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2012年 06月 11日
旧総社警察署
岡山県総社市の近代建築その3


総社市の旧市街の一角に明治期に建てられた旧警察庁舎が残されています。この建物は江川三郎八の設計により明治43年に建てられました。
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総社駅から東へ約1.5キロ、古い家並みが続く旧道に沿って進むと、神社の隣に木造下見板貼りの洋風建築が見えてきます。
築100年を越え今尚健在のこの建物は、昭和34年までを警察署として使われ、公共施設として幾度か転用を重ねた後、昭和63年から現在の郷土資料館として利用されています。
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煉瓦の基礎に花崗岩を重ね、下見板の外壁を廻らせます。道路に面して上げ下げ式窓を並べ、玄関は南東角に配置。玄関内部はそのまま階段に繋がり、階段室とその上の小部屋で多角形に張出した楼閣を構成します。
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設計者の江川三郎八は技師として県内各地の学校建築を手がけましたが、校舎以外にも数多くの公共建物の設計に携わります。明治後期から大正期に掛けての県内公共建物の殆どが江川三郎八あるいはその門下の技師が手掛けたものと言われています。
100以上とも言われる作品の多くが木造で建てられた事もあり、学校建築を除くと現存例は多くありませんが、県技師として最も多忙を極めた明治後期、円熟期の作となるこの旧総社警察署は、宮大工から設計技師に転じ、独自の作風を作り上げた氏の庁舎建築における代表例と言えます。
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多くの学校建築に共通する「江川式」と呼ばれる様式は、入口のアーチ形状や2階の軒に見られるハーフティンバー等に踏襲されます。
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コーナーに入口を設ける手法や、階段室を多角形に張出す意匠は当時の木造庁舎建築に多く見られます。
同じく江川三郎八の作とされる旧倉敷町役場(大正5年)にもこの様式が用いられ、規模もほぼ同等の二つの建物には多くの類似点があります。
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入口周りと付近の足元周りをもう少々。
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裏面と側面です。
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物置きと思しき小さな小屋。同時期の物と思われます。
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側面を廻って再び正面へ
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館内を見て行きます。まずは1階部分。受付業務に充てられていたと思われ、カウンターが設けられています。
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奥の部屋には古民具や郷土資料が展示されています。
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階段を2階へ進みます。
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玄関の真上の部屋。展望に優れたこの部分は応接室に使われていたようです。
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奥の部屋には伝統産業だった備中売薬に関する資料が並びます。
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警察庁舎の現存例は全国に数多くありますが、それらの中でもこの旧総社警察署は様式性に優れ、明治期の木造庁舎の傑作として極めて貴重といえます。
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by sunshine-works | 2012-06-11 20:22 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(2)
2012年 05月 13日
川辺橋
岡山県総社市の近代建築その2

南流してきた高梁川は、総社市を通過する頃には川幅も広く流れも緩やかになっていきます。
伯備線清音駅の傍、川辺に掛けられた橋長450メートルを越えるこの大きな橋は昭和8年に竣工しています。
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3連のトラス桁に15連のプレートガーダー桁が繋がって一つの橋となります。
3連のトラスの内、真中のトラスは前後のトラスより一回り大きく造られ、独特の外観となっています。
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広い河川敷をプレートガーダーで渡り、川面を渡る部分は桁長を確保する為に下路式の単純桁トラスを渡します。
トラス桁はその後県内各地に架けられた室戸台風復興橋と共通する造りで、この時代のトラス橋として標準的なものです。
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この川辺橋が竣工した翌年、室戸台風によって県内の橋梁の多くが被害を受けましたが、川辺橋は流失を免れます。
広い河川敷を持つ下流域故に流量が分散された事がその理由の一つと思われますが、前述した桁配置の工夫も相応の効果をもたらしたようです。
流失を免れた川辺橋は、交通路が寸断された中で対岸へ渡る貴重な橋となりました。
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後方に見える桁は後年に掛けられた現川辺橋。
川辺橋付近は交通量が多く、車線幅の狭い戦前の橋に代わって新橋が架け直されました。旧川辺橋はそのまま残され、人道橋として利用されています。
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川面から眺めた橋脚。楕円形断面のコンクリート製橋脚は当時の標準的な仕様です。
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多くの橋梁を押し流した昭和9年の室戸台風でしたが、このように被害を免れた橋梁も僅かながらありました。
当時の姿のまま残されたこの橋は、復興橋梁以前の大規模橋梁の現存例として貴重な資料となっています。
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by sunshine-works | 2012-05-13 23:58 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 14日
日本基督教団高梁教会
岡山県高梁市の近代建築その10

