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2013年 03月 07日
霞橋
岡山県倉敷市の近代建築その11

水源の鳥取県境から南流を続けた高梁川は、倉敷市西部で水島灘へ注ぎます。
この河口近くに7つのトラスが連なる美しい橋が架けられています。
現在は人道橋として使われているこの橋は、増田淳の設計により昭和3年に架けられました。
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高梁川河口まで約4キロの地点、600メートルを超える広い川幅を渡ります。
中央に7つの曲弦トラスが7連、その前後にプレートガーダーが繋げられ、橋全体の長さは616メートル。
岡山県内に現存する戦前築の道路橋としては最長のもの、昭和9年の室戸台風の災禍を免れた鋼橋としても数少ない現存例です。
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下流側に昭和43年に架けられた新橋が並びます。その後暫くは新旧の霞橋が道路橋として併用されますが、昭和60年からは人道橋として利用されています。
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桁の基部に貼られた銘板。製造元は「日本橋梁・大阪」と確認出来ます。
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橋上の様子。東詰めから西へ進みます。
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狭い間隔でぎっしり並ぶ鉄骨。びっしり打たれたリベット。現在の橋には無い無骨な趣です。
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設計者の増田淳は、アメリカから帰国した後の僅か十余年の間に50以上の橋梁設計を手掛けます。
中でもこの橋が架けられた昭和3年前後は白髭橋や吉野川橋、三好橋、千住大橋等の大規模橋梁を相次いで竣工させており、最も多忙を極めた時期だったようです。
氏の円熟期の作の一つとして残るこの霞橋はその美しい姿を今も川面に映しています。
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by sunshine-works | 2013-03-07 18:15 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(2)
2013年 03月 03日
羽淵鋳鉄橋・神子畑鋳鉄橋
朝来の近代建築その9

生野鉱山の近代化を手がけた明治政府は、鉱山の開発と併せて鉱石や資材を運搬する二つの専用道路を敷設します。
積出港の飾磨とを繋ぐ道がまず明治9年に開通し、明治18年には選鉱場が置かれた神子畑とを繋ぐ道が敷かれます。
西洋の最新技術を基に築かれたこの道路は土盛した路盤に小石と砂利を突き固めた堅固な構造で、我が国の産業道路の先駆けとも言われています。
130年を経た今日、当時の路面は失われていますが、神子畑を結んだ道の遺構として日本最初の鋳鉄橋とされる2橋が現存しています。
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現存する鋳鉄橋は羽淵と神子畑の2橋。共にこの街道が敷設された明治18年頃の築とされていますが、設計・施工者や製造元等の詳細は不明です。また神子畑橋は現在も当初の位置に設置されていますが、羽淵橋については水害で流失した後に他所で移設保存されています。
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長閑な景色が続く山あいの一角、県道と併走する神子畑川が交わる地点の路肩に神子畑橋が架かります。さすがに現用としての役目は終え、観光施設として公開されています。
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橋全体は当時の西洋の鉄橋に倣った意匠ですが、親柱には擬宝珠や寺院を思わせる和風意匠が用いられています。
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現存する最古の鋳鉄橋のもう一つが羽淵鋳鉄橋。生野の市街地の北部、和田山と結ぶ県道の傍らに移設保存されています。神子畑鋳鉄橋とはアーチの連数が異なる以外は殆ど同様の規格で造られています。
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親柱の意匠は神子畑橋と全く同じ。高欄の形状は六角形が連なる独自のものです。
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2連のアーチが並びます。中間で支える支柱も鋳鉄製。鋳鉄製の橋脚を持つ橋梁としても希少な現存例です。
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日本に近代橋梁が普及する明治初期は、西洋では鋳鉄橋から錬鉄橋への移行期となっていました。
この為国内に架けられた鋳鉄橋の数は然程多くなく、全て鋳鉄で架けられた橋としてはこの2橋が唯一の現存例とされています。
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by sunshine-works | 2013-03-03 18:25 | 近代建築 兵庫県 | Trackback | Comments(2)
2013年 02月 27日
土讃線伊豫川橋梁
徳島の鉄道遺産その7

