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2013年 11月 15日
徳島線鮎喰川橋梁
徳島の鉄道遺産その10

徳島市西部の鮎喰~府中間で徳島線は吉野川支流の広い河川敷を渡ります。
この鮎喰川橋梁も前回紹介した川田川橋梁と同時期に架けられたものです。
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川幅300メートルを超える鮎喰川を楕円橋脚が支える20連のプレートガーダーが渡ります。
桁の形式は川田川橋梁と同じポーナル桁、楕円橋脚は大正期以降のコンクリート橋脚に見えますが、竣工時の煉瓦橋脚にコンクリートを被せて補強したもので、元々は川田川橋梁と同じタイプの煉瓦橋脚が使われていました。
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広い川幅に等間隔で並ぶ橋脚。
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橋脚のすべてがコンクリートで補強された楕円形状のもの。この補強工事は昭和11年に実施されています。
この例から察すると、現存する古い時代のコンクリート橋脚の中には、このように煉瓦あるいは石積の橋脚にコンクリートを巻きたてて使われているものが数多いのではないでしょうか。
見た目には当初からコンクリートで造られた橋脚と殆ど見分けが付きません。

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徳島鉄道時代の橋梁に使われていたポーナル桁。
イギリス製のポーナル桁や鉄道院規格のものとは異なる、徳島鉄道独自のものです。
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by sunshine-works | 2013-11-15 23:57 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 11月 10日
徳島線川田川橋梁
徳島の鉄道遺産その9


穴吹川橋梁を渡って東へ進んだ徳島線は、川田~阿波山川間で吉野川支流の川田川を越えます。
この地点に架けられた川田川橋梁も開業当時の姿で今も使われています。
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前回紹介した半田川橋梁・穴吹川橋梁が架けられたのは徳島線の最終工区で、同区間の開業は大正3年。
延伸工事は徳島鉄道を買収した鉄道院によって進められました。
これに対し、この川田川橋梁を含む区間は旧徳島鉄道時代に延伸されたもので、年代(およそ10年の差)や運営主体の違いから、橋梁の形態は前者と大きく異なるものとなっています。
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煉瓦橋脚の形は、上流側の先端を尖らせた長5角形。上段が1段細く、その上に傘石を重ねます。
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鋭く尖った先端部。流下物が橋脚に絡まなくする為のものです。
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同じ面を反対側から。
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この川田川橋梁が架けられたのは明治33年。
当時の鉄道橋梁は北海道を除くとイギリスの規格が使われており、この橋梁にもポーナル式と呼ばれる古い橋桁が用いられています。
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ポーナル桁の特徴を示す先端が折れ曲がったステッフナー。
明治中期に導入されたポーナル桁の現存例は全国的にも然程多くはありません。
古い鉄道施設が数多く残る四国でも少数ですが、徳島県内にはこの川田川橋梁の他に数例が確認出来ます。
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110年を超えて現役の橋桁と橋脚。
ローカル仕様の古い気動車が渡っていきます。
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by sunshine-works | 2013-11-10 23:57 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 11月 05日
徳島線半田川橋梁/穴吹川橋梁
徳島の鉄道遺産その8

吉野川に沿って徳島県内の東西を結ぶ徳島線は、明治期に設立された民営の徳島鉄道の路線がその母体となりました。
現在のJR四国の路線の中で、旧讃岐鉄道が元となった土讃線、予讃線に次いで古い歴史を持つこの徳島線は、国鉄時代には本線に分類されていたものの、ローカル線区の色合いが強く、沿線には開業時に設置された古い鉄道施設や駅舎が数多く現存しています。
今回から数回に亘り、この徳島線に残る橋梁、駅舎を紹介します。
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阿波半田駅の西方で徳島線は吉野川支流の半田川を渡ります。
川面から高い位置に架かかるこの橋梁には、開業当時の煉瓦橋脚が今尚使われています。
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明治32年に開業した徳島鉄道の路線は西への延伸を重ね、国有化された後の大正3年に阿波池田まで繋がります。この半田川橋梁はこの延伸時に架橋されたものです。
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プレートガーダーを支える橋脚は三基、表面に煉瓦を組んだ円柱形状の橋脚は、この時代に架けられた鉄道橋梁で広く使われていました。煉瓦積みの円柱橋脚としては、当ブログで紹介した山陰本線陸上橋梁の橋脚と極めて良く似ています。
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穴吹駅の東方に架けられた穴吹川橋梁も半田川橋梁と同様に、川田~阿波池田間の延伸に併せて設置されました。この穴吹川橋梁にも半田川橋梁と同じ煉瓦の円柱橋脚が使われています。
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橋脚の数は9基。半田川橋梁と良く似た形状ですが、上部に傘石が乗せられている所が異なります。
おそらく後年の補修と思われますが、川中の5基は基部がコンクリートで補強されています。
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by sunshine-works | 2013-11-05 23:57 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 09月 15日
登山橋
鳥取県西伯郡の近代建築その1