古い町並みが残る高梁市の中心街の東、美観地区の外れに古い木造の教会建物が建っています。
この日本基督教団高梁教会は、岡山県内に現存するキリスト教教会としては最も古いものとなります。
明治22年築。
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元々岡山は信仰心が強い土地柄で、明治期に信教が自由化されると各地で多様な宗教、宗派が興ります。
それまで禁教とされていたキリスト教も県内各地で活動を始めますが、中でも高梁は早くからキリスト教信仰が根付き、県中西部に於ける布教の拠点となっていきます。
城下町として学問・思想が栄え、高い精神文化を有していた事が、新しい文化を受け入れる土壌となったのかもしれません。
また、この高梁キリスト教会は地域の信仰の中心となったのみならず、教会所縁の多くの人達が教育・文化の担い手となって高梁の発展を支え、更に中央で活躍する優れた人材を輩出しました。
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設計は伊代今治の大工吉田伊平。当時の教会建築には、キリスト教に帰依した棟梁、いわゆるクリスチャン棟梁によって設計施工されたものが多数ありましたが、この吉田伊平もその一人で、郷里の伊予で教会を手掛けた後に請われて岡山に赴き、この高梁教会と倉敷の天城教会(明治23年)を建てています。
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庇の上に屋根付きのバルコニーを乗せた2層式の玄関。
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玄関ポーチの足周りには花崗岩が使われます。床面のタイルは後年のものでしょうか。
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内部は見学自由との事なので入らせて頂きました。
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建物廻りをもう少し
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屋根上には小さな鐘楼が取り付けられていますが、これは戦後に追加された物との事です。
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城下町の伝統を受け継いで、現在の高梁市は文教都市としての一面を有しています。
高梁の文化発展にこの教会が果たした役割は大きなものとなったようです。
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by sunshine-works | 2012-04-14 23:36 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 10日
旧手荘町役場
岡山県高梁市の近代建築その9

高梁市の西部、川上町の中心部に現在は高梁市川上地域局として使われている木造2階建ての建物があります。平成16年まで旧川上町役場が置かれていたこの建物は、川上町の基となった3町村の一つ、手荘町の役場として昭和4年に建てられました
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木造2階建て、下見板貼り、和瓦を葺いた寄棟屋根。この時代の公共建築の典型と言える取り合わせですが、随所に様々な意匠が凝らされ、豊かな個性を放ちます。
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建物中央に立ち上がる切妻屋根を被せた三角破風、太い丸柱が支える分厚い玄関庇、部分的に用いられるドイツ壁、ハーフティンバーによる山荘風の意匠等々、従来の役場のイメージから踏み出した新しい試みを見て取れます。
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建物正面に設けた二つの玄関。中心から逸れて不規則に並びます。
シンメトリーを旨とするこの種の建物は中央に入口を構えるのが本来です。
構造上あるいは用途上の何らかの理由で敢えてこの位置としたのでしょうか。
然程離れていない位置にこのような形で二つの入口が設けられているのも不思議な光景です。
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主入口となる右側の玄関庇。上部の破風と角度を合わせた分厚い三角屋根を乗せます。
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鋭角に組まれた三角屋根が建物中央に聳え立ちます。学校建築に良くある手法なので、当初この建物を見たときには旧校舎を転用したものかとも思いましたが、最初から役場庁舎として建てられたものでした。確かに、全体の雰囲気は築年も近いこちらの学校建築に似通っています。
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隣接して並ぶ別棟。モルタル造のこの棟は後年の増築と思われます。
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こちらは本館正面の見上げ。中間部にドイツ壁を用いています。
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by sunshine-works | 2012-04-10 22:27 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 17日
旧高梁尋常高等小学校本館
岡山県高梁市の近代建築その8

高梁市の中心街の一角に高梁市郷土資料館が置かれています。この建物は旧高梁高等尋常小学校として建てられ、昭和47年まで使われていました。
明治37年築。
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昭和47年に統合によって廃校となった旧高梁小学校の本館部分が残され、現在は郷土資料館として利用されています。
小学校時代は1階に職員室や控室が置かれ、2階は講堂として使われていました。
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同時期の築となる吹屋小学校と同様に明治期の学校建築らしい、威厳や風格が備わった造りです。
施工を請け負った妹尾友太郎は当地で活躍した棟梁でしたが、巧みに西洋建築の技法を学び取り、他にも多くの洋風建築を手掛けました。
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装飾要素は玄関廻りに集められています。銅板を葺いた玄関庇を大きく張り出した持送りが支え、軒下には細密に組まれた格子を廻らせます。
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花崗岩の基礎の上に腰周りを羽目板、上部に下見板貼りの外壁を重ねます。一部の窓には当時のままの手延硝子が残っています。
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入口扉には、玄関庇の格子模様と同じ意匠が飾られます。
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この扉の先は民具や郷土資料が並ぶ展示室となっていますが、残念ながら撮影禁止です。
小学校だった当時のままに仕切られた各区画は良好に姿を留め、地元産の樅の木を用いた折り上げ天井や奉安殿が残る二階講堂は、素晴らしい景観でした。
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古き木造校舎が数多く残る岡山に於いても、取分けこの校舎は明治期の学校建築の頂点とも言える意匠と技法を今に伝える貴重な文化遺産です。
教育県として知られる岡山の明治期の学校建築の好例として、永く残されていくべき建物です。
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by sunshine-works | 2012-03-17 23:30 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 13日
布寄小学校 / 旧坂本小学校
岡山県高梁市の近代建築その7

