が完成した明治34年当時近代水道を保有していたのは全国で9都市のみで、舞鶴の水道は大正1年に完成した京都市よりも11年早く設置された事になります。
舞鶴のみならず鎮守府が置かれた他の3軍港も明治中期に水道を設置しており、多くの将兵や艦艇に大量の安全な水を供給する事がいかに重要だったかが計られます。
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普段は内部に立入る事はできませんが、定期的に行われるイベント開催時に配水池内部が公開されます。以下は27年10月のイベント時に撮影したものです。
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池の内部は幾層もの煉瓦壁が迷路のように連なります。
浄水が澱まない為の構造との事です。
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by sunshine-works | 2016-01-28 14:09 | 近代建築 京都府 | Trackback | Comments(0)
2015年 09月 03日
千本堰堤/忌部浄水場
島根県松江市の近代建築その9

松江市中心部から南へ、山並みに向かう県道の傍らに松江市近代水道開設時に設けられた施設が配置されています。今尚現役で使われているこれらは大正7年から8年にかけて竣工しました。
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山陰の拠点として近代化が進められた松江市は、他の主要都市と同様に近代水道設置を検討します。明治中期、松江市は全国の近代水道を指導した技師バルトンを招聘し、当時の忌部村を水源とするプランを立てますが予算が折り合わず実現されませんでした。
その後の人口増と陸軍駐屯地の配置で再び必要に迫られた松江市はほぼ原案通りで水道開設を決定、5年の歳月を掛けて大正8年に全国37番目の近代水道の給水を開始します。
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県道から斜面を下ると見えて来る石積み堰堤。周辺施設を含めてほぼ当時の姿を留めます。
構造は重力式の礎石コンクリートダム。堰堤高16メートル、幅110メートル、貯水量は38万立方メートルで開設時は市域の5万人に給水しました。
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コンクリートで固めた礎石の表面に花崗岩を積んだ堰堤。左岸側が越流部、右岸側には取水塔を繋ぐ通路が設けられています。
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麓からの眺めです
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三連アーチの管理橋も当時のまま残ります。
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ダムから少し離れた場所に設けられた忌部浄水場。開設時の4つの緩速濾過池や調整井、集合井の上屋が現役で使われています。
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by sunshine-works | 2015-09-03 23:48 | 近代建築 島根県 | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 30日
佐古配水場
徳島県徳島市の近代建築その2

徳島市の西部、住宅地の奥手に続く山裾に、徳島市近代水道創設時の施設が残されています。
佐古配水場の施設として現役で使われているこれら一連の建物は、大正15年の水道開設に併せて建てられました。
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現存する創設時の建物は計3棟。中央に建つこの大きな煉瓦建物は浄水を眉山中腹の配水池まで送水する為のポンプ室として建てられました。
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煉瓦造平屋建、切妻屋根の妻面中央を一段高く立ち上げ、玄関上部には小さなバルコニーを据えます。
窓周りや柱形を惹き立てる切石のアクセント、ファンライトを添えた縦長アーチ窓、入口上部にはメダリオンを飾る破風。当時の水道施設に広く用いられた古典様式風の意匠で建てられています。
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斜め側面からの眺め。妻面にも正面側と同様の縦長アーチ窓を廻らせます。
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旧ポンプ室の隣には円筒形の煉瓦建物が並びます。集合井と呼ばれるこの施設は、配水池に送る浄水を蓄え、計量する為のものです。
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鋳鉄製の煙突様のものは、地下タンクの空気抜きとの事。岡山の半田山配水池にも良く似たものがありました。
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敷地の北側に残る方形の小さな建物。これも創設時の建物です。
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敷地を囲う煉瓦の外壁。創設時の状態を良く留めています。
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by sunshine-works | 2014-05-30 23:36 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 20日
吉野川第十樋門
徳島県上板町の近代建築

県の中央を貫いて東へ流れる吉野川は、次第に川幅を広げながら下流域へ向かいます。
吉野川下流の板野郡上板町には大正12年に設置された巨大な樋門が今尚残り、現用施設として使われています。吉野川と旧吉野川が交わる地点に築かれたこの第十樋門は、竣工当時日本最大の規模を誇る樋門でした。
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吉野川改修工事の一角として、流量調整の為に設けられた分流樋門。
鉄筋コンクリート製、6連のゲートを並べます。
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西岸からの眺め。
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堤の上部には道路が敷かれ、橋として使われています。
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樋門の端には水尺小屋と呼ばれる水位の観測施設が建てられています。
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樋門の下流側。樋門で調整された水量が旧吉野川に送られます。
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by sunshine-works | 2014-05-20 23:48 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 23日
米子市水道記念館
鳥取県米子市の近代建築その2