伯耆溝口駅から北東方向、狭い山道の途中に鉄筋コンクリート造のアーチ橋が架けられています。
昭和9年に架けられたこの登山橋は、竣工当時、鳥取県内で最大規模のコンクリート橋となりました。
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この橋が架かる町道は、現在では交通量も少ない地方道となっていますが、近くに新道ができるまでは大山の登山道として賑わった道でした。
橋の名称も大山の登山道に架けられた事に由来しています。
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日野川水系の大江川が流れる深い谷間を渡る上路式開腹コンクリートアーチ橋。60メートルを超えるスパンを途中に橋脚を設けず一跨ぎします。
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美しい弧を描くコンクリートアーチが対岸に渡ります。
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深い谷底で80年に亘って橋を支え続けるアーチ基部。
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この橋が架けられた昭和初期、鉄筋コンクリート橋は既に実用化されていましたが、地方に於いてはまだまだ少数で、山合いに架けられた長大橋の多くは鋼製のトラスやアーチ橋が主流でした。
現在では一般化されているこの形式のコンクリート橋の先駆例の一つとなります。
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by sunshine-works | 2013-09-15 20:13 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 09月 10日
日芳橋
岡山県井原市の近代建築その1

矢掛宿から栄橋を渡り、山陽道を西へ。国道486号線となった旧街道は井原市の中心部の手前で小田川を渡ります。
この地点には大正15年に掛けられたトラス橋が今も現役で使われています。
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川幅約100メートルを渡る3連のダブルワーレントラス。
半円を描く上弦部分のボウ(弓)とストリング(弦)にあたる下弦が結合されたボウストリングと呼ばれるトラス橋で、初期の橋梁に多く使われました。
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トラスの両側には竣工当時の親柱が残っています。
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外側・内側両面から眺めたトラス桁。
錆や塗装の剥がれはありますが、築80年を超えて健在です。
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複雑に組み合う上弦材と横桁。
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側面の眺め。曲弦と下弦が描く弓形が良くわかります。
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この日芳橋は近くに新道が開かれた後に主要幹線の橋としての役割を終えますが、地域の橋として残され、岡山県内の多連式鋼橋としては大正11年の京橋に次ぐ古い橋としてその姿を留めています。
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by sunshine-works | 2013-09-10 20:15 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2013年 09月 05日
栄橋
岡山県矢掛町の近代建築その1

古くからの宿場町矢掛の西方に朱色も鮮やかな古いトラス橋が渡ります。
この栄橋も岡山各地に掛けられた室戸台風からの復興橋の一つとして、昭和14年に掛けられました。
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矢掛宿を西へ進んで程なくの地点、旧山陽道が小田川の支流を渡る地点に掛けられます。
橋長約70メートル、2連のワーレントラスには櫻田機械製作所製の橋銘が確認出来ます。
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橋床と高欄は鉄筋コンクリート造。鉄骨トラス橋がコンクリート橋を抱えているようにも見えます。
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同年代に高梁川水系に掛けられたワーレントラス橋としては、他に中井橋広石橋が現存します。
この3つの橋はどれも中規模の2連式トラスで、極めて似通った外観をしています。
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川原から橋の裏側を眺めます。
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かつては主要幹線として賑わった旧山陽道ですが、交通量の増大に伴って各地に新道が築かれ、現在は生活道路に転じて往時の姿を留めます。
築80年を越えて現用橋として使われるこの栄橋は、旧街道に残る数少ない近代化遺産として貴重な存在となっています。
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by sunshine-works | 2013-09-05 19:53 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2013年 04月 30日
山陰本線下市川橋梁・名和川橋梁
鳥取の鉄道遺産