前回、今月20日で最後の卒業式を迎える吹屋小学校を紹介しましたが、隣の学区の布寄小学校も同様に本年を持って廃校となります。この布寄小学校では昭和14年築の木造2階建て校舎が使われていました。
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当時のモダン建築の影響を受けた、装飾要素を殆ど持たない平面を組み合わせたシンプルな造りです。重厚な明治期の木造校舎とはその印象が大きく異なります。
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白色系に塗装されている事もあり、明快でモダンな外観。
山村の小さな校舎ですが、当時の都市部の学校建築と遜色の無い、垢抜けた意匠です。
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表面、裏面ともに中央部にコンパクトで簡素化された入口庇を設けます。
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ガラス越しに撮った廊下部分。木造校舎らしい温もりが伝わります。
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小高い台地の上に開かれた校地。石段を上って正面入口へ向かいます。
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吹屋小学校から西へ約3キロメートルの坂本集落に残る旧坂本小学校校舎。
廃校となって18年を経た今も当時の姿のまま校舎が残されています。
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この坂本小学校も古い歴史のある小学校でした。開校は明治6年、現存するこの校舎は大正8年に当地に移転した際に建てられたものと思われます。廃校となる平成6年まで使われていました。
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残念な事に、廃校後は殆ど手入れもされず、荒れるに任せたまま。開け放たれた扉から降り込んだ風雨によって腐食が進んでいます。
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校舎の裏側
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過疎化が進む地域で学校の統廃合が行われるのはある面仕方の無い事かも知れません。
とは言え、思い出深い校舎がこのように荒れ果てた状態で朽ちて行くのは見るに耐えません。
自治体による適切な管理が行われる事を切望します。
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by sunshine-works | 2012-03-13 23:44 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 09日
吹屋小学校
岡山県高梁市の近代建築その6

高梁市の北西部、かつて銅鉱山とベンガラの産地として栄えた吹屋の町並みの裏手に、現役として日本最古の小学校校舎が建っています。
今回は、本年3月で長い歴史を閉じる事となる吹屋小学校の校舎を紹介します。
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斜面を切り開いて作られた敷地に三棟の校舎が建てられています。現在体育館として使われている東校舎、中央に2階建ての本館、教室棟の西校舎がコの字形に並び、それぞれが外廊下で繋げられています。
東西の校舎は明治33年、中央の本館は明治42年に建てられました。
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石を積んだ基礎に下見板と羽目板の外壁を巡らせ、上部は漆喰壁仕上。屋根は和風の桟瓦を葺きます。設計は銅山の経営にあたっていた三菱の技師。簡素な中にも要所に豊かな装飾が施され、明治期の学校建築らしさが窺える意匠です。
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中央に位置する二階建ての本館。車寄せは後年に増築されています。
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全体は茶色のオイル塗料が塗られていますが、一部にベンガラ色に塗られている一角もあります。中央の本館は竣工時には全体が白色のペイントで塗られていました。
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本館2階の漆喰壁。柱を表に見せるハーフティンバー式の装飾が施されます。
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かつては教室棟だった東棟。隔壁を抜いて体育館・講堂に改築されています。
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西棟の側面。
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最盛期には多くの生徒で賑わった吹屋小学校ですが、最後の年度の在校生は僅か7名。過疎化の波は防ぎようも無く、3月20日の卒業式を最後に110年を越える校舎はその役目を終える事となりました。
吹屋小学校校舎の今後の行末については何ら公表されていませんが、明治期の学校建築の姿を伝えるこの校舎が永く留められる、有効な活用方が見出される事を望んで止みません。
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by sunshine-works | 2012-03-09 22:28 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(2)
2012年 02月 18日
総門橋
岡山県高梁市の近代建築その5