旧日野橋西詰の程近く、米子市水道局の敷地内に同市の水道開設時に建てられた施設が残されています。
この建物は大正15年から昭和45年までポンプ室及び管理棟として使われました。設計:伊藤正文
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鳥取県2番目の近代水道として大正15年に米子市の水道事業が始まります。
大山山系の良質な地下水を得られる米子市ではその水源に日野川の伏流水を汲み上げて用いる事とし、川の西岸の当地に取水井戸と配水設備を設置します。
当時の施設の殆どは建て替えられましたが、唯一この旧ポンプ室が残され、水道記念館として利用されています。
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ロマネスク様式を取り入れた外観意匠。正面側の1階部分には半円アーチが並びます。
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玄関開口部の上部には「天助人」の扁額が掲げらています。
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敷地内に置かれた小さな祠。水道開設15周年を記念して建立された水神社との事です。
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こちらは裏側。淡白な造りは建物用途故でしょうか。
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池の畔に残された当時の名残り。吐水口にはライオン(猫?)の顔があしらわれています。
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建物の隣に建てられた石碑。米子市の水道開設について記しています。
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各地に残る古い水道施設は、この米子市水道記念館のように豊かな意匠表現を凝らしたものが殆どです。
当時の人々が地域近代化の象徴として水道施設に寄せた思いが偲ばれます。
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by sunshine-works | 2013-03-23 23:00 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(2)
2012年 11月 26日
旧倉吉町水源地ポンプ室
鳥取県倉吉市の近代建築その3

倉吉の中心部から南西方向、静かな住宅街の外れに、旧倉吉町営水道の創設期に設置された施設が残されています。昭和7年築。
水源地から水を汲み上げる取水ポンプ室として平成2年まで使用されました。
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明治20年に日本で初めての近代水道が横浜に敷かれて以降、全国の主要都市に次々と水道が敷かれていきます。
大都市や条約によって開港した港湾都市を皮切りに、その後は各県の県庁所在地へと波及し、大正末年には全国の水道事業者は約100箇所を数える事となります。
昭和に入るとその流れは中小都市にも及び、昭和10年代にはその数は3倍に増大して行きます。
鳥取県の近代水道の歴史も、県都鳥取市が大正4年と最も早く、次いで米子町が大正14年。
県内3番目となる倉吉町の創設時の施設として現存するのが、このポンプ室となります。
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鉄筋コンクリート造平屋建、切妻屋根にスレート瓦葺。
腰周りはルスティカ積の石組、中央の玄関上部に三角破風を立上げ、その両側にパラペットを巡らせます。
その他にも玄関2階に設けたバルコニーやその上に飾られる石額、ファンライトを添えた各面のアーチ窓等々、豊かな装飾表現が随所に見られます。
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正面に掲げられた扁額。記されている「萬斛泉」とは、この水源地のある余戸谷に湧く泉の名称(尽きる事のない泉との意味です)で、古来より名水として知られていました。
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敷地を仕切る門扉・外壁・鉄柵。
当時の姿そのままで残されています。
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土手に面した裏側の景色です。
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鳥取で3番目の近代水道が敷かれた当時の倉吉町の人口は1万人に満たない数でした。
すでに水道が敷かれていた他の2都市に比べると遥に小さな自治体でしたが、この建物は県央の中心都市として栄えた倉吉の威信を示す、優れた近代土木遺産として伝わります。
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by sunshine-works | 2012-11-26 22:26 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(2)
2012年 11月 14日
酒津取水樋門/排水樋門
岡山県倉敷市の近代建築その8

倉敷駅から北西方向へしばらく進むと、高梁川に沿って親水公園が置かれています。
この場所には、大正年間に行われた高梁川改修事業によって設置された取水樋門や排水樋門が現存し、今も現役で使われています。これらの施設は大正11年から翌12年にかけて築かれています。
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治水と利水を目的に行われた高梁川の改修事業の中で、最大の施設となったのが酒津に設けられたこれら一連の構築物です。
堰堤、取水樋門、配水池、配水樋門、水路で構成されるこの施設は、古くから争いの元となっていた水利権を解決するために、高梁川から一括して取水し、公平に分配する配水施設として設置されました。
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南樋門に並ぶ15連のアーチ形樋門。配水地域の規模に応じて門の数が異なり、それぞれに分けられた用水路で各地を繋ぎます。
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各樋門は表面を花崗岩で飾った鉄筋コンクリート造の荘重な造り。各用水路の側壁も石で仕上げられ、周辺の植栽と併せて施設全体が河畔に美しい景観を添えています。
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配水池側から眺めた樋門です。
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こちらは取水樋門の内側。
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土手の反対側に回って河畔の取水口へ。石貼7連の樋門が並んでいます。
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川中に築かれた取水堰。この堰で水勢を弱め、水深を嵩上げして樋門で取水します。
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明治以降に導入された欧米の進んだ土木技術は、様々な場面で人々の暮らしを大きく変えて行きます。
農業の近代化に於いて近代土木が果たした役割は非常に大きく、取り分け、農業水利は飛躍的な改善を遂げます。
この結果大正期の国土全体の耕地面積は江戸期の3倍以上にも増大し、近代国家を支える根幹を築いて行きます。
高梁川で行われた一連の水利事業の象徴とも言うべきこの施設は、農業近代化に資する優れた歴史遺産として極めて貴重なものです。
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by sunshine-works | 2012-11-14 20:25 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 05月 25日
美歎水源地施設
鳥取県鳥取市の近代建築その3