前回は山陰最古の駅舎として御来屋駅を紹介しましたが、この御来屋を挟んだ東西には明治期の古い橋脚が桁を支える鉄道橋梁が2橋架けられています。
明治35年の境港~御来屋間の開通とその翌年の延伸時に設置されたこの2橋に使われているのは現存する鉄道橋脚として山陰最古のものと思われます。
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御来屋~下市間の下市川橋梁。中央の小さな流れとその脇の道路を跨ぎ越すように橋が架かります。
2本の橋脚と両側の橋台は切石を積んだもの、擁壁も切石を布積にしたものです。
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両側の高さに合わせて高い位置に渡される桁。強度を保つ為に橋脚の太さは三段階に詰まれています。
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土手を覆うように積み上げられた橋台。
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下市~名和間に架かる名和川橋梁。明治35年開業区間の橋です。
橋脚が1本である以外は下市川橋梁とほぼ同じ規模ですが、この橋脚は縁を切石で補強したレンガ積みです。
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明治期に開通した山陰本線の橋梁にはレンガ積のものと石積のものが混在しています。、これより後年の工区の橋梁にもレンガ橋脚が使われている事から、年代的な区分けがあったとも言えず、明確な基準は不明です。
このようなレンガ・石積橋脚は大正期を迎えると徐々に竣工数は減り、昭和以降はコンクリート橋脚が主流となっていきます。
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両側の橋台もレンガ積みです。
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山陰本線にはこのような古い鉄道施設が今尚現役で使われていますが、とりわけこの御来屋駅周辺の遺構は当時の姿を良く縮めており、貴重な鉄道遺産となっています。
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by sunshine-works | 2013-04-30 23:04 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 19日
大川橋
徳島県三好市の近代建築その2

前回紹介した三好橋から南へ約6キロ、祖谷口駅近くの小さな集落の脇に吉野川を渡る吊橋が架けられています。
この大川橋は昭和10年に竣工しました。
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明治以降昭和初期に至るまでの間、吉野川やその支流には鉄道や幹線道路を渡す近代橋が架けられて行きましたが、厳しい設置条件の為にその数は充分とは言えず、主要道から外れた地区で対岸へ渡るには渡船に頼るか長距離の遠回りを強いられていました。
有名な「かずら橋」をはじめとする木製吊橋も古くから用いられていましたが、近代化に伴って増大する通行量を裁くには限界がありました。
このような状況の中、祖谷で酒造家と林業を営む赤川庄八が資財を投じて設置したのがこの大川橋でした。
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橋の傍に設置されている説明板の記載によると、祖谷口に土讃線の駅を設置する条件として、鉄道省はこの地区に橋を渡す事を求めたそうです。
交通不便なこの地区で酒造業と林業を営む赤川家にとって鉄道駅の設置がもたらす恩恵を考えれば、工事費の負担(当時の価格で5万8千円)は充分採算に合うものだったのでしょう。
*とは言え、現在の価格に換算して一億円を雄に超える額ではありました。
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板を並べた橋床を両岸の主塔から吊るされたケーブルが支えます。橋長150メートル、中央支間長124メートル。設計荷重の小さい人道橋とは言え、東洋一と言われた三好橋と比べても引けを取らない概要を誇ります。
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地方道に架かる橋らしく、橋と住居が近接しています。家と家の間を抜けるように対岸へ橋が渡ります。
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橋の幅は3メートル弱、馬車や引車が通行可能ぎりぎりの幅です。
頼りなさそうな木板の橋床ですが、鋼製トラスで補強された桁や太い鋼索によってしっかり支えられており、思った程の揺れも無く渡る事ができます。
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橋の西詰から今渡ってきた対岸を眺めます。
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戦前に架けられ今尚使われている吉野川を渡る道路橋としては他に三好橋と吉野川橋がありますが、鋼製の吊橋としてはこの大川橋が唯一の現存例となります。
私設橋としてこれだけの規模の橋が架けられた例も珍しく、地域の生活を支えた近代化遺産として貴重な存在として残ります。
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by sunshine-works | 2013-03-19 20:25 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 15日
三好橋
徳島県三好市の近代建築その1