岡山で最大の流域面積を持つ高梁川は、途中多くの支流を従えます。方谷橋玉川橋の中間で西に分かれる支流成羽川にも、昭和9年の室戸台風からの復興橋梁が現存しています。
成羽の市街に架けられた総門橋は、全国でも数少ない鉄筋コンクリートローゼ橋の現存例となります。
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ローゼアーチを鉄筋コンクリートによって構築したこの形式の橋は、昭和初期に長野県の技師によって開発されました。
長野県以外では、戦前から戦後しばらくの時期に数県で採用されましたが、本格的に普及するには至らず、その後の竣工例は僅かなものしかありません。
岡山ではこの形式の橋は計3橋が架橋されましたが、大原橋と旧八幡橋が昭和17年の竣工、そしてこの総門橋が昭和19年の竣工と、どれも他の復興橋梁と比べて遅い竣工年のものばかりです。
戦局が押し迫ったこの時期、橋梁に鉄材を使用する事もままならない中で、このコンクリートローゼ橋が代替として重要な役割を果たしていました。
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橋長132メートル。美しい孤を描く3連のアーチが渡ります。
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川面と桁の間に大きな距離が取られています。
室戸台風の教訓を活かし、一連の復興橋梁は全て下路式として橋下に大きな空間を設ける事を旨としました。
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by sunshine-works | 2012-02-18 23:10 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 14日
水内橋
岡山県総社市の近代建築その1


新見往来を更に南へ進み総社市へ至ります。備中広瀬と美袋の中間を過ぎて程なく、道の横手に美しいシルエットを描く橋が見えてきます。
カンチレバートラスを用いたこの水内橋は、高梁川の復興橋梁中で最大の橋長を持つ橋となりました。昭和13年架橋。
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前後の桁の間に吊桁を挟んで大きな径間長を得るこの形式は、別名ゲルバートラスとも呼ばれ、70メートルを越えるスパンを渡す事が可能です。従来のトラス桁で70メートル以上の桁を架けるには、小山のように巨大なトラスを組む事となりますが、カンチレバートラスは全体の規模を大きくする事なく長い支間が得られ、資材も節約する事が可能となります。
日本では昭和初期に実用化された新しい技術ですが、この利点を活かして各地に広まって行きました。
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この時代に架けられたカンチレバートラスは、このように桁接合部の上部が三角に突き出た変った形状をしています。独特のその姿は、単調な桁に程良くアクセントを加え、橋の景観を引き立てます。
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橋長は約180メートル。頭上を覆う上部構造物は中央支点に横桁が渡るだけで、長大な桁にしてはすっきりした構造です。
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西詰の親柱。基礎だけが残されています。
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河原から側面を見上げます。この角度から見ると桁の長さが更に実感できます。
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この高梁川のように、昭和10年代に架けられた鋼橋が数多く現存している例は全国的に見て希少なものです。数の多さも然ることながら、様々に異なる形式の橋梁が揃っている点でも、当時の架橋技術を伝える貴重な資料と言えます。
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by sunshine-works | 2012-02-14 23:33 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 10日
玉川橋
岡山県高梁市の近代建築その4

高梁市の南部、総社市との境界近くに朱色に塗られたトラス橋が渡されています。高梁川に現存する室戸台風復興橋梁の中で唯一の3連続トラスとなるこの玉川橋は、昭和11年に架けられました。
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高梁川の西岸を並行する新見往来(現在の国道180号線)から分かれて西へ向う街道が渡ります。県南西部の主要部、矢掛・井原方面とを結ぶ交通路の起点に架けられた橋です。
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鳥取との県境付近を発した高梁川は、中間点を過ぎたこの辺りでは流れも太くなり、150メートルを越える川幅があります。広い川幅を最低限の橋脚数で桁を渡す必要から、曲弦ワーレントラスと呼ばれるこの形式となりました。
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広い川幅にトラス桁を複数連続して渡す、当時の橋梁の基本的なスタイルです。
3基のトラスは各々45m程の長さ。当時の技術では並行弦トラスで架けられる限界に近い長さでした。
長スパンのトラス桁の場合、強度を確保する為に桁高を増やす必要がありますが、下弦に掛かる荷重は中央が大きく両端に近づくほど小さくなるので、負荷に応じて両端部のトラスの高さを減らす事が可能となります。橋の自重を減らし、かつ資材の節約を図る目的から、大規模なトラスはこのような曲弦式とするのが一般的でした。
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東詰から西詰へ、複雑に組み合った鉄骨の中を進んで行きます。
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細部のクローズアップ。錆が浮いて塗装もひび割れた姿に、70年を越える年月を実感します。
現在この隣で新しい橋の工事が始まっており、この美しいトラス橋もあと僅かで役目を終える事となります。
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西詰に残る親柱。竣工当時の親柱が現存する橋梁として、県内で希少な例となります。
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by sunshine-works | 2012-02-10 23:38 | 近代建築 岡山県 | Trackback | Comments(0)