第一吉野川橋梁を過ぎた下り土讃線は阿波川口の東で支流の伊豫川を越えます。
ここに架けられた伊豫川橋梁は戦後に架け替えられたものですが、中央のトラス部分には大阪環状線で使われていた大正期の桁が転用されています。
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駅前から続く街区の外れ、吉野川と伊豫川が刻んだ谷を眼下に対岸のトンネルへと桁が渡っていきます。
最大径間を渡る箇所に上路ワーレントラスが1連、その前後に計8連の鋼プレートガーダーが繋がるこの伊豫川橋梁は橋長200メートルを超える大きな橋として昭和25年に掛け替えられました。
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現在の土讃線は阿波川口駅の南を吉野川に沿って進み、分岐する伊豫川を越えて山越谷トンネルに向かいますが、この山越谷トンネルを抜けるルートは昭和25年に新設されています。
それまでの路線は屈曲する吉野川に沿った険しい崖を縫うように敷かれており、伊豫川を渡るこの箇所に架けられていた旧橋も川の形状に合わせて桁自体にカーブが付けられたものとなっていました。
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最大径間に渡された平行弦トラスは大正元年に旧鉄道省によって架けられた大阪環状線の澱川(淀川)橋梁を転用したもの。その前後のプレートガーダー桁は昭和25年の掛け替え時に設置されたものです。
路線の変更に伴って架橋位置は西寄りに変更され、新たに設置された橋脚が桁を支えます。
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新橋の隣には旧線時代に使われていた橋脚がそのまま残されています。
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阿波川口駅方の橋桁。吉野川の川岸に沿って桁が渡されます。
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by sunshine-works | 2013-02-27 23:57 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 02月 23日
山陰本線鳥取県内区間の橋梁
鳥取の鉄道遺産


前回は山陰本線鳥取県内区間の木造駅舎を紹介しましたが、開業100年を超えるこの区間には他にも貴重な鉄道遺産が残ります。
鳥取以西の区間は本線とは言うものの運行本数も少なく、また未だに非電化・単線のままで置かれており、この為現在も多くの橋梁が古い規格のまま使われています。
今回は鳥取から下市までの区間に残るこれら古い鉄道橋梁を紹介します。
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鳥取市の西部、青谷駅西に位置する勝部川橋梁。
橋梁と名がありますが、実際には畑の中に半ば埋もれた状態で置かれています。この東側に新勝部川橋梁が架けられている事から、河川の付け替えで流路が変わって橋だけが残されたものと思われます。
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土に埋もれていますが、よく見ると橋脚は切石が詰まれています。コンクリートの傘石が乗せられている形状から、大正期から昭和初期に設置されたもののようです。
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橋台にも同様の切石が確認出来ます。
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線路は日本海沿いの狭い平地と丘陵の境を幾つものトンネルで抜け、平坦部では築堤上を進みます。
このような箇所には道路や水路を通す拱渠と呼ばれるトンネルを設けますが、泊駅西に残るこの煉瓦拱渠は相当に古く、明治の開業時のもののようです。
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草に覆われていますが、近寄って見ると入口周りには4重の煉瓦アーチが巻かれています。
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煉瓦を用いた入口周りと対照的な内部。岩肌にセメントらしきものを塗布しただけの簡単な仕上げです。
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由良~浦安間で加勢蛇川を渡りますが、現在の加勢蛇川橋梁の傍には旧橋で使われていた煉瓦橋台が残されています。開業時の橋脚にはこのような煉瓦構造物が多く使われていたと思われます。
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浦安~八橋間の洗川橋梁。昭和10年架橋。
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下市~中山口間の甲川橋梁。開業時に設置された石積橋脚が残ります。
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by sunshine-works | 2013-02-23 21:32 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 02月 15日
山陽本線岡山~新倉敷間の橋梁その2
備中の鉄道遺産その10

前回に続いて岡山~倉敷間に残る山陽本線開業時の遺構を紹介します。
庭瀬駅周辺から中庄駅にかけての区間は水路や小川が細密に廻らされており、線路はこれらを小さな橋梁で越えていきます。
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短い物で2~3メートル、長いものでも10メートル未満。
当然ながら橋脚は持たず両側の橋台で桁を支持します。
これらの多くにはIビーム桁と呼ばれる小規模橋梁に多用される形式の桁が使われています。
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足守川を越える為に線路は高さを上げて築堤を進んで行きます。
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庭瀬駅の西で足守川を越えます。この矢部川橋梁の橋脚はすべてコンクリート製。大正期の複線化工事で設置されたものと思われます。
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足守川の西岸から中庄駅までの区間にも開業時の煉瓦構造物を持つ橋梁が確認できます。
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中庄駅を過ぎて程なくすると一旦線路は高架に上がります。
この先の区間は後年の改修が多く、開業時の遺構は見られなくなりますが、西阿智駅西側の旧線区間には現役当時の名残となる構造物が現存します。
高梁川を渡る手前のこの区間は昭和61年に路線の付け替えが実施されましたが、住宅街の一角には撤去されずに当時の姿を留める巨大なコンクリートの塊が置かれています。高梁川を越える築堤へ上る高架桁の橋台として使われていました。
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高梁川に差し掛かる直前で線路は小さな水路を跨ぎます。
抗口は戦後に築かれたコンクリート製の物ですが、この奥には明治期のものと思われる煉瓦アーチのトンネルが残されています。
当初単線で敷かれた線路を複線化した際にコンクリートでトンネルを延長したものと思われます。
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by sunshine-works | 2013-02-15 23:22 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2013年 02月 11日
山陽本線岡山~新倉敷間の橋梁その1
備前の鉄道遺産