鳥取市中心部から南東方向へ山道を上っていきます。郊外の景色が次第に山深い風景へ変わり、人家が疎らになった一角に開けた区画が広がっています。
この一帯は鳥取市に初めて近代水道が敷かれた大正4に浄水施設が設置された場所でした。
この地に置かれた美歎浄水場は、その後70年に亘って鳥取市の水源としての重積を果たしますが、昭和59年に新しい浄水場の完成に伴って役目を終えます。
閉鎖されて30年近く経過するこの旧水源施設には今尚多くの施設が竣工時の姿で残されています。
近代建築Watch鳥取編の今回は、年1回の見学会に限って公開されるこの旧水源地の施設群を紹介します。
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広い敷地内には貯水池、暖速濾過池、量水施設等の浄水施設を始め、門や橋などの付帯施設が良好な姿で残っています。
各地に創成期の水道施設が残されている例は数多くありますが、これだけの数が揃って現存する例は珍しく、土木遺産として貴重な資料となっています。
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敷地の北側に位置する堰堤。美歎川を堰止めて水道用水を蓄えます。完成当初は土盛で築かれましたが、大正7年に洪水で流されてしまいます。その後、神戸の水道ダム豊稔池堰堤を手掛けた佐野藤次郎の指導の基、礎石を積んでコンクリートを充填する現在の堰堤が大正11年に完成します。
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堰堤上部です。
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上流側からの眺め
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貯水池に蓄えられた水は、鉄管で場内5か所の濾過池へ導かれます。
池底に敷かれた砂と生物作用で長い時間を掛けて濾過する暖速濾過法は当時の一派的な浄水法でしたが、大量の処理には向かず、その後に開発された急速濾過法に置き換わっていきます。旧美歎浄水場では昭和59年の廃止までこの方式が使われ、良質な浄水を供給していました。
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廃止後は水が抜かれ、側壁や池底を詳細にみる事が出来ます。5つある濾過池の内一つは水が貼られ、当時の雰囲気を伝えます。
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濾過池に付随する施設を順に見て行きます。これら施設は築後100年近くを経過してコンクリートの劣化が進んでおり、保護する為に仮設の覆いが架けられています。
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調整井と呼ばれる施設。水位の調整をするバルブが収められています。
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各貯水池から送られた浄水は接合井に集められます。
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接合井に集められた浄水は、この量水器を経て市内へ給水されていきます。
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場内に巡らされた管理道路の数箇所には当時架けられた鋳鉄製の橋が今も残っています。
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当時の正門と思われる門柱と門扉。
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鳥取市の近代水道が共用を開始した当時、鳥取市の人口は約3万人で、この時代に近代水道を設けた都市としてはかなり小規模なものでした。
現存する旧美歎水源施設は、地方都市に於ける先駆的な水道事業の導入事例として、更に創成期の水道施設の全容を垣間見る良例として、極めて需要な歴史遺産となっています。
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by sunshine-works | 2012-05-25 22:51 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(2)
2012年 05月 21日
豊稔池堰堤
香川県観音寺市の近代建築その3


観音寺の市街地から県道を南へ進むこと約10キロ、讃岐山地を越える峠道の途中に巨大な石積堰堤が見えてきます。
日本の近代土木史にその名を残す豊稔池は、農業用ダムとして昭和5年に竣工しました。
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古くから干ばつに悩まされて来た讃岐地方の中でも、豊稔池周辺の大野原地区は水利が特に悪く、安定的な農業用水の確保は長年の夢となっていました。大正末年に県の事業として始められたこの巨大ダムの工事は、地元農民を総動員する工事の末昭和5年に完工します。詳しくはこちらを参照下さい。
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日本で2例のみ現存する貴重なマルチプルアーチダム。石積みで造られたものとしては唯一の例です。
多連式アーチとも訳されるこの形式は、アーチを繋げて遮水壁を構成します。
それぞれのアーチが繋がる部分には巨大な柱状の堤体が組まれ、さながら城壁を思わせる景観を為します。
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一定量を越えた水を排出する為に空けられた洪水吐。増水時に大量に放出される様子は圧巻です。
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傍らには改修の際に取り外された古い設備が置かれています。
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この豊稔池の設計には数名の技師が携わっていますが、顧問として佐野藤次郎の名があります。
神戸市の水道ダムの設計者としても知られる佐野藤次郎は、各地で多くのダムや水道施設を手掛け、創成期の日本の水道事業に於いて中心的な役割を果たしました。
この豊稔池は氏の晩年の作となり、昭和5年の竣工を見る事なく昭和4年に没しています。
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遊歩道を上って湖面へ。堰堤の眺めです。
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遠方から眺めた堰堤。
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戦前に築かれたダムとして最大規模を誇るこの豊稔池は、その技術的な価値も然ることながら、見る者を圧倒する素晴らしい景観に於いても特筆されるべき存在と言えます。
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by sunshine-works | 2012-05-21 12:21 | 近代建築 香川県 | Trackback | Comments(2)