三好市の西部、三縄駅の北で吉野川を渡る地点に架けられている三好橋は昭和2年に竣工しました。設計:増田淳。
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川幅は約250メートル。東側から2連のプレートガーダー桁を渡しますが、対岸までの距離140メートルを残します。
当時の国産鋼材の強度や架橋技術では径間長は100メートルが限界とされていましたが、三好橋は吊橋とすることでこの距離を克服します。
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当時既に鋼製の吊橋は実用化されていましたが、コストや工期が嵩む為に施工例は少なく、橋長200メートルを超える吊橋は他に一例のみ。多くは地方道に架かる小規模な橋梁で、国道に架かる橋梁としてはこの三好橋が最初のものとなります。
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三好橋の竣工後60年を経た昭和末期、ケーブルの劣化が判明します。
設置環境や構造上の問題によりケーブルの交換は困難とされましたが、桁自体の強度には問題がなかった為、桁本体を残して下部をアーチで支える上路式ローゼ橋へ改築する案が採用されます。
竣工時には困難とされた長大アーチ橋が60年を経て実現する事となり、平成元年より現在の姿へ生まれ変わります。
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200メートルを超える橋ですが現在の技術を用いた改修後の三好橋は大規模な構造物とならず、長さを感じさせないスッキリとした印象に映ります。
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斜面に据えられた橋脚。隣には吊橋当時の名残と思われる構造物が残されています。
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当時の日本の橋梁技術は欧米に大きく差を付けられており、日本では100メートル台が限界だった長径間のアーチやトラスも既に500メートルを超すものが実現されていました。
更に吊橋に至っては、東洋一とされたこの三好橋の中央径間140メートルを遥かに凌ぐ1000メートルを超える長大橋が架けられていました。
この三好橋を始めとして、欧米の先進技術の移植に勤めた当時の施工経験は、やがて世界最高水準へと発展する日本の橋梁技術の礎として重要な役割を果たしました。
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by sunshine-works | 2013-03-15 21:36 | 近代建築 徳島県 | Trackback | Comments(0)
2013年 03月 11日
旧日野橋
鳥取県米子市の近代建築その1

鳥取県西部を流れる日野川が美保湾に注ぐ河口の近く、国道9号と山陰本線の二つの橋梁に挟まれるように白塗りの連続トラス橋が架かります。
旧国道9号線の橋として昭和4年に架けられ、現在は人道橋として使われています。
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河口の広い川幅に6連の曲弦トラスが連なります。橋長365メートルは戦前にかけられた道路橋としては県内最長、現存する鋼橋としても県内最古のものとなります。
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明治21年に架けられた木橋の老朽化に伴って昭和2年6月に起工、昭和4年5月に竣工します。*参照記事
土手の傍らにはこの時に取り外された初代日野橋の親柱が残されています。
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設計者は不明、施工は大阪の松尾鉄骨橋梁です。
同時期に竣工した岡山の霞橋とは同形式、径間長は若干長く幅員は同一。
霞橋に比べると上横構や垂直材がややすっきりした印象ですが、それ以外は極めて良く似ています。
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橋の両側には親柱の基礎部分が残されています。
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東詰からの眺め。
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対岸へ道を渡す事が橋の主たる目的ですが、橋に課せられた重要な使命として景観に資する役割があります。
雄大な自然環境の中に人工物である橋梁を据えるに際し、景観と調和させる事は橋梁設計上の優先項目でした。
彼方に大山を望む美しい風景を渡るこの日野橋は、80年を経た今も優美なその姿を映しています。
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by sunshine-works | 2013-03-11 18:11 | 近代建築 鳥取県 | Trackback | Comments(0)