明治21年に兵庫~姫路間を延伸開業した山陽鉄道の路線は、明治23年に岡山県東端の三石まで到達し翌24年には広島県福山までの区間が開通します。
県内最古の鉄道路線として120年を超える歴史を持つこの山陽本線は、その後改修・架け替えが頻繁に行われていますが、幾つかの箇所には竣工当時の鉄道施設が連続して現存する区間が残っています。
今回と次回は岡山~新倉敷間に残るこれら山陽本線の鉄道遺産を紹介します。
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岡山駅西方の北長瀬から新倉敷駅手前の西阿智までの区間は開業以来路線の変更が無く、路盤も高架化されずに今日に至ります。
この区間に点在する中小規模の橋梁や跨道橋の多くにはイギリス積の煉瓦構造物や花崗岩の下部構が現存しており、明治中期の開業時の貴重な遺構が今尚現用で使われています。
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岡山駅を発した下り山陽本線は北長瀬駅の西で白石川を渡ります。
この橋の前後の箇所には線路が川の土手を越えるために築堤が築かれ、道路を跨ぐ箇所には小さな跨道橋が設けられます。
白石川手前のこの小さな橋は乙一久川橋梁と名称がありますが、現在は跨道橋として使われています。
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当初単線で敷かれた山陽本線は大正期に複線化されます。大正期の複線化工事に際しては主にコンクリートが使われ、明治期の構築物の南側に並んで設置されています。
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北面には花崗岩の布積翼壁が当時のままで残ります。
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土手を越えた線路が白石川を渡ります。この白石川橋梁にも開業時に設置された橋台や橋脚が残されています。
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明治期の橋脚が上り線として使われている北側の線路を支えます。橋脚は煉瓦を積み、脇を花崗岩で補強しています。
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さすがにプレートガーダーは当初のものから架け替えられていますが、大正期と思われる古い規格のものが使われています。
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煉瓦の橋台。上部のコンクリート部分は後年の改修跡でしょう。
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白石川を渡って庭瀬駅までの区間にも小さな橋梁が続きます。
この区間も上り線の橋台部分に開業時のイギリス積煉瓦が現存しています。
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このような小さな橋梁はこの先の区間にも数多く設けられており、その多くに開業時の構造物が残されています。次回は残りの区間のこれら遺構を紹介します。
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by sunshine-works | 2013-02-11 17:25 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 30日
土讃線白川橋梁
徳島の鉄道遺産その6

吉野川に沿って南へ下る土讃線は、第一吉野川橋梁と第二吉野川橋梁の間で支流を渡ります。
この地点に架けられた白川橋梁も同区間が開通した昭和10年に設置されました。
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小歩危駅から2本のトンネルを抜けて国道を跨ぐ手前に架かります。
開けた谷間を渡るこの白川橋梁も他の土讃線橋梁と同様に高い地点に桁が渡されています。
上路式ワーレントラスの使用やコンクリート橋脚の上にトレッスルを組上げる構造は四国の鉄道橋梁には珍しく、他の土讃線橋梁には見られない特色を持ちます。
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中央部の上路式ワーレントラスは桁長約47メートル。
桁と水面との距離が大きく空いているこのような地点では特段下路式とする必要は無く、上路式とする事で橋脚を短くできる利点があります。
四国では少例となりますが、全国的には主に山間部の橋梁の多くでこの形式の桁が使われます。
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トラス桁の前後には鉄骨で組まれたトレッスル橋脚が据えられています。
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白川橋梁を渡った土讃線は、この先さらに険しい山岳地帯を抜けていきます。
山間部を渡るこの橋梁は、様々な橋梁が架けられた土讃線の中でも個性的な橋の一つとして現存します。
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by sunshine-works | 2013-01-30 21:17 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 26日
土讃線第二吉野川橋梁
徳島の鉄道遺産その5

吉野川西岸に沿って南へ進んできた土讃線下り列車は、観光名所として知られる小歩危~大歩危間で再び吉野川を渡ります。
美しい渓谷を眼下遥かに跨ぐこの第二吉野川橋梁は、第一吉野川橋梁と同年の昭和10年に架けられました。
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9基の鋼プレートガーダーと1連の曲弦トラスで構成される総長250メートルに及ぶ橋を10本のコンクリート橋脚で支えます。
川面からの距離は第一吉野川橋梁よりもさらに高く、中央の橋脚はおよそ30メートルの長さになります。
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上流域に近づくにつれ、吉野川はその幅を徐々に狭めながら流速を増していきます。
土讃線第二吉野川橋梁は、この流れが刻んだ広い谷間を上る吉野川を斜めに横切るように渡っていきます。
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小さな脇道を下りて谷底を流れる吉野川の川原へ。
頭上高く渡された橋桁を見上げます。
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橋の北詰からの眺めです。
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築後約80年を経た今も現用施設として使われる第一吉野川橋梁とこの第二吉野川橋梁は、難工事を乗り越えて開通した山岳路線土讃線を象徴する鉄道遺産として当時の技術を今に伝えます。
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by sunshine-works | 2013-01-26 20:01 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 22日
土讃線第一吉野川橋梁
徳島の鉄道遺産その4

箸蔵~佃間で吉野川を渡った土讃線は、この先の区間を吉野川に沿って南へ進んでいきます。
吉野川が刻んだ深い渓谷の渕に張り付くように敷かれた線路は途中幾つかのトンネルを抜けながら川の東岸を並走し、三縄の先で西岸に位置を変えます。この地点を渡る第一吉野川橋梁は昭和10年に架けられました。
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香川県側から延伸した土讃線が三縄まで開通した昭和6年、同時に進められた高知県側の工区も北に延伸を重ね、未開通区間は四国山地の険しい山岳地帯を抜ける約50キロを残すのみとなります。
難工事の連続となった最終工区には多くのトンネルや橋が架けられますが、橋梁工事で最大の規模となったのがこの第一吉野川橋梁と次の第二吉野川橋梁でした。
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78メートルの曲弦トラスの前後にプレートガーダーを繋げた橋長は170メートル。長い橋脚で高く支えられた橋桁が深い谷間を渡ります。
この先で再び吉野川を渡る第二吉野川橋梁とは設置環境が良く似ており、プレートガーダー桁の本数が異なる以外は殆ど同規格。中央部に使われた川崎造船製造の曲弦トラスは長さも重さも同一のものです。
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トンネルを抜けた土讃線は、川沿いに開けた集落の際を抜けて再び対岸のトンネルへと向かいます。
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橋を渡った土讃線が向かう氷見山トンネルの抗口。
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橋の西詰からの俯瞰です。
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吉野川を渡った列車は再び深い山の中へと進んでいきます。
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by sunshine-works | 2013-01-22 19:52 | 近代建築 徳島県 | Trackback(1) | Comments(0)
2013年 01月 18日
土讃線吉野川橋梁
徳島の鉄道遺産その3

箸蔵駅を出た土讃線下り列車は、大きくカーブしながら南へ方向を変え、吉野川の広い河原へ進んで行きます。この地点を渡る土讃線吉野川橋梁は昭和4年の同区間開業時に架けられました。
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川面を渡る4連の曲弦トラスとその前後に繋がる16基のプレートガーダーで構成されるこの橋は、橋長570メートルを超える当時としては最大級の鉄道橋となりました。
現在に至るまで土讃線で最長、徳島県内の鉄道橋梁としても高徳線の吉野川橋梁に次ぐ長さとなります。
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丘陵から平地に下りて畑の中の築堤上を進んできた土讃線は、プレートガーダ部分で再び高さを上げながら川面のトラス桁へと向って行きます。
小高い丘陵となっている川の南詰の高さに合わせる為に、太いコンクリート橋脚で高い位置に橋桁を持ち上げて行きます。
山と山の間を縫うように流れる河川を渡る土讃線橋梁の多くは、水面からの高さを確保する為に長い橋脚を特徴とします。
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中央部分の4連の曲弦トラス。径間長は異なりますが、同時期この先の土讃線に架けられた橋梁に共通する規格のものです。
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四国山地を北上してきた吉野川は阿波池田の手前で川幅が広くなり、緩やかな流れとなって東に向きを変えて行きます。
箸蔵~佃間で吉野川を渡るこの地点、背後に山並みを望む開けた河原の景色の中、川中に据えられた太いコンクリート橋脚が高い位置でトラスを支えます。
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4連のトラスや巨大なコンクリート橋脚が連なるこの吉野川橋梁は、土讃線の構造物中で最も規模の大きなものとなりました。
当時の土木技術の粋を集めたこの吉野川橋梁は四国の鉄道敷設の歴史を今に伝えています。
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by sunshine-works | 2013-01-18 20:09 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)